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法難
しかし国主はこの大慈悲の諌暁を黙殺した。この立正安国論奏上を機に、邪宗の輩の怨嫉はいよいよ燃えさかり、これより大聖人の御身に、身命におよぶ法難が波のごとく襲いかかって来たのであった。
文応元年八月二十七日には、念仏者数千人が夜陰に乗じて松葉ヶ谷草庵を襲撃し、大聖人を殺害せんとした。
また弘長元年五月十二日には伊豆の国へ流罪。さらに文永元年十一月十一日には、念仏者として大聖人を憎んでいた地頭・東条景信が、小松原で軍勢を引きつれて大聖人を襲撃し、大聖人の右の御額に四寸(十二センチ)の傷を負わせ奉った。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第七章より
)
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