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顕正新聞 平成十四年八月二十五日号
清純熱烈、女子部合宿研修開く
七千五百名、熱烈の求道心で馳せる
全体集会・特別講義に大感動渦まく
浅井会長講演
きょうは、よくぞはるばると全国から、この岩手・花巻に馳せ参じてくれました。一人ひとりが、さまざまな困難・苦労を乗り越えての参加であれば、その強き求道心、心から有難く思います。
この大ホールを埋め尽くした皆さんの信心に輝く顔を見ていると、まさしく広布最終段階を戦う地涌の流類一堂に会すの、感がいたします。
「日本第一」
顕正会の女子部は日本第一です。この合宿に参加した幹部だけで七千五百名。これほど一致結束した大集団が日本のどこにあるだろうか。いわんや日蓮大聖人の御遺命を奉じて日本を救わんと立つ、これほど崇高の使命に生きる若き女性の大集団が、どこにありましょうか。ゆえに私は「日本第一」というのであります。
すでに広宣流布の最終段階であればこそ、このように地涌の流類が続々と、いま顕正会に集いつつあるのであります。
八月は原点の月
で、この八月というのは顕正会の原点の月ですね。顕正会が広宣流布をめざして発足したのが昭和三十二年の八月三日、そして国立戒壇の御遺命を守り奉ったゆえに解散処分を受けたのが昭和四十九年の八月十二日、いずれも八月です。ゆえに八月を原点の月というのであります。
私は毎年八月を迎えると、峻厳の思いが胸に湧いてまいります。ところで今年の八月三日は、あの蓮が咲いたんですよ。大賀蓮が…。今年はまさか咲くまいと思っていたところ、咲いたんです。恐らく、七月の折伏が凄かったんで(笑)、蓮もがんばったに違いない(大笑)。みんな感激して、ロビーのガラス越しにこうやって(大笑)。だからガラスに鼻の跡がいっぱい(大爆笑)。
仏果は永遠
いつか説明しましたが、蓮には三つの徳がある。そのうちの一つが種子不朽の徳ですね。蓮の種子は永遠に腐らないという。大賀蓮は三千年前の種ですよ。三千年前といえば釈尊の時代です。その当時の蓮が、いま顕正会の池に咲いておる。なんとも不思議な感じがしますね。
この種子不朽の徳とは、私たちの生命の永遠、ことに仏果の永遠を表わしているのです。すなわち、ひとたび仏果を得るならば、その仏果は永遠に崩れることがない、ということなのであります。
難きの中の難き
いま私たちはこうして日蓮大聖人の仏法の流れに浴しているわけですが、これを決して当り前に思ってはいけない。下種の大法、三大秘法に値い奉るということは、難きの中の難きなのです。なぜかというと、そもそも人間に生まれてくること自体が、たいへん難しいことなのです。この大宇宙にはどれほどの生物が存在しているかわからないが、その中で万物の霊長たる人に生まれること自体が、稀なのです。
たまたま人に生まれても、仏様に値うことはまたまた稀である。なぜなら仏は無量劫に一度しか出現しないからです。そしてまた、釈尊のごとき熟脱の仏、すなわち三世十方の諸仏には値うとも、久遠元初の下種の御本仏に値い奉るということは、まことに難きの中の難きなのであります。いま私たちは宿縁深くして、この値い難き下種の御本仏・三大秘法に値うことができたのです。
しかるに、もし退転したらば、いつの日にか再び人間として生まれることができるか。いつの日にか再びこの三大秘法に値い奉ることができるであろうか。
成仏こそ人生の大願
このことが分かったら、何としても退転なく、この短い一生において、仏果を得させて頂かなければならない。もし一生成仏を遂げるならば、もう未来永遠、生々世々に御本尊と離れ切れることはないのです。
ゆえに大聖人様は生死一大事血脈抄に「過去の生死・現在の生死・未来の生死、三世の生死に法華経を離れ切れざるを、法華の血脈相承とは云うなり」と仰せになっておられる。もし今生に仏果を得るならば、生々世々に大聖人様の眷属として、御本尊まします処に生まれることができる。されば人生の大願は、まさに一生成仏にあるのであります。
崩れぬは信心の功徳だけ
世間のかりそめの幸せ、あるいは華やかさなどというものは、福運が切れればアッというまに崩れてしまう。ビールの泡みたいなものです。
