冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十四年七月十五・二十五日合併号


     「たばかりを見抜いて毅然と立て」
   謀略渦中の上野殿に懇切大慈の御教導

 「上野殿御返事」

 本抄は、若き上野殿に対して魔のたばかりともいうべき謀略が渦まいたとき、「
たぱかりを見抜いて毅然と立て」とお励まし下された、まことに有難い御書であります。

 「上野殿」というのは通称で、本名は「南条七郎次郎平時光」といわれる。父の跡を継いで駿河国(静岡県)上野の郷の地頭であったので、「上野殿」と呼ばれていたのです。
 本抄を賜ったとき、上野殿はわずか十九歳ですね。しかし歳は若くとも、父親ゆずりの信心の純粋さといい、人柄の重厚さといい、また地頭職という地位もあり、駿河一帯の門下の重鎮、在家の弟子の中心的存在であった。

 驚くべき内薫力

 上野殿は重大な使命を果された方です。ゆえにその宿縁の深さは、ただならぬ内薫力に見ることができる。内薫力とは、生命の内から薫発する宿縁の力です。メッキの信心ではない。いのちの奥底にひそむ、久遠からの御本仏との宿縁が、自然と外に出てくるのです。

 上野殿の父上は鎌倉幕府に仕える御家人で、地頭職に任ぜられていた。そして鎌倉にいたとき、大聖人にお値いし帰依し奉った。この父上も人柄すぐれた人で、信心は純粋、大聖人の化に浴し得たのはわずかの年数であったが、大聖人様は深く御心に留め給うておられた。上野殿は七歳のとき、この父に手を引かれ、たった一度だけ、大聖人様にお目にかかっているのです。
 しかし、その後まもなく、大聖人は佐渡へ流罪となり、また父上は病没された。普通なら、ここで信心を忘れてしまっても、何の不思議もない。ところが、大聖人様が佐渡から帰られ身延に入山あそばしたことを耳にするや、上野殿は直ちに、大聖人に献じ奉る供養の品々を携え、馬を駆って身延に詣でておられる。このときわずか十六歳です。

 いいですか。七歳のとき、たった一度だけお目にかかった、そのかりそめの縁を忘れず、大聖人様をお慕い申し上げているのです。まさに驚くべき内薫力というほかはありません。
 このけなげの姿をご覧になり、大聖人様はいかほど悦び給うたか。“亡き父上に姿ばかりか、心まで似ておられる”と、そのときの御書に仰せであります。
 以来、上野殿の信心は一筋ですね。七十四歳で生涯を終えるまで、いささかのたゆみもなく、一筋の御奉公を貫かれた。

 涙の出る赤誠の供養

 ことに、身延山中にまします大聖人様を供養しまいらせたその赤誠は、偲びまいらせれば涙が出てまいります。上野殿は地頭といっても、小郷の地頭です。そのうえ幕府から理不尽な公事(公役)を常に割り当てられ、経済的にはかなり窮迫していたのです。その中に、山中の大聖人の御事を思い、真心の供養を続けられたのだから、涙が出てくるのであります。

 その状況を大聖人様はこう仰せられている。「
其の上、わづかの小郷に多くの公事責め宛てられて、わが身は乗るべき馬なし、妻子は引きかくべき衣なし。かかる身なれども、法華経の行者の山中の雪にせめられ食乏しかるらんと思いやらせ給いて、銭一貫送らせ給えるは……」と。
 しかしこの功徳は、現世に大功徳となってあらわれている。晩年には大福運の人となっているのです。だから大石寺建立という御奉公も、成し得たのであります。まことに「
現世に大果報をまねかん事、疑あるべからず」の仰せのとおりであります。

 大使命を果す

 さて、上野殿の果された使命を拝見するに、まず第一に挙げるべきは、大聖人様が出世の本懐をお遂げあそばす時に起きた熱原の大法難において、自らの地頭職、いや身命までも賭して法華講衆を守らんとされたこと。まさに、不惜身命の御奉公を貫かれたことであります。
 このとき大聖人様は、お手紙の宛書を「
上野賢人殿御返事」と認められ、さらに追伸には「此れは、あつわらの事のありがたさに申す御返事なり」と仰せられている。
 まさしく上野殿は、大聖人の御化導における最終段階に、重大な御奉公を貫いたお方なのであります。

