冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十四年五月五日号

立宗七百五十年の大節を迎えて
    「御報恩勤行会」を厳粛に奉修
      立宗の大慈大悲を拝し奉る

 立宗七百五十年御報恩勤行会 浅井会長講演

 本日は、末法下種の御本仏日蓮大聖人が、始めて「南無妙法蓮華経」と唱え出だされ、全人類を救わんと三大秘法広宣流布の戦いを始められてより、ちょうど七百五十年の重大な日であります。

 ここに只今、その立宗の御尊容を偲び奉りつつ、謹んで御報恩の勤行会を奉修させて頂いた次第であります。
 本日唱えさせて頂いたお題目も、立宗のとき大聖人様がお唱えあそばした「南無妙法蓮華経」を、そのままいま私たちが唱えさせて頂いているのだと思えば、有難さが胸にこみ上げてまいります。

 清澄山上の御尊容

 ここに立宗の時の尊きお姿を偲び奉れば、大聖人様は建長五年四月二十八日の夜明け前、ただ御一人、房州清澄山の頂にお立ちになられた。この山頂からは果てしなく広がる太平洋の大海原が眼下に広がる。あたりはまだ薄暗い。やがてその時闇を破って一条の光が差し、かなたの水平線上に大きな太陽がゆらゆらと昇る。

 その光が、大聖人様の六尺豊かな御身を照らし、全身が輝いたとき、大聖人様はその旭日に向い「南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と始めて唱え出だされた。その荘重にして朗々たる音声は、十方法界に響きわたった。
 まさしくこのとき、全人類の成仏の大法である久遠元初の名字の妙法・下種の三大秘法は、始めてこの地球上に出現したのであります。
 この荘厳にして気高いお姿を偲び奉れば、ただ跪き合掌のほかはありません。

 鉄石の御決意

 そしてこのとき、大聖人様の御胸には鉄石の御決意が秘められていた。それは ---
この三大秘法を弘めれば、必ず一国に大怨嫉が巻き起こり身命に及ぶであろう。しかし、いかなる大難来たるとも退かず、日本および全人類を現当二世に救わん --- この大誓願を胸に懐かれたのであります。

 この御心を開目抄に示し給うて云く「
日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来たるべし、いわずば慈悲なきににたり、と思惟するに、法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに、いわずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕つべし、いうならば三障四魔必ず競い起るべしとしりぬ。二辺の中にはいうべし、王難等出来の時は退転すべくば一度に思い止むべし。且くやすらいし程に、宝塔品の六難九易これなり。乃至、今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」と。
 これが立宗のときの大誓願・御決意であられた。

 身命に及ぶ大難

 この御覚悟のごとく、その後、大聖人の御身を襲った二十余年におよぶ大難は、言語に絶するものであった。私たち凡夫ならば命がいくつあっても足りない。

 なぜ、これほどの大難が起きたのか。それは第六天の魔王の働きです。第六天の魔王は、御本仏が三大秘法を弘通なさることを、最も恐れ嫌う。そこで隙あらば大聖人の御身に入らんとする。しかし大聖人様は用心きびしきゆえに魔を寄せ付けない。そのとき第六天の魔王は、国中が崇める良観・道隆・念阿等の邪師の身に入り、さらに国主・万民の身に入る。
 ここに、日本国中が日蓮大聖人の御命を奪おうという異常な心になり迫害した。これがすなわち二十余年に及ぶ犬難だったのであります。

 いいですか。悪口罵音などの小難は数を知れずです。命に及ぶ大難だけでも四ヶ度に及んだ。
 まず、立宗七ヶ年後の文応元年、御年三十九歳のとき、立正安国論の諌暁を機として松葉ヶ谷の襲撃が起きた。念仏の暴徒ら数千人が松葉ヶ谷の草庵に押し寄せ、大聖人を打ち殺そうとしたのです。
 その翌年の弘長元年には伊豆へ流罪。さらに文永元年・御年四十三歳のときには小松原の剣難。東条景信が軍兵を率いて待ち伏せし、大聖人を打ち果たさんとした。このとき東条景信の凶刃によって、大聖人様は御額に三寸の傷を受けられ、左の手を打ち折られ給うた。まことに恐れ多い限りであります。

