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顕正新聞 平成十五年五月二十五日号
冨士大石寺顕正会 典礼院の御入仏落成式厳修
「 もう後顧の憂いなし 」に大歓喜
浅井先生の講演 (一部)
「 確信と温かさ 」
絶対の信心とは
(略)いいことがあったら信じよう、悪いことがあったらば疑おうではない。絶対の信心というのは、条件に関係なく大聖人様を信じ切ること。
あるいは、たとえ地球の壊れる日が来て我が肉体は壊れようと、信心は壊されない。大聖人様を最後まで信じ切って死んでいくんだと、これが絶対の信心であります。
この肚が決まったら、人生で恐ろしいものはなくなる。この肚が決まるとき、凡夫の殻が破れる。仏に成ることができるのであります。
「開目抄」と「如説修行抄」
ゆえに大聖人様は 佐渡御流罪のとき、弾庄の嵐で確信を失いグラグラする弟子たちに対して、開目抄において「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば 自然に仏界にいたるべし」と仰せられた。
さらにその翌年の如説修行抄では、重ねて具体的にこう仰せられた。「一期を過ぐる事 程も無ければ、いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ過する心なかれ、恐るる心なかれ」(略)
たとえ弾圧があろうとなかろうと、広宣流布に戦う仏弟子は、この「一期を過ぐる事 程も無ければ」の透徹の信心、ふてぶてしいまでに肚を決め切った信心を、常に胸の奥にたぎらせていなければいけない。
温かさとは
長たる者は、自らこの鉄石の確信を胸の中に懐きながら、組織においては温かい心で全員の信心を守り、歓喜させていくのです。自ら歓喜のイースト菌となり、組織を明るく弾ませていく。そこに大きな戦いが進むのであります。
リーダーは、決して暗くジメジメと、みなを追いつめてはいけない。感情にまかせた修羅の心ではいけない。みんなが苦しむ。(略)
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