 そしてさらに、大聖人御入滅後においては、日興上人・日目上人に仕え奉って大石寺を建立し、広宣流布の礎を築かれた。この滅後の御奉公は実に五十年です。そして日興上人・日目上人が御遷化された前年の正慶元年に、七十四歳で亡くなられている。
 まさに上野殿は、重大な使命を果すために生まれ出でたお方というべきであります。

 上野殿が本抄を頂いたのは建治三年ですね。この年は、大聖人様が五十六歳であられ、日興上人は三十二歳、日目上人は十八歳、そして上野殿は十九歳です。このお姿を拝見するとき、御本仏・日蓮大聖人を中心に、唯仏与仏の日興上人、一閻浮提の御座主・日目上人、そして外護の大檀越・上野殿。まさしく下種仏法の源流をここに仰ぎ拝する思いで、ただ大感動が込み上げてまいります。

 魔障の嵐

 この上野殿に魔障の嵐が吹き始めてきたのが、建治三年ごろからです。熱原の法難の二年前ですね。この背景には何があったのかというと、あの悪僧・良観の策謀があった。
 良観は、大聖人が身延に入山されてよりは、もっぱら、大聖人を外護し奉る有力な信者を陥れようとした。これが四条殿・池上殿への迫害となってあらわれ、また上野殿への魔障の嵐となってきたのです。
 ことに駿河の国・富士地方には、日興上人の死身弘法により、正法に帰依する者が日々に増大した。これを見て、幕府の中枢ならびに良観等の邪宗の者どもは恐れを懐き、何とかこれを阻止しようと悪計を企んだのです。

 ここにまず、若き地頭職・上野殿を退転せしめんとの謀略が始まり、そして二年後には、いよいよあの熱原の大法難が巻き起こったのであります。幕府や良観等は、駿河一帯の中心者である南条時光を落とせば、すべての者が退転するであろうと、まず上野殿に狙いを付けた。
 その謀略の手口はどのようなものだったかというと、甘い言葉と脅しです。周囲のさまざまな者が、入れ替わり立ち替わり上野殿に近づいて来ては、さも味方のような顔をして、たばかりを以て大聖人様への信を壊さんとした。
 “
あなたは日蓮房を信じているかもしれないが、あの人は法然上人や弘法大師の悪口ばかり言うから、流罪になったんだ” “佐渡では武器などを蓄え、悪いことを企んでいたらしい” “お上を始め国中から憎まれている人を、いつまでも信じていると、あなたの身に大変なことが起こりますよ”などと、たばかりをしたのです。

 上野殿は幕府直参の武士であり、幕府から地頭職の任命を受けている。よってもしお上の勘気を蒙ったら、所領没収だけでなく、命を奪われることもある。謀略はここを狙って、さも味方のような顔をして「
早く信心をやめろ」と威して来たのです。
 上野殿は、この魔の動きを、逐一、大聖人様にご報告申し上げた。そしてこのとき賜った御書が、本抄なのであります。

 大意 

 本抄の大意を一言でいえば、「
下種の御本仏が出現して三大秘法を弘めるときには、釈迦仏の予言のごとく未曾有の大怨嫉が一国に巻き起こる。そしてこの御本仏の弟子となる者にも、また怨嫉が起きる。ここにいま、上野殿に起きた魔の謀略に対し、よくたばかりを見抜いて毅然と立つべきを、懇切に御教導下された御書」であります。

 それでは本文に入りましよう。

 上野殿の真心の御供養に対し「珠のごとし、くすりのごとし」と

 初めに、上野殿が送られた、真心こもる御供養に対し、感謝の意を示されている。「
いものかしら」とは里芋のことです。当時は天候不順で作物がとれない。その中の貴重な芋であるから「珠のごとし、くすりのごとし」と仰せられる。
 そして上野殿が使いに託してご報告申し上げた「
魔のたばかり」について、確かに「うけ給わり候いぬ」と仰せ給うておられる。

