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「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」
あとがき
(「冨士大石寺顕正会」と改め一国諌暁 )
平成九年六月、顕正会の死身弘法はついに五十万に達した。そしてこの年の春、御在世以来の最大といわれる大彗星が出現した。
--- 正系門家は御遺命に背いて濁乱し、加えて日本一同は御本仏を軽賤している。この大禍により、今ついに時来たって、亡国が近づいて来たのである。
私は一国諌暁に立つべき時を感じた。ゆえに謹んで本部会館の御宝前にその旨を奉告申し上げた。
その奉告文に云く 「しかしながら、御法魂たる本門戒壇の大御本尊が未だに誑惑不浄の正本堂に居えられ奉っていること、その恐れ多さを思えば身は縮み、未だ御奉公の足らざること、己れの非力、ただ愧じ入るばかりであります」と。この申しわけなさを懐きつつ、一国諌暁に立ったのであった。
この諌暁をなすに当って、これまで「日蓮正宗」を冠していたのを、「冨士大石寺顕正会」と改めた。そのわけは、すでに「日蓮正宗」は国立戒壇の御遺命を放棄している。また学会との醜い抗争で国中の嘲りを受けている。どうしてこの宗名を冠して一国諌暁ができようか。よって日蓮正宗の源流たる、日興上人・日目上人の清き流れを表わす「冨士大石寺」を冠して立ったのである。
ちなみに、正系門家が「日蓮正宗」の宗名を用いたのは大正元年以降のわずか八十数年に過ぎない。そしてこの間に僧侶の妻帯、職業化等、今日の腐敗堕落の気運が醸成されて来たのであった。“すベからく清らかな源流に戻るべし” “信心は御在世に、数学は日寛上人の昔に立ち還るべし”この思いから「冨士大石寺顕正会」と名乗ったのである。
一国諌暁よりほどなくして、ついに諸天は動いた。阿部管長が法廷に引っぱり出されたのである。この裁判は、阿部管長のスキャンダルを暴露した学会に対し、宗門が名誉毀損に当るとして提訴したものだが、これが墓穴となった。学会弁護団は再度にわたって阿部管長を直接尋問する機会を得た。事柄は、阿部管長が教学部長時代の海外出張において、夜の巷で起こしたとされる、聞くも穢らわしき醜行である。学会弁護団の尋問は、猫がネズミを嬲るごとくの執拗さだった。
この堪えがたい恥辱に、阿部管長の憤怒は沖天に達した。この憤怒は、池田が「仏教三千余年
史上空前の偉業」 「私の出世の本懐」等と誇っていた正本堂に向けられた。ここに阿部管長は、正本堂を打ち壊わすことを決意したのであった。---
阿部管長を憤激せしめ正本堂打ち壊わしに駆り立てたこの自界叛逆こそ、まさしく諸天の働きそのものである。
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