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国立戒壇論の誤りについて
六、三大秘法抄の戒壇の文意
( 「時を待つ可きのみ」とは“幅をもったもの” )
次に 「時を待つ可きのみ、事の戒法と申すは是なり」の文を拝する。まず「時を待つ可きのみ」の 「時」をどのように考えたらよいのか。
仏法の「時」というのは、本質的には、随自意で判断すべきものである。日蓮大聖人が今こそ、三大秘法の大白法流布の時と判断されたのは、究極するところ、大聖人の御内証からの叫びであった。
人が、どう理解しようが、どのように反対しようが、この「時」だけはどうしようもない。すなわち、人々の機情よりさらに根源的なところに流れている仏法上の「時」に立って、大聖人は、御本尊を確立遊ばされたのである。
また「時を待つ」といっても、それは、時をつくりつつ待つのであって、ただ手を拱いて待つのではない。さらに、仏法の「時」は、決して固定化した一時点を指すのではなく、もっと、ダィナミックで、かつ大きいものである。したがって大聖人が「時を待つ可きのみ」と仰せられたのも、一つには末法万年尽未来際の広宣流布を望んで壮大なビジョンの上から仰せられたものと拝する。
むろん、ここに示された「時」とは「王法仏法に冥じ …… 末法濁悪の未来に移さん時」との、戒壇建立の時と条件を示された御文を受けて仰せられたものであるが、その御文じたいも、決して固定化された一時点を指すものではない以上、「時を待つ可きのみ」の「時」も、幅をもったものとして解釈すべきである。
かっての世界の有名な建造物も、それこそ何百年という歳月の年輪が刻まれて、人々の心の依処となっているものが少なくない。そうした大局観に立てば、大聖人の仏法が、七百年後の今日開花しつつあるのも、その間の深い底流があったればこそであると思う。ゆえに「時を待つ可きのみ」といわれたその時が今日すでに到来したともいえるし、さらに未来を望んで、新しい時代の開拓に努力しなくてはならない。
大聖人の仏法は、一人一人の幸福を、生命の次元から、根本的に確立していくところから出発し、またそこに帰着する。たんに形式的に、戒壇を国立にしなければならないといった論議は、仏法の・本質を見失った、本末転倒の考え方であるといわざるをえない。
さらに考えれば、大聖人が「時を待つ可きのみ」と仰せられた御聖意を拝するに、予め社会次元での形式を論ずることは、かえって一定の制約をつくることになり、むしろ、時代に応じて、最も適切な方法をとるべきであるとの余地を残されてこのように仰せられたとも考えられる。
大聖人が、他の御書においても、一切戒壇の内容についてふれられていないのも、こうしたご配慮があったればこそではなかろうか。
阿部教学部長の “仏法の「時」というのは本質的には随自意で判断すべき”というのは、日蓮大聖人の「随自意」において、たしかにその通りでありましょう。
まさしく、「時鳥は春ををくり、鶏鳥は暁をまつ」(撰時抄)であり、「せんずるところ機にはよらず、時いたらざればいかにもとかせ給はぬにや」(同)であって、大聖人が説示される「時」において 阿諛の阿部教学部長が口を挟み・いろうべき余地はなく、“どう理解しようが・どのように反対しようが、この「時」だけはどうしようもない”のでした。
しかしながら阿部教学部長は、無慚にも“戒壇建立の時と条件”を示された大聖人の「随自意」を否定して、“「時を待つ可きのみ」の「時」も、幅をもったものとして解釈すべき”と
自らの随自意を以て、とんでもない無理筋な<己義>を構えます。
“戒壇建立の時と条件”を示された宗祖・大聖人の言葉が、阿部教学部長の手にかかると自身の「随自意の判断」によって、“固定化された一時点を指すものではない”し、“幅をもったもの”とされ、要は正本堂もその“幅をもったもの”の範囲内であって、「時を待つ可きのみ」の制約条件を満足しているのだ、との誑惑に帰着するのでした。
こうして、“ゆえに「時を待つ可きのみ」といわれたその時が今日すでに到来したともいえる”と、阿部教学部長はあからさまに“時が今日すでに到来”と述べて、池田会長の 「正本堂が本門の戒壇」なる誑惑をひたすら扶け、阿諛・追従するのでした。
加えて阿部教学部長は、大聖人の「時を待つ可きのみ」の厳たるご「制誡」をして、“かえって一定の制約をつくる”と貶め、“時代に応じて、最も適切な方法をとるべきであるとの余地を残されてこのように仰せられた”と 、その「制誡」の意義を却って「許容」と誑惑し、“時が今日すでに到来”として 恥じることを知りません。
さて、大聖人が他の御抄において、“一切戒壇の内容についてふれられていない”と云うのは、阿部教学部長のまなこが曇っていたからでしょうか。そうではありません。大聖人が「迹門の戒壇」を論じて「本門の戒壇」を徴せられたことは、すでにご自身が述べていました。
さらに、大聖人が他の御抄において「本門戒壇」の内容をあえて顕説されないことについて、阿部教学部長はかつて
「戒壇建立は国家の宗教的大革命であるから、国主帰依の後においても非常な大難があるべきこと、まして謗徒国中に充満の時、これが顕説は、慎重に慎重を加えられたものと思われます」(大白蓮華、昭和37年6月号)と。
“戒壇建立は国家の宗教的大革命”と百も承知の上で、阿部教学部長は“毒食わば皿まで”とばかり池田会長の<他義>を基として、自家撞着・自語相違も厭わず
誑惑に誑惑を重ねます。
( 平成十五年四月三日、櫻川
記 )
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