 賢人でも引っかかるたばかりの恐ろしさ

 まず、たばかりの恐るべきことを、世問の例を引いてここにお示し下されている。たばかりとは、ウソをついて人を陥れることですね。上野殿に対するたばかりとは、日蓮大聖人を悪口中傷して、大聖人への信を薄くさせようというものです。
 巧妙なるたばかりは、よほどの賢人でも引っかかる。その恐ろしさを、まず世間の例を引いて示さるのです。

 -- 尹吉甫という人には一人息子の伯奇がいた。二人は共に賢く、子は父を敬い、父は子を深く信頼していたので、この父子の仲は誰人も裂くことができないと思われていた。ところが後妻がこの家に入って来た。そして二人の仲を裂こうとしたのです。継母は、しばしば息子の悪口を夫に言いつけた。しかし賢い父親は悪口をどれほど言って来ても、これを受けつけなかった。
 そのうちに継母は、とんでもない“たばかり”を思いついた。あるとき、蜂を自分の懐に入れ、急ぎ伯奇を呼んでこの虫を取らせた。しかもその場面をわざと父に見せ「
まあ、この子は息子のくせに私に思いを寄せている」と言って、息子を陥れようとしたという。

 釈尊在世の提婆達多のたばかり太子・阿闍世を誑かし父王を殺させる

 この段は、釈尊在世の提婆達多のたばかりを示されている。この提婆の怨嫉も、すべてはこれ釈尊に法華経を説かせまいとする第六天の魔王のしわざであります。
 -- 頻婆娑羅王という王は賢王であった上に、釈尊を外護した檀越の中ではインド第一であった。しかもこの王は、釈尊が法華経を説こうと決めていた摩竭提国の主でもあった。
 このように、王と仏が一体であれば、必ず法華経が説かれるであろうと見えていたが、提婆達多という悪人がこれを妨害しようとした。

 この提婆という男は釈尊の従兄です。智恵も勝れ力もあったが、名利の念がきわめて強く、釈尊が衆に尊ばれるのを見て嫉み、ことごとく釈尊に敵対したのです。で、提婆は、何とかして王と仏の同心を破ろうとした。しかし、全くその機会がないまま思いをめぐらせているうちに、あるたばかりを思いついた。それは、頻婆沙羅王の太子・阿闍世をたぶらかすことだった。
 提婆は甘い言葉で若い阿闍世を誘惑し、やがてその心を取った。そして親と子の仲を裂いて阿闍世をそそのかし、ついに父王を殺させた。

 かくて提婆と阿闍世王が一体となったので、全インドの外道・悪人どもが雲かすみのごとくこの摩竭提国に集まってきた。これらの者に提婆・阿闍世は領地を与え、財物を施して心を和げ、そそのかしたので、ついに全インドの王が釈尊の大怨敵となった。

 第六天の魔王、提婆等の身に入る 形は人であっても力は第六天の力

 -- 第六天の魔王は無量の眷属を引き連れて打ち下り、摩竭提国の提婆・阿闍世・六大臣等の身に入り替わったので、形は人であっても、彼らの力は第六天の力そのものであった。
 ゆえにその凄じさは、大風が大海の波を立てるよりも、大地震が大地を動かすよりも、大火が連宅を焼くよりも、なお騒がしく恐ろしく、戦慄的なものであった -- と。
 「第六天の魔王」とは、この大宇宙には仏法を守護する諸天の働きと共に、仏法を破壊せんとする働きも実在する。この仏法破壊の働きを魔といい、その中心的存在が「第六天の魔王」なのであります。

 仏様が成仏の大法を説かんとするときには、この第六天の魔王は必ず無量の眷属を引きつれて妨害するのです。魔は権力者・悪人等の身に入る。そこで「形は人なれども力は第六天の力なり」の凄じい妨害が起こるのです。
 では釈尊に対して、どのような迫害が起きたのか、その大難の姿が、次文に示されております。

