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「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」
あとがき
--- その後どうなったか
この諌暁書は、阿部管長の肺腑を抉り、心に怖畏を生ぜしめたものと思われる。
そしてこの諌暁書送附と同時に、顕正会の死身弘法は二十万に達した。三月後の平成二年七月、顕正会の大総会を横浜アリーナにおいて、二万人を結集して開催した。席上、私は全員に訴えた。
「もし池田大作が本門寺改称を強行するならば、そのとき、全顕正会員はこぞって大石寺に総登山すべきである。二十万顕正会の全員が、戒壇の大御本尊の御前に馳せ参じ、大石寺の境内を埋め尽くし、信心の力を以て本門寺改称を断固粉砕しようではないか」
全顕正会員は熱涙の中に捨身の決意を堅めてくれた。この、二十万顕正会の捨身護法の決意は、池田の心胆を寒からしめた。
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