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破邪新聞 昭和五十年一月二十四日号 (第4号)
特集 妙信講 デマと歪曲の数々
特集8 はなはだしいデタラメ記事
昭和四十九年七月二十五日号顕正新聞二面に、小石川支部長相川仙吉名の“私の確信・御遺命実現まで死力尽さん”と題する文中に
『その中に、かつて私の友人で清水という男と会いました.年は若いが、仕事の上では私の先輩であり、私が独立の時に資本を出してくれたものです。
過去の福運の残りか金まわりがよく、有財餓鬼となってさらに名利を求め、創価学会では、次期中央区の区会議員が約束されている男です。何とかこの男に新聞を読ませ、論破しようと思い電話しましたところ、「選挙云々」と時間のスケジュールを説明し、十分ほどなら会うということになりました。
私は会って驚きました.相手はやせ衰え、生命力もまるで無くなっていたのです.(中略)聞けば体は病気、商売も失敗したということであります。十年前とは見る影も無い姿でした。(中略)相手は目に涙を浮かべ、十分の予定が二時間に及びました。私はこの斗いを通して、勇気と慈悲を以って相手に当れば必ず分かると確信しております』。とのくだりがあります。
ここに出て来る清水とは、自分のことを指している、と名乗り出た、中央区築地(略)清水康雄さんはまったくあきれたデマですと次のように語っています。
「書いてあることは、デタラメもはなはだしいことで大変迷惑です。第一、私に次期区会議員が決定しているといった事実はまったくありませんし、商売も失敗どころか、うまくいっていて、秋には香港旅行に行って来たくらいです。
相川と会ったことはありますが、ほんの三十分位話しただけで、わけのわからんことをまくしたてるので、要所要所を破折しただけです。何で私が涙をうかべなければならないのですか。彼らの云う生命力とは、浅井教の神がかりになって目をつり上げ、血相かえてなぐりこみをすることでしょうかね。私も腹にすえかねて、電話で相川に抗議を申し入れたところ、事実と違う点があることは認めました。念のため、この電話はテープにとってあります。それで顕正新聞の編集者に内容証明で抗議したら、今度は、何と『顧正新聞にかいてあることは、一字一句間違いはない』という返事です。馬鹿も休み体みに云えといいたい。だれだって間違いはある。それを指摘されたら素直に認めればよいので、だからといって主張は別だ、といえばそれで了解するのですが。
ところがうそをかいて、それをあくまで本当だと云い張り、他人に迷惑をかけるような連中に、仏法のことを論じる資格があるわけがないでしょう。
私は、この一事で、一切彼等を信用しないことにしました。およそ、世間のルールを無視し、まともな人なら及びもつかぬようなデッチ上げを平気で行うような人達にだまされて軽卒な行動をしたら、とんでもないことになると警告したい」。
とにかく、見さかいがないと云うか、一度云い出したら、絶対にあとに引くものかというようながむしゃらな意地っ張りだけが日立つのが、元妙信講のやり方です。
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双方の主張はともかくとして「だれだって間違いはある。それを指摘されたら素直に認めればよい」とは、その通りでしょう。
正本堂の誑惑を妙信講に指摘されてなお歪曲を重ね、二度までも「御報告」の宗内合意をしつつ二度までも違約した宗門・創価学会に、その言葉はふさわしいことでしょう。
そして 「世間のルールを無視し、まともな人なら及びもつかぬようなデッチ上げを平気で行う」のが、山崎氏の役割であったことでした。
さらに、こうした「破邪新聞」の 「まともな人なら及びもつかぬようなデッチ上げ」に宗門としてお墨付きを与え、創刊号に「あいさつ」を載せていたのは阿部総監代務者であったことでした。
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