 釈尊の受けた恐ろしき大難 この大難ののち、ついに法華経を説く

 -- されば、はるり王は阿闍世王にそそのかされて釈迦仏の一族を数百人を切り殺し、また阿闍世王は酔象を放って釈尊の弟子一行を踏み殺させた。あるいは兵士を待ち伏せさせたり、あるいは井戸に糞を入れ、あるいは女人をかたらって仏弟子を陥れた。ために舎利弗・目連がことに遭い、加留陀夷が馬糞に埋められたりしたのである。

 これらを見て、世間の人々は“悪人には仏の御力も及ばないのではないか”と思い、信じていた人々まで、物も言わず眼を閉じ、ただオロオロするばかりであった。そのうえ提婆達多は、釈迦仏の養母・蓮華比丘尼を打ち殺し、さらに釈尊を殺害せんと崖の上から岩を落とし、足の小指から血を出さしめた。
 このような凄じい迫害を眼前にすれば、誰が釈尊の味方をするであろうか。ところが、このような大難の末に、ついに釈尊は、出世の本懐たる法華経を説かれたのである ― と。

 法華経の重大なる予言「猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」

 その法華経には、次のような重大な予言が説かれている。「
而も此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」と。

 この経文の意を大聖人は「
釈尊の在世においてすら此の経の敵はかくのごとし、いわんや末代に法華経を一字一点でも説き信ずる人においておや」と釈し給うておられているが、その元意は“釈尊が熟脱の法華経を説いてすらなお怨嫉かくのごとし、いわんや末法に下種の本仏出現して法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を弘めるにおいておや”ということであります。

 天台・伝教は法華経の行者ではない 釈尊在世の大難すら身に受けず

 正像二千年の問には未だ法華経の行者なし、ということをお示しの一段であります。

 -- 「
況んや滅度の後をや」の経文を以て思うに、釈尊が法華経を説かれてより今に至るまで二千二百二十余年になるが、未だ法華経を釈尊のごとく読んだ人は一人もいない。
 大難を受けてこそ法華経を知った人というべきであるのに、中国・日本で法華経を説いた天台大師・伝教大師こそ法華経の行者とは見えるが、二人はいまだ釈尊在世のような大難を受けていない。天台はただ南三北七の、また伝教は奈良七大寺の悪口を受けたに過ぎない。未だ国主が敵となることもない。万民が殺意を懐いて剣をにぎることもない。一国こぞって悪口を吐くこともない。

 釈尊滅後に法華経を信ずる人は、釈尊在世の大難にまさる大難を受けると説かれているのに、天台・伝教は釈尊と同じほどの難さえ受けていない。いかにいわんや、それより勝れたる大難・多難においておや -- と。

 下種の御本仏が三大秘法を弘める時 始めて一国に大怨嫉が巻き起こる

 さあ、いよいよこの段において、日蓮大聖人こそ末法下種の御本仏であられることが明かされている。
 すなわち下種の御本仏出現して、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経を弘めるとき、始めて釈尊在世にすぎたる大難が起こることを、天馬空を行くごとき御筆致をもって、ここに説き出し給うている。まことに大事な一段であります。

 -- 虎が嘯けば大風が吹く、竜が吟ずれば雲が起こる。だが、野兎がうそぶき驢馬がいななこうとも、風は吹かず雲も起こらない。すなわち、意味もわからぬ愚者が法華経を読んでも、あるいは天台・伝教のような賢者が法華経の義を講じたとしても、国も騒がず、事も起こらない。
 だが「聖人」、すなわち久遠元初の自受用身・下種の本仏が末法に出現して、法華経の本門寿量品の文底に秘沈された南無妙法蓮華経を弘め給うとき、始めて国主は敵となり、万民は剣をにぎり、一国が悪口を吐くという、釈尊在世にすぎたる大難が起こるのである -- と仰せられる。まことに、大聖人様の御化導を拝見すれば、その通りです。