田中真紀子を見てごらんなさい。ついこの間まで、彼女はマスコミにもてはやされ、次期総理大臣のナンバーワンだったでしょ。しかし秘書給与の問題で、忽ちに崩れ落ちてしまった。議員を辞職しても詐欺罪を免れることはできない。いずれ検察が動き出すでしょう。まことにアッというまの凋落です。 あの野村サッチーなんていうのもそう。デビ夫人とやらも(大笑)。みなご同様ですね。
崩れないのは、信心の功徳だけです。強き信心で我が身に具わった功徳だけは、誰が壊そうとしても壊せない。仏法の功徳は現当二世であります。現世には生活が不思議に守られ、臨終には成仏の相を現じ、未来永遠に白受法楽することができる。これを教えて下さった生活法が、すなわち大聖人様の仏法なのであります。
「成仏の延びん時」
こんな偉大な仏法に値いながら、もし退転をしたら、損をするのは自分なんです。だれが損するのでもない、自分が損をするのです。
ゆえに大聖人様は新池御書に「始めより終りまで、弥信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。警えば鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日余り歩みをはこびて、今一日に成りて歩みをさしをきては、何として都の月をば詠め候べき」、さらに「信心弱くして成仏ののびん時、某をうらみさせ絵うな」と。信心弱くして成仏が延びてしまった時、すなわち一生成仏が叶わなかったとき、大聖人を恨んではいけないと仰せられる。わかり易くいえば、いいかげんな信心をして臨終に悪相を現じたとき、“しまった”と思っても遅いということです。
ですから私は、顕正会員の良き臨終の報告を聞くことが、一番嬉しい。顕正会の会長として、有難さが胸に込み上げてくるんです。たとえば群馬県婦人部の伊藤春代組長、同じく群馬県の小林みさを組長。それぞれ家族がその臨終の姿を総幹部会で発表したから、皆さんも覚えているでしょう。
伊藤組長のこと
こういうことでしたね。伊藤春代さんは肺がんで「余命一年」の宣告を受けた。このとき彼女は大ショックを受けたという。当り前ですね。ところが、そのあとが、信心してない者とは違った。大ショックの中にも、肚を決め切ったというのです。どうせ死ぬ命なら、病気で最後まで怯え切るよりも、もう命は御本尊様にお任せして、体力のあるうちは、知人にこの偉大な仏法を伝えたいと。こういう決意に立ったというんです。
そして知り合いの二人に「この御本尊は有難いよ」と教え、入信させた。折伏された人たちは「まさか余命わずか数ヶ月の人とは、とうてい思えなかった」と言っていたという。伊藤さんは息子さんに、何度もこう言っていた。「がんを人はなぜ恐れるのか。それは痛みが激しく、もがき苦しんで死ぬからなんだよ。でも御本尊様のおかげで私はその痛みから解放され、成仏させて頂けるならば、こんなに嬉しいことはない」と。
そして昨年二月の総幹部会で、自ら体験発表をしましたね。肩で息をしながらも、けなげに堂々と登壇したその姿、いまでも私の目に焼きついております。そのとき伊藤組長はこう言った。「肚を決め切るということは、こんなにも素晴らしいことなのか」と。これは、病気に怯えることなく、死を恐れることもなく、不思議の生命力を頂いて知人に仏法を伝えることができたという喜びを述べたものです。そして最後にこう言いました。「願わくば、あと十有余年の命を頂いて、息子と共に光り輝く御生骨を拝観したい。しかし、もしその前に命が終わるならば、願うことはただ一つ、成仏のことだけであります」と。
そしてこの発表の翌月、見事な臨終を遂げました。その模様を息子さんが翌月の総幹部会で発表したが、その報告によれば「母は最後まで自力でトイレを済ませ、廊下で正座して手を合わせ、お題目を唱える中に、病気の苦しみもなく臨終を迎えた」と。その臨終の相は、御金言のままに、色白く、柔らかく、赤白端正、あまりの素晴らしい成仏の相に、駆けつけた婦人部の幹部たちも、しばし見とれるほどであったという。私はなにも、病気のときに無理して折伏せよなどと言っているんじゃないですよ。ただ、病気に負けて御本尊を見失ってはいけない、信心が消し飛んではいけない、と言っているんです。上野殿が弘安4年に重病にかかったとき、大聖人様はわざわざ御書をお認め下さり「命はかぎりある事なり、すこしもをどろく事なかれ」と仰せ下された。これが肚を決め切るということなのです。このとき成仏が決まるのであります。
