|
日目上人の御心体し 広布最終段階を戦わん
( 東北代表者会議 )
蒙古の責め
次に「蒙古の責め」の不思議。
大聖人様は未だ他国侵逼の萌しもない文応元年に、立正安国論において「必ず他国侵逼あるべし」(取意)と御予言をされた。
そしてその十一年後の竜の口法難のときには、平左衛門に対して重ねて他国侵逼を言い切られた。
さらにそれより三年後、佐渡から帰り給うた大聖人は文永十一年四月八日、平左衛門が鎌倉幕府の殿中において蒙古襲来の時期を尋ねたのに対して「よも今年は過ごし候はじ」とご断言された。このご断言は寸分も違わず、その年の十月、蒙古の軍船は海を覆って押し寄せて来た。
これこそ、大聖人様が諸天に「申しつけ」てなさしめ給うた大現証です。このように、凡夫の思議を絶する大現証が仏法にはあるのです。
ゆえに、たとえ凡夫の小さな頭では理解できなくとも、現証があれば信じなくてはいけない。観心本尊抄の「心得られざれども、現証有れば之を用ゆ」とは、このことであります。
戻る 次
|
|