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    建て前と本音を使いわける口コミ

 やがて十月一日は完工式、六日は御遷座式、十一日から大行事がはじまり、そして十月十二日の正本堂落慶奉告大法要が営まれました。
 何事もなくすべてがスムーズに、晴天のもと厳粛にとり行われました。

 ところが、法要が終わってから、ある一件が起きたのです。下山のバスの乗客に池田先生のご伝言が伝えられました。
 「
本日、七百年前の日蓮大聖人の御遣命が達成されました。ありがとう」-- 私は、それをいちはやく開くやすぐに手を打つことを考えました。

 しかし、もうバスはほとんど出てしまっていたのです。これがもしも妙信講の耳に入ったら大変です。その後の諸行事に不測の事態が起こらないとは限りません。
 また御宗門も
訓諭の精神に反した発言に対し怒りを発せられることでしょう。また、理事長談話として社会への公表を裏切ることになります。また、会員の広宣流布の目標を失ってしまうことにもなりかねません。たとえ池田先生の言葉でありましても、これは阻止しなければならないと決断いたしました。

 バスが到着するところに幹部を待機させ、それを一切打ち消すように首脳に手配していただきました。私も若気のいたりで、真剣さのあまり少々感情が高ぶっていました。先生の伝言をそのまま伝えたのはある首脳でした。私は、その人に
責任をとれといいました。

 しかし、そのことが池田先生の逆鱗にふれてしまいました。雪山坊の一階ロビーで「
責任をとれとは何だ! 正本堂は御遺命の戒壇ではないのか!」等々、烈火のような先生の怒りは周りの人々にさえ恐怖感をいだかせたようです。
 私はせめて「
ただ先生をお守りしたいばかりに」というのがせいいっばいでした。「オレなんか守らなくたっていい、私は牢にいくことも辞さない男だ!」 -- 牢に行くことも辞さない決意であることは結構だとしても、それが日蓮正宗の法義にそむくものであったなら、その決意は到底容認できることではありません。

 しかし、私は愚かにもそのときはただ先生のすごい気迫に圧倒されてしまいました。そのあとで首脳その他の人々が雪山坊の三階に集合したときも、池田先生は同じように、今度はねちねちと私を総括されました。「
私の心は会員を喜ばしてあげたかったからなのだ」と先生はおっしゃいました。

 先生は「
会員のため」ということを口ぐせのように言われます。事実、会員のために心血を注がれてきたのでしょう。しかし、このときばかりは先生ご自身の力で七百年来の悲願を達成したのだぞ、とのお心が見え見えでした。
 いかに会員のためとはいえ、日蓮正宗の根本法義に関わり、かつ社会に公表したことに対し、これとはまったく別のことを口コミで流すということは、決してなさるべきではありません。建て前を公表し、組織を使って口コミで本音を伝えていくことにかけて、先生は天才です。




 原島元教学部長が、池田会長に離反するきっかけの一つとなった<事情>が、克明に語られています。

 「
もしも妙信講の耳に入ったら大変」ということは、一面・池田会長を守り「その後の諸行事に不測の事態」を回避せんがためですが、一方 “信義には信義” “礼には礼” と、心底より感謝した妙信講に対する池田会長の裏切りを許せない、日蓮正宗の根本法義の歪曲を肯じえない、そうした原島氏の誠実な思いもその背後にあったことなのでしょう。

 そしてこれほどまでの、「
正本堂は御遺命の戒壇」への池田会長の激しい執着は、やがて本門寺改称の陰謀へとつながって行くのでした。



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