小林組長のこと
また小林みさを組長のこと。この人は小林恵美子本部幹事のおばあさんですね。長いこと邪教をやっていた。何十年も。その執着から、家族が何度勧めても頑強に入信を拒んでいた。しかし家族の熱心な勧めでついに入信をした。このとき八十八歳。で、えらいと思うことは、この人は入信するや折伏理論書を繰り返し真剣に読んだというのです。
そして「この御本尊以外に成仏の法はない」という確信に立った。同時に思ったことは、長いことやっていた邪教の罪障だったという。この道理がわかるというのが、生きた教学なんですよ。教学というのは暗記じゃない。で、小林みさを組長はこう言っていたという。「自分は長い間謗法をやっておって罪障が深いから、一生懸命やらないと成仏させてもらえない。だから、がんばるのだ」と。
この決意をしてから、すっかり元気になってきた。そして入信してから亡くなるまでの五年間に、十七人もの知人を入信させた。本年の一月、九十三歳で亡くなられたが、亡くなる前、常に家族にこう言っていたという。「この仏法に巡り値えてから、毎日が楽しかった。こんなに素晴らしい仏法に巡り値えて、有難い、有難い」と、感謝の言葉を繰り返し述べていたというんです。そして、いささかも苦しむことなく、その臨終の相はまた、御金言のごとく、まことに立派な成仏の相であったという。
このような良き臨終の報告を聞くたびに、私は嬉しいのです。凡夫を仏にして下さる御本尊様の有難さ、また、よくぞここまで強き信心に立ってくれたと、顕正会の責任者として、嬉しいのであります。
御本仏の大願
大聖人様の御心というのは、全人類を仏に成さしめるという大慈大悲以外にはあられない。ゆえに教行証御書には「前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生、仏に成るべき事こそ有り難けれ、有り難けれ」と。
正像二千年の間、誰人も弘めなかった前代未聞の三大秘法はまず日本の国に広宣流布し、次いでインド・中国・全世界へと広まり、全人類が仏に成るべきことこそ有難いことである -- と仰せあそばす。
地涌の菩薩
この崇高なる御化導をお手伝いを申し上げるのが、大聖人様の眷属たる地涌の菩薩なのであります。ゆえに諸法実相抄には「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば、釈尊久遠の弟子たる事あに疑わんや」と仰せあそばす。では、大聖人に同意し奉るとは、どういうことか。一言でこれをいえば、出世の御本懐たる戒壇の大御本尊を無二と信じまいらせ、御遺命たる国立戒壇建立めざして折伏を行ずることであります。いまの学会・宗門は御遺命に背いているから、彼らは「同意」の者ではない。
先日の総幹部会で女子部第三十一区の総班副長が「正義にめざめて」を発表していたが、これを聞いて、私は恐ろしいと思いました。学会で副支部長を務めている父親に対し、“学会が会則で『本門戒壇の大御本尊』の九文字を削除したことは謗法だ”と責めたところ、その父親は「役に立たないものは…」などと言って戒壇の大御本尊を誹謗したという。これを聞いたとき、池田大作の罪の深さよと思った。まさに「師は針の如く、弟子は糸の如し」ですね。悪師につけば、無邪気な者までこのように大それたことを言うようになる。数百万の学会員に戒壇の大御本尊様を捨てさせる池田の罪の深さは、たいへんなものであります。このように、今の学会・宗門は御遺命に背き、戒壇の大御本尊様まで軽賤している。これ「同意」どころか、まさに師敵対の輩といわねばならない。
この濁乱の中にあって、いま顕正会だけが、一筋に大聖人様に同意し奉っているのであります。ゆえに「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」の仰せを、何とも有難く拝することができるのであります。
久遠元初以来…
さらに「地涌の菩薩にさだまりなば、釈尊久遠の弟子たる事あに疑わんや」と。もし地涌の菩薩に定まったならば、その人は釈尊久遠の弟子たることまた疑いない
-- と仰せられる。
この「釈尊」とは、表面上の意味は五百塵点劫の昔に仏に成った釈尊を指すが、その深意は、五百塵点劫を遡ること復倍上数・久々遠々の、久遠元初の下種の御本仏、すなわち日蓮大聖人の御事なのであります。
