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日目上人の御心体し 広布最終段階を戦わん
( 東北代表者会議 )
舌焼けず
このことについて、大聖人様は撰時抄にかく仰せられている。
「羅什三蔵の云く、我れ漢土の一切経を見るに、皆梵語のごとくならず。いかでか此の事を顕わすべき、但一つの大願あり。身を不浄になして妻を帯すべし、舌計り清浄になして仏法に妄語せじ、我れ死せば必ず焼くべし、焼かん時、舌焼くるならば我が経をすてよと、常に高座にして説かせ給いしなり。上一人より下万民にいたるまで願して云く、願わくは羅什三蔵より後に死せんと。終に死し給いて後焼きたてまつりしかば、不浄の身は皆灰となりぬ、御舌計り火中に青蓮華生いて其の上にあり、五色の光明を放ちて夜は昼のごとく、昼は日輪の御光をうばい給いき。さてこそ一切の訳人の経々は軽くなりて、羅什三蔵の訳し給へる経々、殊に法華経は漢土にはやすやすとひろまり候いしか」と。
文意はこういうことです。
--- 羅什三蔵の云く、自分が中国の一切経を見るに、みな梵語のごとくに翻訳されていない。どうしてこのことを人々に知らせるべきか、ここにただ一つの大願がある。それは、自分は僧侶でありながら妻をもってしまった
--- ちなみにこれは、羅什三蔵がだらしなかったのではない。外護している国王が、羅什三蔵のあまりの聡明さに感嘆し、ぜひその血筋を残したいと、強引に妻をめとらせたのです。それでも羅什はこれを恥じたのです。
--- ただし舌ばかりは清浄にして、仏法において妄語したことがない。ゆえに自分が死んだら必ず火葬にせよ。身を焼いた時、もし自分の舌が焼けたならば我が経を捨てよと、常に高座において説いていた。これを聞いて、時の国主を始め万民にいたるまで“願わくば羅什三蔵より後に死に、そのことを見届けたい”と願ったという。ついに羅什三蔵は亡くなった。遺言通りに遺体を火葬に付したところ、不浄の身はことごとく灰になった。しかし舌ばかりは、火中に青蓮華が生いてその上にあり、五色の光明を放って夜は昼のごとく、昼は日輪の光の光さえも奪うほどであった。この大現象を見て、それまでの一切の訳者は軽くなり、羅什三蔵の翻訳した経々、ことに法華経は中国にやすやすと広まったのである --- と。
このゆえに、中国の天台大師も、日本の伝教大師も、そして末法の御本仏日蓮大聖人も、羅什三蔵の「法華経」を用いておられるのです。
この「舌焼けず」という不思議な現象が、いかに重いものであるかを言えば、日本の伝教大師が法相宗と法論したとき
--- 法相宗というのは玄奘三蔵および慈恩という有名な訳経家がインドから伝えた宗ですが
--- この法相宗を破折するのに、伝教大師はこう云い切っている。「羅什三蔵は舌焼けず、玄奘・慈恩は舌焼けぬ」と。この現証を上げたことで、相手は平伏しているのです。「舌焼けず」ということがいかに重い大現象であったか、よくわかりますね。
火中で舌が焼けずに光を放つなどと言う事は、常識では考えられない。しかし誰人も否定できない眼前の事実だったから、人々はこれを信じたのです。
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