冨士大石寺顕正会の基礎知識


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     なぜ折伏せねばならぬのか

 折伏は何のために行ずるのかといえば、一には一切衆生を救う広宣流布のため、二には自身の成仏のためである。

 広宣流布のため

 大聖人がいかに大慈悲を以て三大秘法をお勧め下されたかを拝してみよう。

 「
日蓮生れし時よりいまに、一日片時も心安き事はなし。此の法華経の題目を弘めんと思うばかりなり」(上野殿御返事)、 「今日蓮は、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり」(諌暁八幡抄)と。

 まことに母が乳児に乳を含ませるごとき大慈悲を以て、「
南無妙法蓮華経と唱えよ」と、一切大衆にお勧め下されたのである。そして大聖人の究極の大願は広宣流布にあられる。

 「
日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし、是れあに地湧(じゆ)の義に非ずや、剰(あまつさ)へ広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は、大地を的とするなるべし」(諸法実相抄)と。
 大聖人がただ御一人唱え始められた三大秘法の南無妙法蓮華経は、次第に唱え伝えられ、ついには日本一同に唱える広宣流布の時が必ず来るとの御断言である。いま我々の行ずる折伏は、大聖人のこの広布の大願を、御本仏の眷属(けんぞく)としてお手伝いするものである。

 この広宣流布が達成された時、始めて仏国は実現し、個人も国家も真の安泰を得る。このことについて大聖人は 「
法華折伏・破権門理の金言なれば、終に権経・権門の輩を一人もなくせめをとして法王の家人となし、天下万民・諸乗一仏乗と成りて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤(つちくれ)を砕かず、代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払い、長生の術を得、人法共に不老不死の理(ことわり)顕われん時を各々御覧ぜよ。現世安穏の証文疑い有るべからざる者なり」(如説修行抄)と仰せられている。

 しかし広宣流布しなければ、国土の三災七難はいよいよ激しくなり、人はことごとく悪道に堕する。ここに御本仏の厳たる広宣流布の御命令があり、また日興上人の「
未だ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべき事」の御遺誡がある。
 いま三大秘法に背くゆえに刻々と破局近づく日本を見る時、仏弟子として誰か折伏に立たぬ者があろうか。

 自身の成仏のため

 折伏は人のため国のためのように思えるが。実は自分自身の成仏の修行である。広宣流布以前においては、勤行とともに、折伏の大精神を持ち続けなければ成仏が叶わない。
 そのわけは、謗法充満の国土においてもし折伏を行じなければ、知らず知らずのうちに自身が謗法のリズムに同化してしまうのである。これを「
与同罪」という。すなわち自分は謗法をしなくても、謗法を見てそれを責める心がなければ、その悪に与したことになって罪は同じになる。

 「
譬えば、我は謀叛を発さねども、謀叛の者を知りて国主にも申さねば、与同罪は彼の謀叛の者の如」(秋元御書)と。ゆえに曽谷抄には 「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め、水の中に火を尋ぬるが如くなるべし、はかなし、はかなし」 とまでの厳しい仰せを拝するのである。

 しかし折伏を行ずれば、この与同罪を免れることができる。そして蓮華が泥水の中できれいな花を咲かせるように、謗法充満の国土においても少しも謗法に染まることなく、清浄な仏果を得ることができるのである。



         (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第五章より  )


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