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遥拝勤行の心構え
遥拝(ようはい)勤行と、御本尊の御前で行う勤行とは、功徳において全く同じである。
遥拝勤行において大切なことは、我が家と冨士大石寺にまします戒壇の大御本尊と、いかに距離があろうとも、信心でその隔たりを乗りこえ、眼前に御本尊ましますとの思いに立つことである。
信心に距離は関係ない。もし信心がなければ、眼前に御本尊ましますとも通ずることはなく、もし信心があれば、千万里を隔てるとも直ちに御本尊と感応道交して、我が生命に仏界が湧現するのである。
ゆえに大聖人は、身延より千里を隔てた佐渡に住する千日尼に対し「譬えば、天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾にきこゆ。御身は佐渡の国にをはせども、心は此の国に来れり。――御面(おんかお)を見てはなにかせん、心こそ大切に候へ」(千日尼御前御返事)と御指南下されている。
まことに大聖人の御心に通じ通ぜぬは、その人の信心による。距離は全く関係ないのである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第五章より
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