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悪罵の嵐
解散処分以後の細井管長の言動は、まさに破廉恥(はれんち)の一語につきた。それは“毒を食らわば皿まで”の浅ましさであった。
学会の指示のままに、「元妙信議員の皆様へ」と題した脱講を勧める直筆の手紙を書いたり、あるいは本山に法華講幹部を集めて「訓諭以外に私の本心はない。国立戒壇というのは本宗の教義ではない。法華講連合会は妙信講と戦え」などと恥知らずの檄(げき)を飛ばした。
阿部教学部長もまた二冊目の悪書「本門事の戒壇の本義」を書いた。これは先の「国立戒壇論の誤りについて」にさらに輪をかけた悪書であった。
またも三大秘法抄を曲会して、なんと「勅宣・御教書」を「建築許可証」などと云い、さらに妙信講を罵って「国立戒壇を主張する浅井一派は身延系・田中智学の亜流」とまでの悪言を吐いた。
そのような中でも、妙信講の主張に耳を傾ける僧侶、学会員、法華講員は少なくなかった。不安にかられる池田は、宗門・学会・法華講のそれぞれの機関に決議させ、広く公表させた。
その決議の趣旨は「御法主日達上人猊下の『戒壇』についての御説法に背く者は、師敵対の大譲法者である」というものであった。
これを承けて八百万学会員、数万の法華講員は、みな目を瞋(いか)らし歯を剥(む)き、「浅井は猊下に背く大謗法者」と口々に罵った。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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