冨士大石寺顕正会の基礎知識


menu

  概要
  沿革
  規約
  目的
  会館
  弘通
  広報
  出版
  教義
  Q&A
  メール
  更新
   「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む

 あとがき

   
不思議の還御

 平成十年四月五日夕刻、突如として本門戒壇の大御本尊は、誑惑不浄の正本堂から元の奉安殿に還御あそばされた。実に昭和四十七年十月七日以来、二十六年ぶりの御帰還であられた。
 凡愚を絶する不思議とはこのことである。

 細井管長は正本堂の意義を定めた訓諭において「後代の誠証となす」と壮語し、また正本堂に戒壇の大御本尊を居え奉る際には「この正本堂に大御本尊を永久に安置する」と公言したではないか。
 池田大作も正本堂の記念品埋納式において、落慶法要に着用した細井管長の法衣と自身のモーニングを正本堂の地下室に納め「三千年後、一万年後にこの地下室を開ける」と蒙語したものである。これらを見ていた宗門全僧俗の誰人が、二十六年後に還御あそばすことを予想し得たであろうか。しかるに今、凡慮を絶して戒壇の大御本尊は「不思議の還御」をあそばしたのである。

 還御の五日後、顕正会は御遺命守護完結奉告式を奉修した。私は本部会館の御宝前に進み出て、謹んで大聖人様に言上申し上げた。
 「
大聖人様 ---。本門戒壇の大御本尊が恐れ多くも誑惑不浄の正本堂に居えられ奉ってより今日まで、実に二十六年の長き歳月が流れました。しかるところ、鳴呼ついに、本年四月五日の午後四時、大御本尊は、清浄なる元の奉安殿に還御あそばされました

 あまりの不思議、あまりの有難さ、参列の全幹部は紅涙をしたたらせ、その鳴咽は場内に満ちた。まことに、まことに、大聖人様は御遺命破壊の大悪を断じて許し給わず、ゆえに顕正会をして立たしめ諌暁せしめ、諸天をして自界叛逆を起こさしめ、ここに堂々の還御をあそばしたのである。
 引き続き、正本堂の取り壊わしが始まった。その轟音は富士山麓にこだまし、やがて誑惑不浄の正本堂も、その姿を永遠に地上から消した --- すべては諌暁書のままになったのである。



             戻る  


「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