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破邪新聞 昭和五十年一月二十四日号 (第4号)
特集 妙信講 デマと歪曲の数々
特集7 まぼろしの3千名?
顕正新聞 昭和四十九年八月十日号では、七月二十九日に行った野外集会を特集していますが、その記事は、“三千名が延々二キロの大行進”と、まことに誇大な宣伝をしています。
しかし、参加した人が一番良く知っていると思いますが、周囲から見た人の話や、写真等から確認しますと、千名そこそこ、というのが実情です。警察の調べでも千名一寸、ということで、デモに参加したのは、それを更に下まわりました。
この集会については、三千名を目標に組織をあげての大結集がはかられ、老人、女性、子供までから集められた、文字どおりの総動員でした。それが千名そこそこしか集らなかったのですから浅井昭衛はじめ中心者は、さぞがっかりした上、世間体を気にして水まし宣伝をしました。
しかし、このことがかえって内部不信を呼びました。当時、デモに参加し、今では、元妙信講を脱退したAさん(匿名希望)は、「だれがみても千名そこそこ、それも、何のわけもわからない人達や女子供まで集めてのことでした。四谷駅で解散したあと抗議文を学会本部と公明党本部に届けるといって幹部は自動車で行きました。私達が暑い中を歩かされたのに、何で自分達は今さら車にのって行くのかと、私の周囲では不満の声が出ました。それが、顕正新聞には、三千名堂々の行進、と出たので、一寸興ざめしました」と語っていま
す。
それにもまして重大問題があります。この集会には、某左翼政党の幹部であり、創対連の幹部であった野村某らが参加していたのを見かけた人がいます。彼らは、元妙信講本部に出入りしていたところを、やはり通りがかりの学会員にみられています。彼らは、かって街頭で御本尊を焼き払ったりした団体の幹部で、言論問題以来正宗に対し、誹誘中傷のかぎりをつくした人物です。こうした人物とまで共闘し参加させているということは、元妙信講が、口では仏法を守る、正義を守るといいながら、ただただ学会を倒し、宗門を牛耳りたい一心で、そのためには手段を選ばぬという本性を暴露したものです。こうしたことをたなに上げて、他を謗法よばわりする資格が、一体どこにあるのでしょうか。
また、宗内で相手にされなくなるや、日頃“謗法”といっている一般の人達やマスコミに対してデマ宣伝をしています。大聖人の仏法の解釈の正邪を、教義も知らなければ御本尊も拝んでいない人達の同情をかって決めようというのは、大変な自己矛盾ではないでしょうか。
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昭和四十九年七月二十八日、妙信講は明治公園に三千人を結集して「立正安国野外集会」を開き、決議文を以て池田会長に 「八月十五日までに、国立戒壇を否定した政府への欺瞞回答を撤回せよ。さもなければ妙信講が政府に対し訂正をする」と迫ったのでした。その政府への欺瞞回答撤回こそ、池田氏の最も恐れるところでした。
よって、創価学会は宗門を動かし同年八月十二日、妙信講に解散処分が下りました。その宣告書には「一、主文 講中解散に処する 右妙信講は数年来、『国立戒壇の名称を使用しない』旨の宗門の公式決定に違反し ・・・ 」と。
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