 立正安国論を以て諌暁の師子吼をあそばすや、忽ちにして念仏の暴徒数千人が草庵を襲撃して大聖人を殺害せんとした。次いで国家権力による伊豆の流罪が起こり、さらに小松原の剣難があり、ついには竜の口において絶体絶命の死刑罪、引き続き極寒の佐渡への流罪があった。まさに「
一国もさわぎ、在世にすぎたる大難をこるべし」の仰せのままです。釈尊は流罪には値ってない、大聖人様は二度値い給うておられる。釈尊は国家権力による死罪には値ってない、大聖人様は竜の口の頸の座に臨み給うておられる。釈迦仏にすぎたるこの未曾有の大怨嫉こそ、大聖人様が、釈尊の予言した末法下種の御本仏であられることの、確証なのであります。

 経文符合を以て御本仏の境界示さる 偽善の良観は「不思議なり提婆が如し」

 大聖人の仏法上の大境界を、経文符合を以て、悠々とお述べあそばすところです。

 -- いま自分は賢人でもない、ましてや聖人など思いもよらない、天下第一の僻人である --と。これはご謙遜のお言葉であり、また世間の悪口を引いて「
僻人」と仰せられる。このように敢えて身を下げられるのは、経文符合を以て御自身の大境界を顕わし給うゆえであります。ゆえに「但、経文計りにはあひて侯やうなれば」と。
 釈尊は末法出現の御本仏が受ける大難の相を、法華経勧持品に克明に明かし予言している。そしてこの経文の一々を身で読まれたお方は、全世界で大聖人ただ御一人であられる。この、経文符合という厳然たる事実を以て、御自身の甚深の御境界を示し給うておられるのです。

 ゆえに -- 大難が来れば、懐かしき父母が生き返ったよりも、また憎い者が事に遭ったよりも嬉しく思う。愚者であっても、釈尊から「
聖人」と思われることこそ何より嬉しいことである。逆に良観のごとく、智者であるうえ二百五十戒の戒律をたもち、万民には諸天が帝釈を敬うよりも敬われたとしても、釈迦仏・法華経から「不思議なり、提婆がごとし」と思われたならば、人目には良く見えるが、後生は恐ろしい -- と仰せられる。

 現代の良観

 この良観の偽善を破された御文を拝見するたびに、いつも私は思うんですね。「
池田大作はそっくりだなあ…」と(大笑)。
 彼は口を開けば“
平和”“人権”“非暴力”などと、心にもない偽善の言葉を吐き、世界中から勲章や名誉博士・名誉教授・名誉市民などの称号を買い漁る。愚かな学会員はこれを見て「池田先生はエライのだ。世界中が賞讃している」と本気で思う。
 しかし大聖人様の御眼から見れば、御遺命を破壊せんとした上に世俗の名利ばかり求めるこの男、必ずや「
不思議なり、提婆がごとし」と思しめされるに違いない。そうなれぱ、まさに「人目はよきやうなれども後生はおそろし、おそろし」であります。

 すべては魔の働き

 さて、釈尊に対するさまざまな大難、さらに大聖人様に対する流罪・死罪の巨難。なぜこのようなことが起こるのかといえば、すべては第六天の魔王の働きです。魔というのは、一切衆生成仏の大法を、断じて仏様に説かせまいとする。
 ゆえに釈迦仏のときには、第六天の魔王は提婆・阿闍世の身に入って妨害した。そして御本仏日蓮大聖人の御時には、国家権力の中枢の平左衛門、あるいは一国の尊敬を集めている良観等の身に入り、御命を奪わんとしたのです。
 しかし大聖人様は、絶大威力を以てこの大難に打ち勝たれた上で、本門戒壇の大御本尊を日本国に留め給い、広宣流布・国立戒壇建立を御遺命あそばされた。

