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    国立戒壇論の誤りについて

 
二、国立戒壇の由来

  (
田中智学の“本化妙宗式目”に
                国立戒壇の名称と思想


 戒壇とは、宗祖日蓮大聖人所弘の三大秘法の一つである。その戒壇の内容に言及あそばされた御文は、四百有余篇の御遺文中、三大秘法抄と一期弘法抄に拝するのみである。しかし、それらの御文に国立戒壇の語は見当らない。
 また二祖日興上人が大聖人の御付嘱を受け、戒壇建立を目指して富士に法燈を掲げたまいしより、御一代の著作記述中にも国立の字句はなく、三祖日目上人以下明治以前の歴代上人の著作申状等にも国立の二字を見ない。

 これは、他の日蓮門下においても同様であって、恐らく明治以前には全く見当らないであろう。特に古来、他門系では三大秘法抄を意識的に無視または否定して、即是道場の理壇説を立てる者が多かったので、この点猶更のことであろう。明治に入っても、明治三十五年にいたるまで、国立戒壇ということをいった文献は見当らない。
 最初に国立戒壇なる語を使用したのは、身延派日蓮宗より出て在家の教団を組織し、明治三十五年妙宗式目を論述した立正安国会(後の国柱会)主、田中智学である。立正安国会は大正三年に国柱会と改称したが、その国柱の名でも察せられるように、また当時の同会の出版物に徴するも、彼は明治の時代に伴う国粋主義者であったことが明らかである。

 なかんずく彼の著述である本化妙宗式目は、当時の日本の国体思想を擁護した彼の代表作である。その所論は、王政復古以来の国体の精華をいやが上にも高揚する惟神思想と、神勅主権の憲法にもとづく国家観に貫かれている。いわば大聖人の仏法を、当時の時代風潮に乗って、摧尊入卑せしめた思想だったのである。しかし、時流に巧みに迎合し、かつその才能に任せて論じた式目の講義は、大袈裟に表現すれば、一世を風靡した観すらあり、一般日蓮門下にも相当多大の反響を呼んだようである。

 国立戒壇の名称とその思想が初めてあらわれたのは、まさにこの智学の式目の中においてである。



 「国立戒壇」という“語句”が初めてあらわれたのは、「智学の式目」であったということは、たしかに歴史的事実を述べています。
 しかして「国立戒壇」という“思想”や“制度”が、仏教伝来からまもなくしてすでにあったことはまた衆知のことで、それが初めてあらわれたのは決して「智学の式目」などでないことは、仏教思想史をひもとくほどの人なら誰でも承知していましょう。

 「南都の戒壇」にしても「叡山の戒壇」にしても”私立”でも”民衆立”でもなく、必ず「勅命戒壇」・「勅立戒壇」であったことでした。その意義は、「国立戒壇」に他なりません。日蓮大聖人の三大秘法における「本門の戒壇」(本門寺の戒壇)建立の「御遺命」も、もちろんそうした歴史的な背景・経緯を踏まえてのことでした。
 しかるに、ここで阿部教学部長(
当時、以下・省略)はそうした事実を百も承知の上で、「国立戒壇の名称とその思想が初めてあらわれたのは」云々と、名称と思想をいっしょくたにしては、露骨なる誑惑の言辞をなしたのでした。

 しかもまたここにおいて、見逃せない由々しき“事態”がありました。そも「言葉」や「表現」というものは、誰が“言い出し”たから“使い出し”たからといって、禁止・排除すべき性格のものではないでしょう。
 ここで「言語論」を持ち出すまでもないでしょうが、「一念三千」にしても「即身成仏」にしても「国立戒壇」にしても、そうした言葉・名称が“ラング”として現に用いられている以上、その「使用の是非」をそれが誰によって“言い出されたか”によって「問題視」するような論理を世間に向かってホンキで展開するのであれば、相当な覚悟が必要とされることでしょう。

 もちろん阿部教学部長にそこまでの意図があるわけもなく、ひたすら宗門僧俗を韜晦すべく、誑惑の筆を走らせたのでありましょう。それは、こんな拙い「詭弁」であっても日蓮正宗の宗門内においては容易に通用することだろうとした、まことに「正系門家」の僧俗を甘く見た「論法」であったことでした。
 尤もこの「悪書I」は、「大変失礼な話であるが、この論文は九割は原島嵩氏以下、特別幹部のメンバーと、山崎師団の弁護士、検事、修習生らで書いたものである。のこりの一割を、私たちの示唆に従って阿部教学部長が書いた。現法主にも、ゴーストライターがいた」(「盗聴教団」、山崎正友著)、ということでした。

                          ( 平成十四年十二月二十七日、櫻川 記 )


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