ですから、御文の意はこういうことですね。日蓮大聖人に同意し奉る者は、みな地涌の菩薩である。そして地涌の菩薩と定まったならば、久遠元初以来、日蓮大聖人の弟子であったこと、また疑いない -- と。
たいへんなことでしょう。恐れ多くて、私たちはそのようなことを思うこともできないけれど、大聖人様はかく仰せ下されているのであります。
この仰せのごとく、日興上人・日目上人を始め奉り、あの上野殿も、四条殿も、池上殿も、日妙殿も、千日尼も、もちろんあの熱原の方々も、ことごとく久遠元初以来、大聖人様の御弟子・眷属であられた。だからこそ、頸刎ねると威されても、退転しないのです。わずかなことですぐ退転をするのは、とうてい地涌の菩薩ではない。地涌の菩薩でなければ、広宣流布のお手伝いはできない。
広布前夜の濁悪の世に
そして広宣流布前夜の濁乱のとき、この地涌の菩薩が続々と出現して、大聖人様に忠誠を尽くすことになっているのです。今まさしく広布前夜の濁乱の時でしょう。見てごらんなさい。正系門家は御遺命に背いて平然としているではないか。また日本国一同はこの国に出現し給うた御本仏を無視・軽賤している。ためにいま日本は、亡国の坂道を転がりつつある。そして二大氷山は目前となり、他国侵逼も刻々と迫りつつあるのであります。
ここに私は、平成十六年を一国諌暁の時と心に決めております。だがこの諌暁は、百万の死身弘法なくしては成し得ない。明年十一月の百万達成を思うに、これを決定的にする戦いこそ、本年終盤の法戦、なかんずく九月の法戦であります。不思議にも、九月はいよいよ九十万突破という歴史的な節になっている。この大事な九月、私は女子部の全班長に呼びかけたい。すべての班が「四名」の誓願を立て、真心を尽くし切ってほしいと強く念願しておりますが、みなさん、どうか(大拍手)。
国家破産について
さてここで、二大氷山がどれほど近づいているか、ちょっと説明しておきます。まず国家破産のこと。国家破産というと、一般の人は、国が破産するなんて考えられないという。しかし、個人も、会社も、国家も、原理は共通なんです。だらしなく借金して資金ぐりがつかなくなれば、倒産するんです。これは個人においても、会社においても、国家においても全く同じです。
事実、数ヶ月前、アルゼンチンは国家破産しているでしょう。また日本も五十七年前の敗戦のとき、破産しているのです。このときは国債は紙屑同様になったし、銀行預金は封鎖され、そしてハイパーインフレが起きている。国民にすべてのツケが廻わされたのです。
そしていまの日本に、また国家破産が近づいているのです。いま日本中が「不況、不況」と騒いでいる。しかしこれは単なる不況ではない、衰退なのです。国家が衰退しているんです。国が崩れんとしているその徴が、まず経済に現われているのであります。
最大・最悪の借金国家
いいですか、日本はすでに世界において、規模で最大、率で最悪の借金国家になっちゃっているんです。どれくらい借金があるかというと、政府と地方自治体の公的債務だけで六百九十兆円。実感がわかないでしょう。豆腐の一丁、二丁ならわかるけど(大笑)、六百九十兆円たって実感がわかない。これに加えて隠れ借金というのがある。これを加えると国の借金は一千兆円を超えてしまう。まさに規模において世界最大です。
次に率ですが、国内総生産いわゆる「GDP」に対して借金がどのくらいの比率になるかというと、二〇〇%、二倍です。これがどれほどひどい状況かというと、五十七年前の敗戦のときの財政状況とほぼ同じです。アルゼンチンなんかは、GDPの五〇%で破産しているんですよ。ですから日本の二〇〇%というのは、もう世界最悪です。
一方、国の収入というのは税収ですが、これが本年度は四十七兆円しかない。いいですか、借金は一千兆円、収入は四十七兆円です。これを一般の家計に例えると、年収四七〇万円の人が、一億円の借金をしていることになる。返せますか。とうてい返済できる額ではない。利息も払えない。もう破産を待つばかりなのです。
腐敗堕落の政治家が
では、どうしてこんな大借金を作ってしまったのか。すべては、腐敗堕落した政治家の責任です。彼らは鈴木宗男に見るごとく、みんな私利私欲です。国家のことは思わずに、口利きと利権のことしか考えない。そのため、税金を湯水のごとく使って公共事業を増やす。当然税収だけでは足りなくなる。その不足分は借金で補う。それが節度を失なった国債増発となるのです。国債というのは、政府が発行する借金の証文ですよ。だから国債を見ると、政府が借りた金額と、返済月日と、利率が明記されている。
