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側近ナンバーワン
当然ながら、こうした強引な組織拡大作戦は社会問題の様相を深め、マスコミからの学会批判、池田批判が高まってきた。その批判に対して学会例の防波堤となる。
それが私の仕事だったが、その仕事量は日を追って増加する一方だった。
一日に五社、十社の取材陣と応対し、とにかく創価学会の新しいシンボル・池田大作のイメージを低下させないように学会事情を説明し、相手をうまく説得する仕事である。社会問題化した事実は事実として認め、しかしほかへ責任転嫁してしまう。要するに巧妙なウソ、あるいは子供騙しのタテマエ論で押しとおす。
たとえば一部学金員の暴走は池田会長の本意からはかけ離れた行動であり、学会本部としても遺憾である。また、地方幹部の中に学会員を煽り、時に圧力をかけて折伏を競わせているとの報告がある。それについては今後きびしく指導して改善したい……。まぎれもなく池田が張本人なのに、そんなゴマカシ論法でとにかくトップへ累の及ばないように処理をするのが私の役回りであった。
そのうちに私を見る池田の目が違ってきた。これは使える、とでも考えたか。私に命じる仕事の範囲がどんどん広がった。やがて本部詰めとなって半年もすると、私は学会上層部でも池田大作にもっとも近い男、側近ナンバーワンといわれる地位に取り立てられていた。(略)
そのころ私の下に二人の部下がいたが、それが現副会長の山崎尚見、公明党現書記長の大久保直彦である。自分でいうのもおかしいが、私はこの二人の部下を使い、創価学会の初代渉外局長として学会と池田大作を対外的に防御し、また社会的に初めて認知させた。成長期の創価学会を担った大幹部としてそれだけの仕事はしたという自負がある。
ただ、この学会一流の強引なやり方がのちに「言論出版妨害事件」の導火線となったわけで一長一短ではあった。
創価学会の言論出版妨害事件の伏線ともいうべき、マスコミ対策や渉外における「学会一流の強引なやり方」が、具体的に当事者の言葉で語られています。
そしてやがて、 「責任転嫁」や「巧妙なウソ」や「子供騙しのタテマエ論」ではおさまらず、そうした創価学会の体質は、謀略・盗聴・デマ・中傷・諜報・スパイ・訴訟・破壊へと突き進むのでした。
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