 いいですか。この御遺命がいよいよ成就されるというとき、この第六天の魔王が果して拱手傍観しているでしょうか。ここに第六天の魔王は広布の前夜、正系門家の内部から御遺命を破壊せんとして、池田大作の身に入ったのです。
 そして六十六・七代の二代にわたる貫首を籠絡して、正本堂のたばかりをなして七百年来の宿願であった「国立戒壇」を放棄させ、千余人の僧侶・八百万人の信徒をこれに従わせた。この池田大作の力は、まさに「
形は人なれども、力は第六天の力なり」の仰せのままであります。

 その彼が、いま最も恐れているのは何か。それは“解散処分の死罪を乗り越えた顕正会がいよいよ百万にならんとしている。もしこのまま行くならば…”ということです。ここに、何としても顕正会の折伏弘通を妨害しようと、卑劣な謀略をいま全国で展開しているのです。全国でバラ撒かれている顕正会を誹諾中傷する膨大なるビラは、まさに池田の焦りを表わしている。
 また、もし自分の職場で、学校で、地域で、不自然かつ不可解な迫害や妨害活動があったら、その背後には、必ず学会の謀略があると思えば問違いない。これすべてその本質は、広宣流布・国立戒壇建立を実現させまいとの、第六天の魔王の働きなのであります。

 魔は味方のような顔してたばかる 一人毅然と立ち、みなの信心を守れ

 さあ、いよいよこれから先が、上野殿への懇切なる御訓誡であります。下種の御本仏の弟子となる者、また難を受ける。そのたばかりを見抜き、毅然と立てとの、大慈大悲の御教誡であります。

 -- それにつけても殿は「
法華経の行者に似させ給えり」と。たいへんなお言葉ですね。上野殿のひたむきな信心をおほめになっておられるのです。しかしそのゆえに、必ずや、親しい者もそうでない者も訪ねて来ては、こういうであろう。
 “日
蓮房を信じて、あなたもさぞ迷っていることでしよう。このままだと、お上から必ず睨まれますよ”と。あたかも味方のような顔をして、教訓するであろう。このとき、たとえ賢人であっても人のたばかりは恐ろしいものであるから、もしたばかりを見抜かなければ、必ず退転してしまうであろう。はっきり敵とわかる者には、誰もひっかからないからよいが、味方のような顔をして来る者こそ用心しなければいけない。

 大魔が入った者どもは、一人を唆して退転させれば、それを引っかけとして、多くの人々を退転させるものである。たとえば、門下の弟子の中に少輔房・能登房・名越の尼(大尼御前)などという者たちがいた。この者たちは欲が深く、臆病で、仏法のことは何もわからないのに「
智者」と自讃していた名利の者どもであったので、あの竜の口の大難のとき、自分が退転するだけでなく、多くの人々を退転させている。
 いま上野殿が、もし魔の謀略に引っかかって退転することがあるならば、駿河の国でいま入信している者も、また信じようとしている人々も、みな退転するであろう -- と。

 まさに上野殿は駿河一帯の中心者、多くの人々の信心を支える立場にいたのです。ゆえに大聖人様は、魔のたばかりを見抜き毅然と立てと、強く仰せられるのであります。
 ここに思うことは一人が毅然と立つとき、その信心の波動は必ずや全員に伝わるということです。
 広宣流布のその日までは、さまざまな魔障があり、壁がある。そのとき、ひとり毅然と立って大勢の人々の信心を守る者こそ、本当の幹部なのであります。
 さらに大聖人は仰せられる。--
されば、この甲斐の国(山梨県)にも、信じたいという人々が少々いるが、堅く決定している者でなければ、入信させないようにしている。それは、いいかげんな者が、信心するようなふりをして内部で乱れたことを言い出すならば、かえって人々の信心をも破ることになるからである -- と。
 このような厳格の仰せ出だしは、いよいよ出世の本懐成就に当って、大法難巻き起こるであろう重大な時なるがゆえに、かく厳重に仰せられるのであります。では、広宣流布はどうなるのか。その御指南が次文であります。