この国債が売れるうちは、国家は借金が続けられるのだから破産しない。しかし借金は際限もなく膨らんでいく。そしていま、公的債務だけで六百九十兆円になっちゃったというわけです。
隠れ借金
それから先ほど言った隠れ借金というのは、財政投融資による特殊法人などの債務です。これは特別会計になっているから、正確なところは誰も把握していない。政府すら把握してない。国家というのは、実はこんなだらしないことをやっているんです。
日本という国家には、二つの財布がある。一つは国会で審議される一般会計、これは誰でも知っている。そしてもう1つが、国会の審議を経ないで使える特別会計です。平成十四年度でいえば、一般会計の総額は八十兆円。そして特別会計はなんと三百七十兆円です。審議を経ない裏の財布のほうが多いんです。で、この特別会計の資金はどこから入るのかというと、国民がセッセと積んだ郵便貯金・簡易保険・厚生年金・国民年金等です。これらのカネがいったん政府に入り、それで国債を買ったり、あるいは特殊法人などに湯水のごとく使われていくのです。この特別会計の赤字がどれほどになっているか、正確なところは誰にもわからない。まことに無責任です。
しかし学者の試算によれば、最低でも三百兆円、おそらく五百兆円はあるといわれている。かくて、六百九十兆円の公的債務とこの隠れ借金を加えると、一千兆円から一千二百兆円の大借金になるのです。
破産は時間の問題
しかも、この借金が滅っていくのなら将来に希望が持てるけど、毎年五十兆円から七十兆円づつ増え続けているんです。いつまでも、こんなことが続くわけがない。だから、国家破産はもう時間の問題だというのであります。私はこの実状を見るたびに、憤りが込み上げてくる。こんなだらしないことをやっていて、国はいったいどうなるのかと。政治家は全く無責任です。彼らは官僚・業者と癒着して、国を食い物にしているんです。
そして政府は、この危機的状況を国民に全く説明していない。説明すればパニックになる。また説明しても危機を回避する方策がない。だから黙っている。国民をだましているのです。
かくて、国家破産という時限爆弾をかかえたまま、いまの日本は目先のごまかしを続けているというのが、現状なのであります。京都大学教授で元大蔵官僚だった吉田和男氏、財政学の専門家でありますが、この人はこう言っております。「今日の日本の財政状況は、もはや解決不可能である」「消費税を四十%にして、大幅な歳出削減をしても、解決可能な方策は提言できない」と。
もうサジを投げちゃってる。学者だから正直に言っている。国家を食い物にしている無責任な政治家には、この危機の意識が全くない。
海外の目
しかし、海外の目は厳しいですね。アメリカの格付け会社ムーディーズは、日本国債について、これまでの格下げに引き続いて本年五月末に、一気に二段階の格下げを行なった。これで日本はアフリカの小国・ボツワナよりも下になったのです。
国債の格付けというのは、借金の返済能力の信用度でしょ。この国はうんと国債を発行しているが、果たして返せるのかどうか、その信用度です。これがボツワナ以下とは日本の面目にもかかわる、ということで、財務省はムーディーズに質間書を出した。また平沼経済産業大臣はこう述べた。「ボツワナというのは日本の経済援助を受けている国ではないか。しかも人口の半分はエイズにかかっている。日本がそのような国より格付けが下というのは、おかしいじゃないか」と。
しかしムーディーズの見解はこうだった。「ボツワナの借金はGDP比率から見て、日本より少ない。何より地下にはダイアモンドが眠っている」と。そして日本についてはこう述べた。「すでに政府債務は未踏の水準に達し、さらに債務は膨張を続けている。いずれ、持続不可能になる」と。
日本の借金は世界の歴史上最大規模で、さらに増え続けているので、いずれ持続不可能になる
-- というのです。持続不可能とは、もう誰も国債を買わなくなり、国債が暴落して国家破産が起こるということなのです。
国民をカモに
