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    周到につくられた「池田本仏論」

 学会員もバカではない。常識だってある。学会員は奴隷のように池田大作に仕えよ、と命じられて学会全体がそういう空気になったのは、ゆっくり時間をかけ用意周到な手を打ったからである。

 創価学会という宗教団体で絶対者となるための方法はただ一つの道しかない。池田はそれをうまく発見した。それは宗祖・日蓮大聖人と生身の自分との同格化、つまり自分が宗祖・日蓮大聖人に取って代わればいいと考えたわけである。

 その着想をすぐ実行に移した。第一の作業は自分を日蓮大聖人の生まれ変わりだと繰り返し宣伝することだった。入信のいきさつ、会長就任時のエピソードを創作して学会員へ広めたデタラメはすでに書いたとおりだが、それらの作業はすべて学会内部に池田崇拝を浸透させるための手のこんだ池田の心理作戦だったのである。

 池田全長が三十二歳で会長に就任されたのは日蓮大聖人の生まれ変わりなればこそだ。二度まで会長就任を断り、三度目に受けられた。これも仏の姿にかなっている……池田大作は戸田城聖の弟子時代に習い覚えた日蓮正宗の故事を巧みに利用した。子供騙しの手口ではあるが、池田はしつこく何度も同じウソをさまざまな場所で繰り返した。
 「
ウソも百遍繰り返せば真実になる」 池田大作はこの人生哲学を大真面目に実践し、やがて出所不明の「池田本仏論」なるものが学会全体に口コミで流された。

 「
池田先生こそ現代に生きる仏さまである」 この大宣伝の推進役は福島源次郎元学会副会長だった。昭和四十年代から五十年代前半にかけて池田の最側近と呼ばれた人物である。かつて学会上層部で「ゴマ源」と陰口を叩かれながらも一心に池田に尽くした福島には有名なエピソードが語り伝えられている。
 いま、日本全国に六百を数える創価学会関連の会館に「池田」の名を冠した建物が五十以上もある。この会館命名の発端は福島に対しての池田のつぶやきだった。ある日、池田は側近の福島に向かってこう言ったのだ。「
私がお前の立場だったら、『新しい会館に先生の名前をつけさせて下さい』というのだがな」 その言葉を開いて、福島は自分の気配りのなさを恥じ、「池田全館」推進運動のために走り回った。その懸命な姿を池田は上機嫌で褒め上げた。

 同じ調子で四十年代後半、池田の意を受けた福島は全国各地を回り、まず地方の幹部たちを前に
池田本仏論をふれ歩いた。地方幹部たちは福島の言葉を池田の意志と受け取り、それぞれ自分の担当地区へ戻って一般学会員を集めて同じ話を繰り返した。
 一年、二年、三年…。学会員たちは繰り返し、繰り返しあらゆる会合で「
池田本仏論」を叩きこまれていった。
 生身の池田大作がなぜ仏になれるのか。首をひねる学会員は少なくなかったが、それをみんなの前で口にしたら大変だ。幹部から怒鳴りつけられる。「
お孝えは信心が足らないから、池田先生を信じられないのだ」 神も仏も信じないという無神論者と違い、学会員は信仰に生きる人間集団である。 そういう人が満座の中で、信心が足りない、罰が当たるゾ、とやられる。この叱責は学会員にとつては「人間失格」という意味に等しいから、その批判をおそれて、だれも池田本仏論に疑問の声を上げなくなった。

 池田の狙いは見事に図に当たった。最初は首をひねっていた学会員が「
池田先生を疑う自分のほうがおかしいんだ」と反省し、さらに熱心に題目を唱えるという形になった。純真な信者であればあるほどその傾向が強かった。「無疑曰信」はこうしてその意味が変えられてしまい、昭和五十二年頃になると、池田本仏論が学会内部に行き渡った。「池田先生は宗祖さまの生まれ代わりだから特別なお方だ」という考えが学会員の間では常識になっていった。

 ところが、この池田本仏論は日蓮正宗の信仰からいえば邪道もいいところであり、日蓮正宗の法主・日達上人からきびしい叱責を受ける事態となった。すると池田は
すべての責任を福島に押しつけた。
 「
私の知らないところで福島が勝手な真似をやったらしい」 池田はそういい、生真面目な福島は池田の裏側にようやく気づき、深い苦悩の日々を過ごしたのち、自己嫌悪を感じながら学会を去った。
 本部職員や学会幹部たちは「
また、池田お得意のとかげのシッポ切りか」と口外こそしなかったが、このことで人間池田の汚さをあらためて思い知った。そのあとも、新たなゴマすり幹部の登用という形で学会内部には、根強い池田生き仏伝説だけが生きつづけているのである。



 
入信のいきさつ」や「会長就任時のエピソード」の創作だけでは、さすがに皮相に過ぎることでありました。

 
そこで、この「池田本仏論」を、より洗練したかたちにおいて教義・教学上で理論的な基礎づけをしようと試みたのが、松戸行雄氏の著になる『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』でありました。
 こうして今なお、池田SGI会長があくまで・どこまでも、「池田本仏論」の成就・完成の野望を捨てていないことが知られます。

 なお、福島源次郎元副会長の言(蘇生への選択)によれば、池田本仏論」を説いたことはなく、ひたすら「池田会長への帰命」を説いたのだ、とのことでした。しかして帰命とは、「仏」に対しての言葉、ではないだろうか。




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