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立正安国論
立宗より四年目の正嘉元年、鎌倉地方に前代未聞の大地震が起きた。そしてこれより年々、激しい異常気象が続き、大飢饉・大流行病は地を覆い、ために鎌倉は屍で満ちあふれるという惨状を呈した。
この打ち続く国土の災難を凝視せられた大聖人は、国主を諌暁して一国を救わんと、文応元年七月十六日立正安国論をしたためられた。
その意に云わく “この災難は三大秘法に背くゆえに起きたものであり、もしこの謗法を止めなければ、必ず将来他国より侵略される大難を受けるであろう”と。
すなわち未だ萌しもない時に、「他国侵逼の大難」を断定あそばされたのである。仏でなくて、どうしてこのような予言をなし得ようか。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第七章より
)
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