|
御入滅
ここに一切の化導を終えられた大聖人は、御入滅の地を武州池上の衛門大夫宗仲の邸に選ばれ、同年九月八日、九ヶ年御在住の身延を出山され、同十八日池上邸に御到着された。
御逗留を伝え聞いて遠近より参集した門下一同に対し、大聖人は最後の御説法として立正安国論を講じ給うた。この御説法こそ、仏国実現すなわち広宣流布・国立戒壇建立を、総じて門下一同に御遺命あそばしたものである。
そして弘安五年十月十三日辰の刻、日興上人以下の僧俗はべり奉るなか、大聖人は安詳として御入滅あそばされた。時に聖寿六十一歳。
この時、大地は震動し、庭には時ならぬ桜の花が咲き乱れたという。天地法界も、御本仏の入滅を悲しみ奉ったのである。
ここに一代の御化導を拝し、その大慈大悲の御振舞を偲びまいらせれば、誰か紅涙頬に伝わらざる。この深恩は、御遺命達成への捨身の御奉公によってのみ、その万が一をも報ずることができるのである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第七章より
)
戻る 次
|
|