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    池田会長本仏論の発端

 次に「本門の戒壇」についてです。これについての詳細は略しますが、日蓮正宗においては本門の本尊ご安置の所が本門の戒壇であるとされています。したがって、日蓮大聖人の出世のご本懐である「戒壇の大御本尊」ご安置の所が戒壇の根源になります。
 
 その本義とともに、日蓮大聖人は後世の弟子に広宣流布の暁に戒壇を建立し、そこに戒壇の大御本尊を安置せよ、そしてそのときに寺号を「本門寺」と号せよ、と御遺命あそはされています。これを“御遣命の戒壇″と言っております。

 実は、この間題をめぐつて、
妙信講との大論争がありました。また、松本勝弥氏の訴訟問題が持ち上がったのです。後者についてはここでは省き、前者について申し上げなけれはなりません。

 ( 中略 )

 さて、昭和四十七年十一月といえは正本堂が落成したばかりでありました。私は、その年の八月、夏季講習会の問約一か月間総本山にいました。朝から晩まで、妙信講の対策のため御宗門や学会本部と連けいをとり、池田先生の側にあっては様々な報告をし、話もいたしました。

 その際、私はずいぶん先生の前で
日達上人が時には学会側に、時には妙信講側に立ったというような話をしていたのです。こんなことが、やがて御宗門と学会との亀裂につながっていったことと、いまはただ御本尊の御前で恥ずる思いです。私も、最大の共犯者の一人だったのです。



 
この原島元教学部長の証言により、創価学会側からの了解として、御遣命の戒壇をめぐって宗門・創価学会と妙信講との間で、「大論争」があったことが知られます。

 
そして、日達上人が時には学会側に、時には妙信講側に立った」ということも。

 こうしたどっちつかずの宗門の対応の結果、「
国立戒壇論・正本堂戒壇論の両方の側から信頼を得ることはできず、逆に創価学会・妙信講の両者の不信を招いただけだった」( 関慈謙著、日蓮正宗教学の矛盾と再生 )といった結末を招いた、ということでありましょう。



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