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日蓮大聖人の御遺命
四、御遺命破壊の大悪起こる
しかるに、この大事な御遺命、宗門七百年の宿願が、まさに破壊されんとする大悪が正系門家に起きたのである。
あろうことか、宗門の公式決定として「国立戒壇」が否定され、俄(にわか)に建てられた正本堂が「御遺命の戒壇」と決定されたのであった。
広布前夜の魔障
これこそ広布前夜の正系門家を襲った魔障といえよう。宇宙法界には、仏法を守護する諸天が存在すると同時に、仏法を破壊せんとする魔の働きもある。この魔の生命活動の中心的存在を「第六天の魔王」という。
第六天の魔王が仏法を破壊せんとする時は、まず智者・指導者の身に入って、仏法を内から壊乱(えらん)するといわれる。
このことにつき大聖人は「第六天の魔王、智者の身に入りて正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に『悪鬼其の身に人る』とは是れなり。日蓮智者に非ずと雖(いえど)も、第六天の魔王我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず」(最蓮房御返事)と。
智者といわれた真言の弘法・念仏の法然等が法華経を敵視したのも、叡山の第三・第四の座主・慈覚・智証が本師・伝教大師に背いて法華経を捨てたのも、みなこの第六天の魔王がその身に入ったからである。
第六天の魔王は大聖人の御身まで狙う。だが大聖人は「兼ねての用心深ければ身によせつけず」で入ることができない。
このとき魔は、国主等の身に入って、御本仏の化導を妨げるのである。
この第六天の魔王が、広宣流布前夜に、どうして拱手傍観(きょうしゅぼうかん)していることがあろうか。必ず正系門家の指導的地位にある者の身に入らんとするに違いない。
当時、宗門を左右できる実力者は、創価学会第三代会長・池田大作その人であつた。彼は強大な組敵力と金力を背景に、日蓮正宗を圧伏していた。時の貫主をはじめ全僧侶はただ彼の威を恐れ、阿諛追従(あゆついしょう)するのみであった。
ここに池田は慢心し、大野心を懐くに至る。それは政権を奪取して日本国の最高権力者たらんとする野望だつた。彼は昭和四十年当時、その夢を御用評論家に語っている。「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想・文化・一切の指導者、最高権力者である」(「人間革命をめざす池田大作その思想と生き方」、高瀬広居)と。
この慢心と僣称、かの蘇我入鹿を思わせる。第六天の魔王は、この信心薄き大慢心の男の身に入り、正系門家から「国立戒壇」を消滅させんとしたのである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第九章より
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