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「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」
この世には「仏」という実在がある。仏とは、透徹の智恵を以て生命・宇宙実相を見究め、自ら成仏という永遠に崩れぬ幸福境涯を証得されると同時に、この成仏の境界に一切衆生をも導き入れんと、大慈悲を以て法を勧め給うお方である。
この広漠の宇宙法界には、三世・十万にわたって無数の「仏」が存在する。三千年前、インドに出現した釈迦仏も、その中の一仏である。しかし釈迦仏法は入滅後二千年で滅尽する。そしてそれ以後の時代を「末法」という。
末法は貪・瞋・癡の三毒が強い荒凡夫で充満し、争い事の多い荒れた世の中となる。この末法においては、釈迦仏のような三十二相で身を荘厳った並みの仏すなわち「熟脱の仏」では、大衆は救えない。このとき「久遠元初の自受用身」という、三世十万の諸仏の根源たる本仏が出現され、三大秘法という根本の仏法を以て、人を、国を、人類を、救済される。この「下種の御本仏」こそが、七百年前、日本に出現された日蓮大聖人であられる。
日蓮大聖人は大慈悲を以て、三大秘法の「南無妙法蓮華経」を唱えることを、人々に勧められた。末法にはこの大法以外に成仏の法はない。また大聖人は立正安国論を認められ、三大秘法を根底として国家を安泰にすることを、国主に進言された。
そして、もしこの三大秘法に背くとき、人も、国も、人類も亡びることを 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」 とのお言葉を以て、強々と一切大衆にお示しになられた。これ、全人類を救うために、帰依すべき唯一人の仏を教え給うたものである。
ところが当時の日本国は、大聖人から「邪法」と破折された念仏・禅・真言・律など、邪宗の僧等の讒言と煽動によって、国主から万民にいたるまで、国中が大聖人を誤解して憎み、悪口罵詈はもちろん、二度まで流罪し、ついには竜の口の刑場において、あろうことか御頸を刎ね奉るという暴虐を犯したのであった。
唯一の成仏の大法・三大秘法を、大慈悲をもってお勧め下さるお方は、全人類にとって主君であり、師匠であり、父母であられる。この大恩徳まします日蓮大聖人を流罪・死罪にするということは、身の震えるような大逆罪である。
御本仏の絶大威力により、頸を刎ねることこそできなかったが、刀は振り下された。日本国は死刑を執行したのである。この大逆罪
--- もし大聖人が御本仏であられるならば、梵天・帝釈・日月・四天等の本仏守護の諸天善神がこれを許すはずがない。
果せるかな --- 。竜の口の五ヶ月後、俄に鎌倉幕府内で深刻な内乱が起き、京・鎌倉は戦乱の巷と化した。これ自界叛逆である。また三年後には、日本中の誰人も想像だにしなかった蒙古の襲来が起きた。これ他国侵逼である。立正安国論の御予言は、寸分も違わず適中したのである。
もし大聖人が御本仏でなければ、どうしてこのような現証が起ころうか。ゆえに他国侵逼の直後、大聖人は次のごとく仰せられている。
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり。上一人より下万民に至るまで、之を軽毀して刀杖を加え流罪に処するが故に、梵と釈と日月・四天、隣国に仰せ付けて之を逼責するなり。・・・・設い万祈を作すとも日蓮を用いずんば、必ず此の国、今の壱岐・対馬の如くならん」(聖人知三世事)と。
「一閻浮提」とは全世界の意である。大聖人こそ全世界で唯一人の久遠元初の自受用身・下種の本仏であられればこそ、諸天の働きにより、一国にこの大現証は起きたのである。
「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」の意を、ここにおいて深く思うべきである。日蓮大聖人に背くとき、人も、国も、人類も亡びる。このことを立正安国論には「自界叛逆・他国侵逼」と示され、さらに同奥書に「未来亦然るべきか」と警告されているのである。
人類の存する限り、国家の在る限り、立正安国論に示されたこの法則は、永遠に生きている。そして「未来亦然るべきか」の「未来」とは、まさしく今日のことなのである。
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