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「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」
あとがき
誑惑者たちの正体
( 阿部管長の戒壇の大御本尊否定 )
次に阿部管長のそれを見てみよう。この者の「戒壇の大御本尊」不信は、さらに陰に寵っている。
この男、日頃より御真筆御本尊研究に造詣あるを周囲にひけらかす衒学癖があったが、昭和五十三年当時、学会との抗争で沸騰していた宗門の中で、ひとり池田に内通していたことを、細井日達管長に叱責された。
出世の道が閉ざされたと思い込んだ彼はこれに逆心を懐く。その腹いせで、細井管長への批判とともに戒壇の大御本尊への謗言を、長年の腹心・河辺慈篤(じとく)に吐いた。腰を抜かすほど驚いた河辺はその発言を記録しておいた。それがいわゆる「河辺メモ」である。
「河辺メモ」によれば、日付は昭和五十三年二月七日、場所は帝国ホテル、もちろん二人だけの密談である。このとき阿部信雄は、まことに荒唐無稽な邪推を以て、戒壇の大御本尊に対し奉り大それた誹謗を加えている。あまりに恐れ多いので、その悪言を私はあえて掲げない。ただし、阿部管長に対面の折あれば、面詰して一刀両断、大御本尊の御前で五体投地の謝罪をさせること、ここにはっきりと記しておく。
「河川メモ」は平成十一年七月、宗内に流出したものであるが、その経緯はともかく、このようなものが流出したこと自体、諸天がこの男の法衣の下の正体を、白日の下に晒したものといえよう。
また阿部管長の謗法与同を見るに、平成七年六月六日、なんと身延派の管長に就任する直前の田中日淳ら一行を、大石寺に招いている。このとき宗門側の接待役を命ぜられたのが、これまた阿部管長の腹心・高野日海(能化・参議会議長)である。高野は御影堂、大客殿、正本堂を田中に見せて廻わったあと、蓮葉庵で丁重なもてなしをしている。
このほか、身延派坊主の大石寺訪問は一度や二度ではない。今日まで幾たびにもわたっている。阿部管長の不純な信心の実態はかくのごとくである。
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