冨士大石寺顕正会の基礎知識


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顕正新聞 平成十五年五月十五日号


     立宗御報恩勤行会 浅井先生講演
  
 妙法の唱えが全世界に満つるのも
    すべては「
日蓮が慈悲曠大」のゆえ

 報恩抄に宣給わく
 「
日本 乃至 漢土・月氏・一閻浮提に、人ごとに有智無智をきらはず、一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだひろまらず、一閻浮提の内に仏滅後二千二百二十五年が間一人も唱えず、日蓮一人 南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり、例せば風に随つて波の大小あり、薪によつて火の高下あり、池に随つて蓮の大小あり、雨の大小は竜による、根ふかければ枝しげし、源遠ければ流ながしというこれなり、周の代の七百年は文王の礼孝による、秦の世ほどもなし始皇の左道なり。日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし

 本日は、日蓮大聖人が宗旨建立あそばされてより、七百五十一年の大事な日であります。よってただいま御報恩のため、謹んで勤行会を奉修させて頂きました。

  ただ拝跪合掌の思い

 建長五年四月二十八日の払暁、大聖人様は房州・清澄山の山頂にお立ちになられた。この山頂は日本列島の中でも最も早く旭日の差すところである。この頂きにおいて、折から太平洋上を昇らんとする旭日に向い、大聖人様は始めて「
南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と、朗々と厳かにお唱え出だされた。
 これまさしく久遠元初の名字の妙法の出現であり、また大聖人様が三大秘法の南無妙法蓮華経を以て、全人類をお救い下さることを、宇宙法界に向かって宣言あそばされたお姿であります。この荘厳にして崇高なるお姿を偲びまいらせれば、ただ拝跪合掌の思いが込み上げてまいります。

  鉄石の御誓願

 そしてこのとき、大聖人様の御胸のうちには、鉄石のごとき御決意が秘められていた。それは --- 末法濁悪の日本国において三大秘法を弘めるならば、必ず身命に及ぶ大難が来る。しかし、いかなる大難出来するとも、断じて退転せず --- との御決意であられた。
 この御心を開目抄に「
日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり。これを一言も申し出すならば父母・兄弟・師匠・国主の王難必ず来るべし。いわずば慈悲なきににたり……今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」と。

 そして立宗の後、ご覚悟のごとくに、身命に及ぶ大難は波のごとく襲いかかって来た。凡夫ならば命がいくつあっても足りない。そして竜口の頚の座を経られて佐渡にいたり、塚原三昧堂の雪中においてこう仰せられた。「
詮ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期とせん。…… 本、願を立つ。…… 我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」と。
 まことに流罪・死罪の大難を経られ寒地獄のような雪中において、なおこの鉄石のごとき大慈悲心、どうして凡夫にこのようなことが言えましょうか。これこそ仏様の御心であります。

  終始不変

 さて、この御文の中の「
本、願を立つ」の「願」とは何かというと、まさしく立宗のときに立て給うた「今度強盛の菩提心ををこして退転せじと願じぬ」との、大誓願であります。この大誓願を佐渡雪中において「ちかいし願やぶるべからず」と仰せられたのです。つたなき者は約束した事をまことの時には忘れ、高貴の人は約束を違えずという。
 大聖人様は立宗のときに立て給うた人類救済の御誓願を、いかなることありともお破りにならない。まさに終始一貫・一貫不変であられる。かく拝見すれば、立宗の時の御誓願の中に、御入滅後の日本の広宣流布も、中国・インドそして全世界の広宣流布もすべて含まれている。それだけではない、地球上の全人類のお題目の唱えが万年の外未来までも流れることも、すべては「
本、願を立つ」の中に含まれているのであります。

  「慈悲曠大ならば

 そして、そのことが成就される原動力は何かといえば、大聖人様の慈悲の力であられる。ゆえに 「
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし」と仰せられる。
 前文に「
風に随って波の大小あり、薪によって火の高下あり、池に随って蓮の大小あり、雨の大小は竜による、根ふかければ枝しげし、源遠ければ流れながしというこれなり。周の代の七百年は文王の礼孝による、秦の世ほどもなし始皇の左道なり」と、例えを繰り返し仰せになるそのお心は何かというと、本となる力が大きければ大きいほど、その影響性が大きいということ。すなわち大聖人様の慈悲が曠大なればこそ、南無妙法蓮華経は全世界に流布し、末法万年尽未来際にまで流れていくという、想像をも絶する大規模の御化導になる、のであります。

  滅後にも厳然

 まことに、日本の広宣流布も中国・インド・世界の広宣流布も、すべてこれ大聖人御入滅後のことでしょう。凡夫は死ねばそれで終わりだが、仏様の御化導というのは、入滅されても永遠に続いていく。在世も滅後も関係ないのです。すなわち、御在世には逆縁広宣流布を成し遂げられ、滅後においてはいよいよ三大秘法を全日本人・全人類に信ぜしむる。この御化導を大聖人様は確実に成就あそばす。すべて「
日蓮が慈悲曠大ならば」の御故です。
 まさに滅後においても、大慈大悲の力は厳然なのであります。このことを寿量品の自我偈には「
而実不滅度・常住此説法」(而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く)と説かれている。

  「用いずば国亡ぶべし

 いま、大聖人御入滅より七百年。凡夫には七百年は長いと思えるかもしれない。しかし末法万年尽未来際までの御化導から見れば、七百年などはまだ御化導の始めです。
 そして時いたれば、「
用いずば国必ず亡ぶべし」の大罰をついに国に顕わし、一時に信ぜしめ給うのであります。
 この一国総罰の前に、全日本人にこれを知らしめ告げしむる。これも大聖人様のお力です。これを仏弟子に成さしむる。それが明年からの一国諌暁の御奉公であります。

 思えば、正系門家における御遺命守護の御奉公といい、次の一国諌暁の御奉公といい、すべては大聖人様が顕正会をして成さしめておられる。大聖人様が凡夫をして立たしめ、御奉公をなさしめ給うのです。すべては「
日蓮が慈悲曠大ならば」の中に含まれているのであります。
 明年からの一国諌暁、これには地涌の流類・百万の陣列こそ大事であります。私は百万までの一つの山として、四月の法戦を大事に思っております。あと二日でありますが、真心を尽くし切り、御奉公の誠を大聖人様にご覧頂こうではありませんか。


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