冨士大石寺顕正会の基礎知識


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     御本尊を信じ唱えるとなぜ幸せになるか

 仏界が湧現

 御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えると、どうして幸せになるのであろうか。一言にして云えば、我ら凡夫の生命に仏界が湧現(ゆげん)するからにほかならない。

 私たちの生命には「
十界互具」(じゅっかいごぐ)といって、地獄界から仏界に至るまでの十界が、素質として誰にも具(そなわ)っている。そしてこの十界は、外界の縁にふれて、その中のどれか一つが現われる。たとえば脅迫状を見て恐怖を感ずるのは、地獄の縁にふれて地獄界が現われるのである。同じように、餓鬼の縁にふれれば餓鬼界が現われる。

 では、仏界を現ずる縁とは何かといえば、それが御本尊である。御本尊は文字を以て顕わされた仏様の御生命である。決して単なる文字ではない、文字の全体がそのまま日蓮大聖人の御生命なのである。
 ゆえに大聖人は「
日蓮が魂を墨(すみ)にそめながして書きて候ぞ、信じさせ給へ。――日蓮が魂は南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(経王殿御返事)と仰せられている。
 また日寛上人は「
御本尊の全体、本有無作(ほんぬむさ)の一念三千の生身(しょうしん)の御仏なり。謹んで文字および木画(もくえ)と謂(おも)うことなかれ」(観心本尊抄文段)と御指南されている。まさに御本尊は御本仏大聖人の生命そのものなのである。

 いま、この御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱えるならば、仏界たる御本尊を縁として、我ら凡夫の生命にも仏界が湧現する。仏界が湧現すれば生命力は強くなり、また諸天善神はその人を守護するようになる。
 もし生命力が強くなれば、いかなる人生の苦難も自ら乗り越えることができ、また諸天善神が守護すれば、環境がその人を守る働きに変わってくる。よって幸せになるのである。

 仏界湧現の文証

 信心口唱によって仏界が湧現するということを、大聖人の御指南に拝してみよう。

 「
但一向に南無妙法蓮華経と唱へさすべし、名は必ず体にいたる徳あり」(十章抄)。私たちの唱え奉る題目は、御本尊の名前である。名を唱え奉ることにより、体である御本尊に通じ、我が生命に仏界が湧現するのである。
 また「
口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕われ給う」(法華初心成仏抄)と。

 また「
南無妙法蓮華経と心に信じぬれば、心を宿として釈迦仏懐まれ給う。始めはしらねども、漸く月重なれば心の仏夢に見え、悦ばしき心漸く出来し候べし」(松野殿女房御返事)
 ――南無妙法蓮華経と、御本尊を信じ唱えれば、凡夫の心に釈迦仏(本因妙の釈迦仏すなわち日蓮大聖人)が宿る。始めはそのことがよくわからないが、自覚できるにつれ、歓喜の心が湧いてくる――と。

 さらに日女御前御返事には「
此の御本尊全く余所に求むる事なかれ、只我等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」。――この御本尊を、自分を離れたよそにあると思ってはいけない。ただ我ら御本尊を信じ南無妙法蓮華経と唱える者の、胸の中の肉団に、御本尊はおわしますのである――と。

 すなわち信心口唱により、御本尊が我が身に住する、我が身が御本尊と一体になると仰せられる。なんと有難いことではないか。即身成仏とはこれである。


         (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第一章より  )


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