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「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」
発刊 まえがき
( 戒壇の大御本尊の御遷座と
正本堂の撤去を迫る )
その直後、「実は私が相承を受けていた」と自己申告して登座したのが、池田大作と一心同体の阿部日顕管長であった。これより「本門寺改称」をめざして、再び悪の二人三脚が始まる。
池田は前々から本門寺改称の時期を、大石寺開創七百年の佳節に当る昭和六十五年(平成二年)と狙い定めていた。この年の秋十月には開創七百年の慶讃法要が行われる。この法要の席上、阿部管長に「本門寺改称」を宣言させるのが、彼の魂胆であった。
これを知った私は、この年の四月二十七日、この諌暁書を阿部管長に送附したのである。
この諌暁書は、それまで長きにわたって宗門僧俗をたぶらかしてきた、正本堂の誑惑の根を断ち切った上で、戒壇の大御本尊の御遷座と正本堂の撤去を、強く迫ったものである。
そして、この諌暁書より八年後、誰人も予想すらできなかった「不思議の還御」を拝見し奉り、正本堂の崩壊を眼前にしたのであった。すべては御本仏の御威徳の然らしむるところと、ただただ拝跪合掌するのみである。
平成十四年十二月十九日
著者識す
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