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--- 正本堂の意義に就て ---
“一期弘法抄の意義を含む”の出世間の内感的解釈
で、更にここで今度は第二番目の出世間の内感的に考えていくと王ということばはどうであるかとこう考えていきます。
そうすると御義口伝に、一番最後の厳王品のところには、この「王とは中道なり」と仰せになっております。又、法門可被申様事に、「仏は一閻浮提第一の賢王・聖師・賢父なり」と仰せになっております。
ここに於て仏の言葉を仏勅と申し、勅宣と申されておる。仏を賢王と申される故であります。
で、三秘抄・一期弘法抄の戒壇建立について、もし、世間儀典的な考えを以てするならば、広宣流布が完成した時には転輪聖王が出現して建立するというという事になる訳で、その金輪聖王は結局誰かといえば、御義口伝に、化城喩品の処に、「御義口伝に云く、本地身の仏とは此文を習うなり、祖とは法界の異名なり、此れは方便品の相性体の三如是を祖と云うなり、此の三如是より外に転輪聖王之れ無きなり、転輪とは生住異減なり、聖王とは心法なり、此の三如是は三世の諸仏の父母なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は三世の諸仏の父母にして、其祖転輪聖王なり。金銀銅鉄とは金は生・銀は白骨にして死なり、銅は老の相・鉄は病なり、此れ即ち開示悟入の四仏知見なり、三世常恒に生死生死とめぐる転輪聖王と云うなり。此の転輪聖王出現の時の輪宝とは我等が吐く所の言語音声なり。此の音声の輪宝とは南無妙法蓮華経なり。爰を以て平等大慧とは云うなり」と、こう仰せになっております。
即ち結局は金銀銅鉄の輪王は、我等大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経を唱え奉る者の当体である、というべきであります。
故に出世間内感的に於ける戒壇建立の相を論ずるならば、三秘抄の王法仏法等のお言葉は、大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経の信心を離れては存在しないのであります。
我等、弟子檀那の末法に南無妙法蓮華経と修行する行者の己心にある有徳王、常徳比丘のその昔の王仏冥合の姿を其のまま以て末法濁悪の未来に移さん時、と申されたと拝すべきであります。
三秘抄に有徳王・覚徳比丘とあれば、じゃ有徳王とか覚徳比丘という人物はいつ出て来たか、又そういう人と同じ人があるのかといわれる時に、有徳王・覚徳比丘は涅槃経におけるところの釈尊己心の世界の人物である。しからば今、末法に於いて、我々大聖人の弟子檀那が南無妙法蓮華経と唱える、我々の己心においての有徳王・覚徳比丘の王仏冥合の姿こそ、我々の己心にあると考えなければならないのであります。
これ実に我々行者の昔の己心の姿を寂わされていると拝すべきであって、その己心の上に勅宣並に御教書がありうるのであります。
即ち、広宣流布の流溢への展開の上に霊山浄土に似たらん最勝の地、富士山天生ヶ原即ち大石ヶ原に戒壇建立があるべきであります。
故に、今回建立の正本堂こそ、今日における妙法広布の行者である大聖人の弟子檀那が建立せる一期弘法抄の意味を含む本門事の戒壇であると申すべきであります。
こうして、「結局は金銀銅鉄の輪王は、我等大聖人の弟子檀那」と、一期弘法抄の「国主」の解釈はいつのまにか、我等弟子檀那となってしまうのでした。
これでは、日興上人の「是れ偏に広宣流布の時、本化国主御尋有らん期まで深く敬重し奉る可し 」(富士一跡門徒存知事)も、空しくなりましょう。
日興上人以来、今日に至るまでの弟子檀那は国主ではなかったが、昭和四十七年三月になると突如として一期弘法抄の意義を含む「国主」になるとは..。
報恩抄には 「国主は但一人なり、二人となれば国土おだやかならず、家に二の主あれば其の家必ずやぶる」と。どうして、一期弘法抄の「国主」が、「我等弟子檀那」となるべき道理があるだろうか。一宗の貫首として悲しいかな、失本心故の言と云うの他はありません。
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