そこでいま政府は、個人に対して国債を売り込もうと、必死になっているでしょう。これまで国債を買って来た銀行や生命保険はいつ売りに転ずるかわからない。そこで個人に買わせようとしているのです。
そこで担がれたのが藤原紀香(笑)。ポスターでニッコリ笑って、「国債っていいかもー」って(大爆笑)。これは国民をカモにしようとしているんです(大笑)。私は心配している。もし国債が暴落して紙屑同様になったら、紀香は日本にいられなくなるかも(大笑)と。
残された時間は少ない
日本に残された時間は少ない。この国債暴落まで、どれだけの時間が残されているか。元大蔵官僚の有名な学者は「五年以内」と言い切っております。また慶応大学教授で、元財務省・財務総合政策研究所研究官の跡田直澄氏は、さまざまな根拠を挙げた上で、こう断言しております。「あと二・三年後」と。
この見解、当たらずといえども遠からずと、私は思っております。そして、この国債暴落のあとに待っているのは、国民生活を根こそぎ破壊する、ハイパーインフレの嵐なのであります。
東海地震のこと
次に今度は東海地震のこと。この発生時期については、二十年来観測に携わってきた防災科学技術研究所の松村正三氏が、すでに昨年七月「二〇〇五年までに発生する可能性が高い」と発表しております。そして最近になって、地殻変動に新たな動きが出て来たんですね。五月の各新聞には、こんな見出しが躍っていたでしよう。「浜名湖周辺のスロースリップ、震源まで到達か」あるいは「気持ち悪い状況続く」あるいは「十分な注意必要」等々。
これは、東海地震の監視を続けている国土地理院のGPS観測網が、その予兆とおぼしき地殼変動の異常を捉え、現在もその変動が続いていると発表したことによるのです。この異常について、ある地震学者は「東海地震を起こすプレート境界面が、ズルズルと滑り出す前駆的な動きが、地中で始まった可能性がある」と述べている。
さらに先ほどの松村正三氏も「非常に気持ちの悪い状況」「今後十分に注意が必要」とコメントし、地震予知連の大竹会長も「気持ちの悪い事態は、依然として続いている」と発表した。これが各新聞の見出に躍ったのです。
そして同じ五月に、東大地震研究所の瀬野徹三教授を始めとして数人の学者が、東海地震の発生時期についての研究結果を相次いで発表した。しかしその予測は、いずれもこの先「五年以内」に集中しているんです。
大地動乱の時代に
もし東海地震が起これば東南海地震も南海地震も連動して起こることは、専門学者の一致した見解です。そしてこれらはいずれもM(マグニチュード)八以上の巨大地震といわれる。
ちなみに、M八以上の地震がどれほど大規模かというと、たとえばM八・四で、あの阪神・淡路大震災の三十倍のエネルギーです。いよいよ日本は、広布前夜の大地動乱の時代に入りつつあるのであります。
直前か只中に
ここに思うことは、不思議にも、国家破産と巨大地震の発生時期が、ほぼ同じであるということです。またたとえ、国家破産が大地震発生までに起きていなかったとしても、巨大地震が即国家破産の引き金となるから、結果的には同時発生ということになる。そして総合的に考えるに、この発生時期は、二〇〇五年を中心とした前後二・三年の間と思われる。
さあ、そこで、顕正会の一国諌暁は平成十六年すなわち二〇〇四年であるから、この二大氷山激突の直前、あるいはその真っ只中に、一国諌暁が行われるのであります。
こんどの巨大地震は、まぎれもなく仏法上の重大意義を持ってる。それはまさしく、他国侵逼の前相であるということです。
よって、どうしても、全日本人に前以て「日蓮大聖人に背けば日本は必ず亡ぶ」ということ、すなわち巨大地震ののち必ず他国侵逼が起こるということを告知しておかなければならない。
わからなくてもいい、信じなくてもいい。しかし、もしこのことが事実となったらどうする。そのとき初めて全日本人は「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」と大聖人様が佐渡の雪中でお叫びになられた、このお言葉の重大さがわかってくるのです。御本仏の重き重き御存在にめざめるのであります。私は、平成十六年の一国諌暁が、広宣流布途上の重大な節になると確信しております。
過去十一回侵攻