 広宣流布についての重大の御予言「
日本国一時に信ずる」は必ずや事実に

 この御文は、広宣流布は必ずや実現するとの、御断言であります。「
梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」とは、諸天の働きにより他国侵逼の大難が起こり、このとき、国の亡ぶ恐しさ、我が命を失う恐しさから、今まで軽んじていた日蓮大聖人を、日本一同一時に信じ「南無妙法蓮華経」と唱えるに至る、との御断言であります。このことについては、撰時抄の次の御文を、よくよく拝し奉るべきです。

 「
前代未聞の大闘諍・一閻浮提に起こるべし。其の時、日月所照の四天下の一切衆生、或は国ををしみ、或は身ををしむゆえに、(乃至)彼のにくみつる一の小僧を信じて(乃至)皆頭を地につけ掌を合わせて、一同に南無妙法蓮華経ととなうべし」と。広宣流布は凡夫の力でなされるのではない。すべては大聖人様のご力用です。ゆえに「絶対」なのであります。
 -- そして広宣流布が実現すれば、その時には「
実は私も本から信じていたんです」などと言い出す者が、必ずや多く出て来るであろうと -- 仰せられる。そうなんです。広宣流布になれば“信心している”といったほうが我が身のためになる。そうなれば、今まで悪口を言っていた卑怯者ほど「我も本より信じたり」と言い出すに違いないのです。その時になったら、もう私たちは、黙っていればいいのです。少しも自慢する必要はない。

 だが、反対の声うず巻く広布前夜には、師子王のごとき気魄で戦い、大聖人様に忠誠を貫き通さなければいけない。これが顕正会の精神であります。

 「我が命は上にまいらせ候べし」この肚を決め切って謀略を破れ

 この段は、上野殿に捨身の決意を促されると共に、謀略への具体的対応をお示し下されている。まことに徹底した御指南であります。たばかりをなす者は、幕府からの「領地没収」あるいは「死罪」を以て脅している。これを恐れていたら魔に負けてしまう。ここに大聖人様は、捨身の決意を促し給うのであります。
 こう仰せられる。「
我が命は事出できたらば上にまいらせ候べしと、ひとへにおもいきりて」と。
 -- もしお上から“
信心をやめぬなら首を刎ねる”というような大事を言って来たならば、その時は黙って我が首を差し出そうと、ひとえに思い切りなさい、肚を決め切りなさい -- と仰せられる。
 この肚を決め切ったら、もう怖いものはなくなる。脅しや誘惑も通用しない。この捨身の肚を決め切ったとき、凡夫の殻を破って、始めて成仏が叶うのであります。

 さらに仰せられる。-- 何ごとにつけても、柔らかな言葉で、いかにも味方のような顔をして、大聖人のことを中傷しては信を薄くさせようとたばかる者が出て来たならば、“自分の信心が試されているのだ”と思って、こう言い切りなさい。
 「みなさんが、私のことをいろいろと心配し教訓してくれることは嬉しい事です。ただし、私のことより、御自身を教訓されたらどうか。上(主君・北条時宗)が、未だ大聖人を信じていないことは私がよく知っているのに、その上を以て威すことこそ、かえっておかしい。実は、こちらから伺って仏法のことをお教えしたいと思っていたところ、先手を打たれました。もし閻魔王に、我が身と愛しい御妻と子が引っぱられる時には、この時光にさぞや手を差しのべられることでありましょう」と、こう憎く気に言い切りなさい -- と。
 まことに徹底のご指南であります。怯えれば魔につけ入られる。肚を決め切るとき、いかなる謀略も破れるのであります。

 「法華経のために命をすつる事ならば」重ねて捨身の決意を促がし給う

 前段と同じご趣旨を重ねて御指南下さり、結びとされている。 -- 千丁歩・一万丁歩というような広大な土地を持つ領主も、わずかなことで失脚しては命を捨て、所領を没収される例はいくらでもある。ならば、同じく捨てる命を、こんど法華経のために捨てるなら、何で惜しいことがあろうか -- と。
 まことに仰せのとおりですね。人は一度は必ず死ぬ。そして世間のつまらぬことに命を落とす者は多い。だから仏に成る人もない。
 だが、もし仏法のために身命を捨てるなら、永遠の仏果を得ることができる。このふてぶてしいまでの肚を決めるなら、この世に怖いものはなくなる。この捨身の決意を、重ねてここに促がし給うのであります。

