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戸田先生の言葉
戸田先生(二代会長)は次のように述べられています。
「慈悲は尊いものであるが、慈悲を他人に強要すべきものではない。(中略)自分自身が他に向かって慈悲であるべきなのに、他に向かって慈悲を求め、強要するのは、大聖人様の弟子とは申されない所行である」
池田先生は、この鏡に照らせば 「大聖人様の弟子とは申されない」所行をなさったのです。
(略)
戸田先生は「猊下を日蓮大聖人としておつかえ申し上げ」といわれ、池田先生は、猊下を大衆の面前で怒鳴りつけられる。いったい、信者の大精神としてどちらが正しいのでしょうか。
戸田先生が、お小僧さんといえども、「その中から日目上人がご出現される」との第二祖日興上人の仰せを拝し、大切になさってきたことを思うと、先生のやられたことは大変な罪ではないかと私自身の信心をふくめて恐ろしくなります。
しかも池田先生は、後になって私や他の人に何回か「あのときなぜ怒ったかといえば、妙信講のときに、猊下はあっちについたり、こっちについたりしたからだ。覚えておけ!」とおっしゃいました。
しかし、前掲の宗門連絡会議の記録からは、そんなことは微塵も出てきませんし、首尾一貫しない話です。もしそうであるならは、そうとはっきり猊下に言上した方がよはどすっきりしています。これもあとからつくった言い訳、またはスリカエと思えてなりません。
原島氏の「首尾一貫しない」という感想は、どうでしょう。原島氏自身が先に 「こんなことが、やがて御宗門と学会との亀裂につながっていった」と、反省・述懐の言葉を述べていたことでした。
わたしが思うに、池田会長はきわめて執念深い人であって「仇討ち」やら「仇を討て」といった池田会長の言動を、原島氏自身が指摘し批判してきたことでした。
正本堂建立一年後の昭和四十八年十月十四日、正本堂東側広場で池田会長が日達管長を怒鳴りつけた動機・本音こそ、池田会長が何回となく 「あのときなぜ怒ったかといえば、妙信講のときに、猊下はあっちについたり、こっちについたりしたからだ。覚えておけ!」と語ったこと、にはっきりと顕れていることでありましょう。
そしてまたそれは、第三者の学者の目からみても
「一宗の統率者である法主が根本教義の問題に関し(略)優柔不断で八方美人的な法主の態度は、妙信講と創価学会の双方に、自己主張の正当性の確信と相手方に対する憎悪と反感の感情を与え、かえって葛藤を長期化させ深刻化させたであろう」(西山茂著、教義解釈の変更をめぐる一仏教教団の葛藤過程
)と見られたことでした。
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