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日目上人の御心体し 広布最終段階を戦わん
( 東北代表者会議 )
“仏法は生きている”
何と不思議なことか、これは厳たる事実であります。凡慮を絶するとはこのことですね。まさしく大聖人様の仏力の所作、広宣流布の証明として、お残し下されたのであります。
この事実を拝するとき、身震いする思いで感ずることは、「日蓮大聖人の仏法は生きている」ということです。
だから、御本尊を強く信じて南無妙法蓮華経と唱え奉れば、必ず宿命が変わり功徳が出てくる。そして臨終には成仏の相を現ずる。また広宣流布が絶対であるという事も、深く深く確信できるのであります。
私はこの御生骨を、第六十五世・日淳上人の御代替わりのとき、拝観させて頂いた。日淳上人は顕正会がまだ「妙信講」と称していたとき、その結成を正式に認承して下さった貫首上人ですが、この御方の代替わり法要のおり、私は目の当りに拝観させて頂いた。昭和三十一年の四月でした。そのとき、もう御歯の全体を御肉が包んでいるごとくに見えたこと、今でも目に焼きついております。
このことから、広宣流布の近きことを、私は強く強く確信をしているのであります。私はこれまで、広宣流布の近いこと、そして今が最終段階であることを、たびたび云い切ってまいりました。その確信の根底には、いままであえて口にしなかったが、自分が眼前にしたこの不思議なる御生骨のことが、常にあったのであります。
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