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    問題の三文字

 合意点としては、正本堂がいま直ちに御遺命の戒壇の達成ではない、しかし、それが将来御遺命の戒壇となるか否か、また、それを国立戒壇とすべきか否か双方主張が異なるのでじっくり今後議論する、ということになり、その旨、御宗門に報告したのでした。

 その理事長談話(当時和泉理事長)は、十月一日付の『聖教新聞』紙上に約束通り掲載されています。「
正本堂は、いまだ御遺命の戒壇の完結ではない」というのが重要な部分です。

 このうち「の完結」の三文字を入れるか入れないか、最後の争点となりました。浅井氏は、先生を思う私たちの一念を感じ、「の完結」を入れることに同意したのです。
 会長談話を要求してきたのですが、それも理事長談話に落ち着いたのです。

 この三文字を入れるか入れないかではまったくちがうのです。正本堂が御遺命の戒壇ではない、とすれば、これまでの
学会の主張は音を立てて崩壊するからです。

 そのとき、たとえ“敵対関係”にあるとはいえ、“
信義には信義”“礼には礼”であり、私たちは感謝しました。
 ここで悪戦苦闘の末、合意点に達し、死んでも正本堂の儀式を阻止しょうとする妙信講との“流血の惨事”は何とか食いとめることができたのです。




 この原島元教学部長による「
三文字を入れるか入れないか、最後の争点」という事情は、顕正会側の資料には登場しない、当事者のみが知りうる情報でしょう。

 そして原島元教学部長が、率直に「
私たちは感謝しました」と述べていることは、顕正会側が言う「武士の情け」と符合します。
 浅井会長によれば、「
それだけは弟子として忍びない。私達は生きて帰れない」 との懇請にその心情を汲んで、理事長談話での発表で了としたとき、原島元教学部長は涙を浮かべ両手をつき有り難うございましたと頭を下げ、心底より謝意を表したと言われます。

 当時、為す術もなくこの会談の帰趨を見つめていたわたしの脳裏には、浅井本部長(当時)の「ただ一死を賭して在家の本分に殉ずるのみ」の言葉が、刻み込まれていたことでした。



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