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御遺命守護の大闘争の足跡
編集部
四、凄まじき歪曲の実体
( 大聖人の御義はかくなるかと )
そして四十年二月より数年に亘り堰を切った如く凄まじき勢いで歪曲が繰り返され、知らざる者は大聖人の御義はかくなるかと思うに至ったのである。
まず池田自身の発言から云えば、曾って 「国立戒壇建立こそ悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」との正論は、「どこを捜しても御書には『国立戒壇』ということばは無いのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』と云いますが私は何をいうかと云いたい。そんことは御書にはありません」と白を切り、国立戒壇を抹殺したのである。美事なる変身、厚顔無恥な鉄面皮と言わざるを得ない。
「正本堂建立により三大秘法がいちおう成就したといえるのであり、『立正安国』の『立正』の二字が完壁となるのであります」
又発誓願文には「今茲に発願せる正本堂は文底独一本門事の戒壇にして云々……正本堂完成を以て三大秘法ここに成就し、立正の二字すでに顕現せんとす」以下、歪曲の類文数多にしてわずらわしき故に略す。
故に折伏教典は、「宗門七百年来の念顧であった本門戒壇は、昭和四十七年に建立される」と。更に仏教哲学大辞典には、「正本堂が事実上の本門戒壇にあたる。この戒壇は仏法史上三千年来の念願であり、末法事の戒壇にして云々」と。
又云く「したがって正本堂建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布の実現であり、世界にいまだ曾ってない大殿堂である」と、広宣流布達成・御遣命の戒壇建立と断定したのである。
一体、前章に明らかの如き曾っての正義はいづこに消えたのか。この天地の如き違いを、どう会通するのか。既に、「大聖人御遣命の達成」、「宗門七百年の悲願成就」と偽わり一国を欺いたこの大誑惑は、まさしく上は日蓮大聖人に背き奉り、内には純信の数百万信徒を欺き、外に一国を誑かすものである。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
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