|
折伏の大利益
折伏は、大聖人の大願たる広宣流布をお手伝いする行為であるから、これを行ずる者には次のごとき大利益がある。
格別の御守護を頂く
折伏を行ずると、御本仏の冥々の加護が生活に現われてくる。これは、大聖人が格別に"仏法の命を継ぐ者"として御守護下さるからである。
御在世において、大聖人の御化導を助けまいらせた四条殿に対し大聖人は 「殿の御事をば、ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。其の故は法華経の命を継ぐ人なればと思うなり」(四条金吾殿御返事)と仰せられている。
いま広布の前夜・濁悪の世に、けなげに折伏を行ずる者は、かくのごとく御本仏の格別の御守護を頂くのである。
御本仏の眷属としての生命力が湧く
折伏を行ずる者は仏の使いである。ゆえに自然と御本仏の眷属としての生命力が湧いてくる。さまざまな折伏の功徳の中でも、このことが最もはっきりとわかる。
たとえ、打ち沈んだ弱々しい境界であっても、折伏を行ずると、生き生きとしてくるのである。そして人を救うに当って、智恵と勇気が具わってくる。いままで自分のことだけで頭がいっぱいの愚痴の凡夫が、このように人を救い国を憂うる境界に一変するのは、まさに御本仏の眷属としての命が湧いてきたゆえである。
諸法実相抄には 「日蓮と同意ならば、地湧の菩薩たらんか」 と仰せられている。大聖人に同心し奉るゆえに「地湧の菩薩」すなわち御本仏の眷族の命が出てくるのである。
過去の罪障が消滅する
折伏は宿命転換の強き実践法である。およそ現世の不幸はすべて過去世の悪業に因る。この宿業の報いとして、あるいは十年・二十年、あるいは一生の間苦しまなければならぬ、いや、あるいは今生にその罪を滅することができずに未来にも大苦を受けねばならぬかも知れない。
しかし折伏して難を受けたり悪口をいわれれば、その罪障が消滅するのである。
「忠言は耳に逆う」という。ふだん人格者のような顔をしている者も、折伏を受けるととたんに本性をむき出し瞋恚を表すことはよくある。あるいは「お前は貧乏しているくせになんだ、もっと立派になったら来い」などと、いわれなき軽賤をする者もあろう。しかしこれらの悪口を受けることによって、こちらの罪障は消えていくのである。この原理を深く心腑に染めなければならない。
大聖人は開目抄に 「今日蓮、強盛に国土の謗法を責むれば、此の大難の来るは、過去の重罪の今生の護法に招き出せるなるべし」 と仰せられている。
すなわち、一国の謗法を折伏した結果として流罪・死罪の大難が起きたことは、過去世の重き罪障が、折伏の功徳により、いま招き出され消滅している姿である。――との御意である。
大聖人に過去の罪障などのあるべきはずもない。これは「示同凡夫」(じどうぼんぶ)といって、我等凡夫の身に同じて、罪障消滅の原理をお示し下さっているのである。
いま私達も、折伏しなければ波風も起きない、悪口もいわれない。しかし折伏のゆえに起きた難こそ、我が身の罪障消滅となるのである。むしろ喜びとしなければならない。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第五章より
)
戻る 次
|
|