冨士大石寺顕正会の基礎知識


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 日目上人の御心体し 広布最終段階を戦わん
    
( 東北代表者会議 )

   血脈相承の内付

 身延を離山された日興上人は正応三年、大石寺を建立された。このとき日興上人は内々に日目上人に御相承あそばされている。「
正応三年十月十三日 之を写す」「日目に之を授与す」の脇書ある大幅の「御座替りの御本尊」こそ、その証拠であります。

 このとき日目上人は三十一歳です。いかに日興上人が日目上人を深く御信頼されていたかが、よーくわかりますね。
 凡夫というのはときには慢心し、ときには怠け、ときには曲がる。心が常にゆれ動く、志念堅固ではないのです。だからたとえ若いときは真面目そうでも、将来はどうなるかわからない。これが凡夫の常です。

 しかし日興上人の御眼から見て、日目上人が生涯一分の遺失も犯さぬ法器であられることは、始めからわかっておられた。ただならぬ宿縁をご存知であられた。ゆえに三十一歳の日目上人に内々に血脈相承をあそばし、同時に、事実上大石寺を託されたのであります。
 日興上人の御遺状における「
右、日目は十五の歳、日興に値うて法華を信じてより以来、七十三歳の老体に至る、敢えて遺失の儀なし」の一文と思い合わせるとき、まことに深い感慨をおぼえます。

 さて、日目上人は日興上人の代奏として、生涯実に四十二度の国主諫暁わされている。当時は殺伐たる武家社会、そして独裁者に対する諫暁でありますから、あるいはその場で命を奪われるかもしれない。一回・一回が文字通り命がけ、これは大変なことです。この師弟一体となっての死身弘法が、実に五十一年間も貫かれたのであります。



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「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