今の日本は、政治家も国民も、すべて「火宅に遊ぶ子供」であるから、まさかこの日本が他国から侵略を受けるなどとは、夢にも思わない。これが凡夫の浅はかさですね。もし諸天が動くなら、情勢は一変する。すでに隣国には、御在世の大蒙古国のごとき軍事超大国が出現しているではないか。
この中国がどれほど攻撃性・侵略性の強い国か。日本人はみなお人好しで甘いから、「日中友好」などという宣伝にごまかされて、実相がわからない。中国の本当の姿は、建国以来の足跡を見れば、よく分かるのです。中国の建国は一九四九年です。それから四十数年のうちに中国は、朝鮮戦争、チベット侵略、ベトナム侵攻を始めとして、実に十一回も周辺諸国に対して軍事攻撃を仕掛けている。すべて中国から仕掛けているんです。そして今、台湾を圧倒的な軍事力を以て奇襲攻撃しようとしている。恐らく十二回目は台湾、そして十三回目は日本であろうと思われる。
中国の国家戦略は、東アジアにおける覇権確立にある。そしてその邪魔になるのが、米国と同盟を結ぶ日本なのです。ここに中国は虎視眈々と日本の隙を狙っているのです。
しかし私は、このような政治情勢・軍事情勢を見て、だから「攻めて来る」と言っているのではない。仏法の上から、日蓮大聖人を無視・軽賤している謗法の国なるがゆえに、磁石が鉄を吸うごとく、隣国の責めを受けると、言い切っているのであります。
御本尊のお力以外には
もし諸天の責めによる他国侵逼ならば、いかなる兵力・武力を以てしても、これを防ぐことはできない。 この大難をのがれるのは、もう大聖人様の留め置き給うた戒壇の大御本尊を、日本一同に信じ奉る以外にはないのです。
ゆえに四十九院申状には「第三の秘法今に残す所なり。是れ偏えに、末法闘諍の始め、他国来難の刻み、一閻浮提の中の大合戦起こらんの時、国主此の法を用いて兵乱に勝つべきの秘術なり」と仰せられる。
また新尼抄には「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と仰せられる。もう御本尊のお力以外にはないのです。
仏国実現
では、具体的にはどのようにしたらいいのか。それについて三大秘法抄に仰せられる。「王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して(乃至)戒壇を建立すべき者か」と。下から盛り上がる民衆の熱烈な信心が、ついには王臣一同の三大秘法受持となり、戒壇の大御本尊を守り奉るためには身命をも惜しまぬとの大護法心が一国にみなぎるとき、国家意志の表明を以て戒壇を建立せよ―との御命令であります。
このとき日本は、戒壇の大御本尊を魂とする国、すなわち仏国となる。この仏国はどの国からも犯されない。安泰なること盤石のごとき国となるのであります。大聖人様はこの戒壇建立について「時を待つべきのみ」と仰せあそばす。
しかしその時が、いよいよ近づいて来ていることを、私は肌身で感じております。いま亡国を前にして、地涌の流類は続々と出現しつつある。やがてこの大潮流は日本を動かす。そして諸天の働きにより「日本国一時に信ずる事あるべし」は事相となり、ここに三大秘法抄に仰せのままの国立戒壇が建立される。新しい日本が築かれるのであります。
このとき始めて、いまの腐った政治は一変し、妙法の政治・妙法の経済・妙法の教育・妙法の医療等、すべてが妙法化され「事の戒法」が一国に顕現するのであります。
新しい日本を築かん
思えば、聖徳太子は仏法を根底として飛鳥の日本を作られた。また桓武天皇は伝教大師を師として法華経迹門の戒壇を建立し、平安の日本を築かれた。しかし、最大深秘の三大秘法を根底にした国家というのは、人類史上未だ曽てない。
だが、いよいよ大聖人様のお力により、この前代未聞の新しい日本が、実現する時を迎えているのであります。この大仏事をお手伝い申し上げるのは、国立戒壇のゆえに解散処分を受けるとも、ついにいま百万の死身弘法を成し遂げんとしているこの顕正会以外には、断じてあるべくもない。
事(こと)成就するの日、顕正会はただ大聖人様から「よくぞ」のお誉めの一言を賜れば、それで本望であります。晴れて、戒壇の大御本尊様が国立戒壇にお出ましになるの日、顕正会員はこぞって、天生原までの四キロの道のりを、全員で、紅の涙を流しつつ、御供申し上げようではありませんか。(大拍手)
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