|
日目上人の御心体し 広布最終段階を戦わん
( 東北代表者会議 )
口唇誦するが如く…
御一行は、やがて美濃の伊吹山の麓、垂井に差しかかった。この辺りは、雪は腰まで積もり、加えて山から吹き下ろす寒風が旅人を苦しめるという名にし負う難所であった。
雪に足を取られる日目上人の全身に、折からのみぞれ混じりの寒風が容赦なく吹きつけた。
ついに日目上人は、手足凍えて一歩も進み給わず、やむなく近くの垂井の宿でお休みになられた。
二人の御弟子は“旅のお疲れ”と思い、真心をこめて看病し奉った。しかし日目上人は「我まもなく死すべし」と仰せ出だされた。
そして二人が御守護するなか、最後の勤行をあそばし、その勤行の半ばにして、安祥として御遷化あそばされたのであります。
このご様子を記した伝記に云く、 「臨終の御勤めましまして、両眼眠るが如く、口唇誦するが如くにして、息止み給う」と。
このときの御所持の申状の末文には 「日目、先師の地望を遂げんがために、後日の天奏に達せしむ」と。
「先師の地望」とは、日蓮大聖人様の御遺命たる広宣流布・国立戒壇建立のことです。
--- この御遺命は、今日、未だ遂げられていない……。
いま広布前夜に生まれ合わせた顕正会こそ、この日目上人のお心に対して、御遺命実現に、何としても戦わねばならぬ立場に置かれているのであります。
戻る 次
|
|