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国立戒壇論の誤りについて
六、三大秘法抄の戒壇の文意
( 「王法仏法に冥じ仏法王法に合して」とは )
大聖人の御書においては、事の戒壇の法義は、三大秘法抄と一期弘法抄にのみ示したまう処である。国立戒壇が大聖人の本義でないことは、すでに様々な角度から論じたが、国立戒壇の論拠も、その解釈の是非は別として、三大秘法抄の戒壇の文になる。
したがって、当抄の文意を拝し、根本的な形で、その是非を明らかにしたい。
まず、その文を念のために、ここに掲げておく。「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて、戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ、事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人、懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して踏給うべき戒壇なり」(全一〇二二)
右の御文中、初めの 「王法」については、国家の統治主権などと解すべきではなく、王の法、すなわち王の政治内容であり、今日ではさらに進んで「政治をふくむあらゆる社会生活の原理」と解すべきであることは、すでに詳述した通りである。この点については、堀米日淳上人も「一般世間の法にも通うところで仏法の出世間法なるに対し、世間法を意味せらる」という解釈をされていた。
それでは次の「王法仏法に冥じ仏法王法に合して」とは、どういうことであろうか。
第一に王法が仏法に冥ずるとは、王法が仏法の慈悲の精神、原理に冥々のうちにもとずいていくということである。王法の理想は、民衆の福祉にある。その理想を実現していくことが、そのまま仏法に冥ずることになる。具体的にいえば、表面に現れないが、妙法を持つ人が次第に数を増し、確実に正法を受持信仰するところ、それぞれ個々の目的、次元は異なっていても、政治をふくむ世間法の一切が、次第に仏法の正しい教意に契合するようになる。すなわち、これは、世間法を中心とする立場で、冥々暗々裡に静かにその仏法的精神化が浸透することと解されよう。
第二に仏法が、王法に合するというのは、仏法の慈悲の精神、原理が、仏法を持った人々の社会での活躍をつうじ、現実にあらわれていくということであり、仏法側の姿勢であるといえる。即ち、世間法中に仏法の精神があらわれ、契合する意と思われる。
両句は結局世間出世間法の相互契合の両面というべく、必ずしも前後因果の差異あるを要しない。冥に即する合であり、一分の冥あれば一分の合あり、百分の冥あれば百分の合があらわれる。これこそ広宣流布戒壇建立の原理を示されたものと拝する。
もちろん大聖人のお考えにおいては、当時の実情に即して一往国の主権者が中心となって、かかる冥合運動のあることを御想定あそばした事であろう。但し再往本仏三世の冥鑑においてはそうはいえない。今日の主権在民の上からは民衆自体の冥合運動であると拝せられる。
阿部教学部長の 「王仏冥合」の説明とは、第一に “妙法を持つ人が数を増し、政治をふくむ世間法の一切が次第に仏法に契合”することであり、第二に
“仏法の慈悲の精神・原理が、仏法を持った人々により現実に社会にあらわれる”、ということでありました。
“一分の冥あれば一分の合あり”等と、阿部教学部長はどこまでも日蓮大聖人の“一国同帰の暁”の「王仏冥合」を矮小化し、さらには「これこそ広宣流布・戒壇建立の原理」だとして、「時を待つ可きのみ」のご制誡を滅失するのでありました。
さて当時に於いて、増加の一途であった創価学会員の活動を こうして手放しで「王仏冥合」だとすることは、結果的に池田会長への“迎合”と“追従”に他なりませんでした。“信者が数を増し・社会で活躍”することが「王仏冥合の原理」なら、創価学会のすることなす事ことごとく
「王仏冥合」の一環となりましょう。
されば、池田会長にとっては世俗・世間において、政党・新聞社・大学・出版社・葬儀社・墓苑等の種々の収益事業を経営し、はばかることなく コングロマリット(宗教産業複合体)を形成する“お墨付き”を、与えられたようなものでありました。
ゆえに、阿部教学部長はこの論の後の段で、こう語るのでした。「宗門未曽有の流行の広布の相顕著なる現在も、王仏冥合の時と云える」と。
そして 「此の時に感じて法華講総講頭・池田大作先生が大願主となって、正本堂を建立寄進され、日達上人猊下は今般これを未来における本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、お示しになったのである」と。
このとんでもない 「王仏冥合」論に、阿部教学部長もすこしは気が咎めたのでしょうか、一旦は「もちろん大聖人のお考えにおいては」云々と、述べはしたことでした。
しかしながら、「再往本仏三世の冥鑑においてはそうはいえない」と述べ、阿部教学部長は、”今日の主権在民”という<他義>を基として「民衆自体の冥合運動」なる“己義”を以て、宗祖・大聖人の<お考え>に違うことを承知した上で、敢えて大聖人の<御意>を「一往の或義」に貶めたことでありました。
( 平成十五年三月十五日、櫻川 記 )
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