 さらに仰せられる。-- 今もしこの信仰を捨てるなら、かえってその無様は、人の笑いものになるであろう。彼らは味方のような顔をして、たばかり退転させては我も笑い、人にも笑わせようとしているのである。その魂胆こそ怪しからんことであるから、彼らの言いたいことをすべて言わせたのち、多くの人が聞いているところで、こう言いなさい。「人を教訓するよりも、我が身を教訓すべきである」と。こう言い切って「かっぱとたたせ給え」毅然と席を立ちなさい -- と仰せあそばす。
 まことに懇切のご指南、大慈大悲のご教導であります。このご指導により上野殿は、魔のたばかり・謀略の全貌を見抜いて、捨身の決意に立たれた。そして二年後、あの熱原の大法難において、地頭職だけでなく身命をも賭して、大聖人の御意に叶う御奉公を貫かれたのであります。

 法難直後の御消息に云く「
此れは、あつわらの事のありがたさに申す御返事なり」「上野賢人殿」と。この大聖人様のお認めこそ、上野殿の捨身の信心と大功を万年に讃え給うた、有難き御文であります。

 今こそ広宣流布の時

 さて、本抄を拝し終わって思うことは、時に当って最も大事な御指南は、未来事の広宣流布についての御予言であります。すなわち「
ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。前に述べたごとく、「梵天・帝釈等の御計い」とは、諸天の働きにより誇国・日本に、他国侵逼が起こるということです。

 すなわち御在世には大蒙古の責めがあり、このとき日本一同、日蓮大聖人の御威徳と南無妙法蓮華経を心田深く刻みつけた。これが御在世の逆縁広宣流布。そして「末法濁悪の未来」に再び他国侵逼が起き、このとき「
日本国一時に信ずる事あるべし」が事相となる。これが順縁広宣流布。すべては大聖人様の御力によるのであります。

 では、その「時」はいつなのか。いま大聖人御入滅より七二十年、立宗よりは七五十年。漸くその時が近づいて来たごとくであります。よく見てごらんなさい。近年、正系門家において、未曾有の大悪が起きたでしょう。七百年来宿願とされて来た国立戒壇建立の御遺命が抛たれてしまったのです。また一国は、七百年前に大聖人の御頸を刎ね奉るという大逆罪を犯しながら、未だ改悔なく軽賎を続けている。
 これで国が持ちましょうか。ためにいま、日本は亡国の坂道を転げ落ちつつあるのです。しかし、この濁悪の日本国の中に、日蓮大聖人を一念も忘れ奉らず、一筋の忠誠を貫く百万の仏弟子の大集団が出現せんとしている。この顕正会が、大聖人の御心のままに一国を諌暁する。すなわち「
日蓮大聖人に背けば日本は必ず亡ぶ」と声を大に叫ぶならば、やがて一国に怨嫉が巻きおこる。そしてこの怨嫉が頂点に達するとき、諸天の働きにより、自然と他国侵逼の大罰が起きてくる。

 このとき、日本の人々は、国亡ぶの恐しさ、わが命を失うことの恐しさに、それまで軽んじていた日蓮大聖人に帰依し奉り、掌を合わせて「
南無日蓮大聖人」「南無妙法蓮華経」と声をつるべて唱え奉る時が、必ず到来するのであります。すべては大聖人様のお力によるのであります。
 顕正会はすでに、凡夫の力ではとうてい叶わないと思っていた「
不思議の還御」を拝見している。「日本国一時に信ずる事あるべし」の不思議も、必ずや拝見させて頂けること、断じて疑いない。
 百万こそ本格的な一国諌暁の重大な節。大聖人様はお待ちあそばす。さあ、百万めざし、一気に戦いを進めようではありませんか。


 


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「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