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国立戒壇論の誤りについて
六、三大秘法抄の戒壇の文意
( 「現時における事の戒壇」との訓諭の意義 )
以上のことを前提において現在は仏法上いかなる時であるかを決し、宗門緇素にこれを指南し給う方は、現法主上人にあらせられる。
今や現実に創価学会を中心とする信徒の大折伏は世界に及び、信徒数また夥しく強盛に信行に精進されている。此の時において法華講総講頭池田大作先生の発願による正本堂は、世界に冠たる大殿堂の雄姿を現わし、来る十月に完成の運びとなっている。
かくて日達上人には、さる四月二十六日の教師指導会の席上において、更に四月二十八日の訓諭において、正本堂の意義を明らかに発表あそばされた。
すなわち「正本堂は一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」との御指南である。
右文中「一期弘法抄、三大秘法抄の意義を含む」とは、正本堂が広宣流布の暁が来たとき、本門寺の戒壇となるべき大殿堂である、という意味である。
従って正本堂は現在直ちに一期弘法抄、三大秘法抄に仰せの戒壇ではないが、将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇となる建物で、それを今建てるのであると、日達上人が明鑑あそばされ、示されたのが此の度の訓諭であろう。
阿部教学部長は、「時を待つ可きのみ」を “時が今日すでに到来”と勝手に読み違え、そのたばかりを正当化するため “宗門緇素にこれを指南し給う方は現法主上人”と、最後には得意の詭弁もかなぐり捨てて“貫首の権威”にすがりつきます。
かりに「王臣一同」を「民衆一同」としたところで、「一同」とは“趨勢・大勢”の意であって、当時の“信徒数また夥しく”がとうてい「一同」に値しないことは、“現時にあっては未だ謗法の徒多き”と訓諭自身が示すように、“法主上人の内鑑の御境地”によるまでもなく、自明でありましょう。
貫首によるかかる誑惑を鑑みられ、開山上人は「時の貫首たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざること」(日興遺誡置文)と、予め誡め置かれたのでした。
「一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む」とする“訓諭”こそ、“仏法相違の己義”にして、白を黒と言い天を地と言うの“誑惑”を含みます。
「王法」を“あらゆる社会生活の原理”と歪曲し、「王臣一同」を“民衆一同”とたばかり、「勅宣・御教書」を“信教の自由”とこじつけ・“必要ない”と否定し、「最勝の地」を“大石寺境内”と偽り、「時を待つべきのみ」を“時が今日すでに到来”と読み替え、“戒壇建立の時と条件”をかくもあからさまに歪曲・変更して“一期弘法抄並びに三大秘法抄の意義を含む”とは、大した“内鑑の御境地”でありました。
さて 阿部教学部長は、“正本堂は(略)現時における事の戒壇”とする誑惑の訓諭について、「事の戒壇」とするにもかかわらず、“正本堂は現在直ちに一期弘法抄三大秘法抄に仰せの戒壇ではない”と解説します。それはとりもなおさず、これまで自らが苦心惨憺・種々にねじ曲げた“戒壇建立の時と条件”すら、満たし得なかったということに他なりません。“その条件が整う”のは、やむなく<将来>であると。
では“その条件が整わない”現在、“将来その条件が整ったとき、本門寺の戒壇となる建物”を
“今建てる”必要がどうしてありましょう。阿部教学部長は、ただ貫首の“明鑑”とするばかりで、その説明責任を放棄します。尤も、池田会長の甘言と脅迫に屈して阿諛・追従したから、などとは云えません。
一期の御大事たる「本門戒壇」の大誑惑、宗祖・大聖人はついに許し給わず。誑惑の当事者・阿部管長をして正本堂を破壊せしめ、以て“仏法相違”・“仏法中怨”の貫首が「後代の誠証となす」とした“内鑑・明鑑”たる「訓諭」を、厳として砕かれたのでした。
( 平成十五年四月六日、櫻川
記 )
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