冨士大石寺顕正会の基礎知識


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     三大秘法開合の相

 三大秘法は本尊と戒壇と題目の三つに分れていても、合すればただ本門の本尊の一大秘法となる。そのわけは、本門の本尊のおわします所が本門の戒壇であり、またこの御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えるのが本門の題目である。
 すなわち戒壇も題目もすべて本門の本尊より発するゆえである。ゆえに「 本門戒壇の大御本尊 」を、三大秘法総在の本尊と申し上げる。

 また三大秘法を開けば六大秘法となる。すなわち本尊に人と法があり、戒壇に事と義があり、題目に信と行がある。

 本尊の人と法とはもし御本尊を人の面より拝すれば、御本尊は日蓮大聖人の御当体を文字を以て顕わされたものである。ゆえに「
日蓮が魂を墨にそめ流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり、日蓮が魂は南無妙法蓮華経に過ぎたるはなし 」(経王殿御返事)、「 本尊とは法華経の行者の一身の当体なり 」(御義口伝)、「 日蓮が影、今の大曼荼羅なり 」(御本尊七箇之相承)との仰せを拝する。

 また御本尊を法の面より拝すれば、御本尊は生命の極理たる一念三千を顕わされたものである。ゆえに「
一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頸に懸けさしめ給う 」(観心本尊抄)、「 一念三千の法門ふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり 」(草木成仏口決)と仰せられている。

 このように御本尊は人と法との両面より拝することが出来るが、人の全体はそのまま法、法の全体はそのまま人、人と法はその体つねに一である。ゆえに人法一箇の大御本尊と申し上げるのである。

 次に戒壇の事と義とは、事の戒壇とは、広宣流布の暁に事相(事実の姿)に立てられる
国立戒壇である。また義の戒壇とは、広布以前に戒壇の大御本尊のまします所である。さらに日興上人以下御歴代書写の御本尊まします所も、枝葉として義の戒壇の意義を持っている。

 次に題目の信と行とは、本門の題目には必ず信と行が具っていなくてはならない。たとえ心の中で信じていても、口に唱える行がなくては成仏には至らない。また口に唱えたとしても、もし信心がなければ少しも功徳にはならない。ゆえに信行具足を以て本門の題目というのである。

 以上の「 三大秘法開合の相 」を図示すれば、次のようになる。



         (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第七章より  )



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