 そしていよいよ御年五十歳の文永八年九月十二日、国家権力による絶体絶命の竜の口の死罪があり、引き続き極寒の佐渡へ流罪となつた。
 これらの大難、もし我ら凡夫ならば、命がいくつあっても足りない。しかるに堂々とこれを乗り切られたこと、まさに御本仏の絶大威力のゆえであります。
 およそ、南無妙法蓮華経の大法を弘めてこれほどの大難を受けられたという御方は、全世界を尋ねて大聖人御一人以外にはない。このお振舞いこそ、釈迦仏が三千年前に「末法に久遠元初の自受用身・下種の御本仏が出現される」と予言したそのままのお姿であられた。

 佐渡雪中で

 そして、これほどの大難をよく耐え忍び給うたのは、ひとえに一切衆生を現当に救わんとの、大慈大悲のゆえであります。
 その御心を、佐渡の雪中で大聖人は次のごとく叫び給うた。「
詮ずるところは天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。乃至、本、願を立つ。日本国の位をゆずらむ、法華経をすてて観経等について後生を期せよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。其の外の大難風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」と。

 まことに、身命を賭しても全人類を救い切らんとの鉄石の御決意、微動もせぬ大慈大悲、これが仏様の御心であられる。
 この御文の中の「
本、願を立つ」とは何か。これぞ、立宗のときの大誓願であります。「いわずば慈悲なきににたり……今度、強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」と。この大誓願をいま佐渡の雪中で「我日本の柱とならむ…・等とちかいし願やぶるべからず」と仰せられた。まさに終始一貫、一貫不変であられる。

 立宗の御一念の中に

 いま心を静めてこのことを思えば、実に立宗の時の御一念・大誓願の中に、その後の御化導のすべてが含まれていることが拝せる。
 ずなわち、立宗より二十七年後に戒壇の大御本尊を建立あそばし出世の本懐を遂げ給うことも、未来日本国の広宣流布・国立戒壇建立も、さらに漢土・月氏・一閻浮提の広宣流布も、立宗のときの御一念の中に含まれている。すべては大聖人様の大悲願力によってなされるのです。
 ゆえに報恩抄に「
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までも流るべし」と仰せられるのであります。

 そして、一閻浮提広宣流布の鍵は何かといえば、日本国の広宣流布・国立戒壇建立です。もしこのことが実現すれば、一閻浮提広宣流布は一気に進む。
 よって大聖人が最も心を留め給うたのは日本国の広宣流布・戒壇建立です。全世界に広宣流布した後に本門戒壇が建立されるのではない。ですから「
国主此の法を立てらるれば」の「国主」とは日本国の国主であり、「勅宣並びに御教書」の国家意志は、日本国の国家意志であります。

 忠誠貫く百万の仏弟子

 では日本国の広宣流布はいつか。大聖人様は「
時を待つべきのみ」と仰せられている。そしてこの「」も、大聖人様が作って下さるのです。
 三月の総幹部会で私は申しました。「広
宣流布の遠序は昭和二十年の敗戦である。このとき初めて国家権力の弾圧なき時代が到来した。そして敗戦より七年後の立宗七百年の頃より、創価学会の大規模なる折伏が始まった。しかしこの広布の前進は、第六天の魔王のたばかりにより変質し、挫折してしまった」と。

 そうなんです。天魔その身に入りし池田大作は、自ら国立戒壇の御遺命を抛ち、六十六・七代の二代にわたる貫首を寵絡した。ために正系門家は未曾有の濁乱に陥った。よって「
仏法は体、世間は影」の仰せのまま、いま日本国は亡国の坂道を転がりつつあるのです。
 このとき、立宗七百五十年を期として、こんどは大聖人様に一筋の忠誠を貫く百万の仏弟子の大集団が出現せんとしている。この大集団は一念も御本仏を忘れ奉らず、最終段階の御奉公を、何としても成し遂げなければなりません。

 大聖人様のお力によって事は必ず成る。さもなければ、日本は亡んでしまう。ここに、本日の立宗七百五十年の大節を期として、全顕正会員は国立戒壇の建立を見つめ、いよいよ今一重の強盛の大信力を奮い起こし、何としても大聖人様に応え奉ろうではありませんか。






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