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藤原の除名は「ちょっと待て」
国政の場や地方議会において公明党が行使する政治力。この一つをとっても創価学会、公明党の存在は一般社会に対して深く関わっている。
たとえば国会内の公明党勢力はすでに衆参両院で自民党の一大派閥にも匹敵する。その政治力の行使によっていま公明党が発揮する力は一般の想像以上に大きい。(略)
全国の地方議会へ目を向ければ、公明党議員の占める現有議席は三千八百余。東京都議会のキャスティングボートを握る公明党都議団に象徴されるように、こちらの公明党勢力も各地方自治体の政策を左右し、市民生活に多大な影響力を行使できる存在にのし上がっている。議会制民主主義のこの国で、公明党がいかに深く根を下ろしているか。
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そして、その四千人近い公明党政治家全員が池田大作という一人の男に生殺与奪の権利をにぎられ、その顔色をうかがっているのである。 巨大な人的パワーを背景にする池田に背けば即座に断罪されてしまうという無言の圧力を受けている。彼らは池田のご機嫌さえ損じなければ、いまの議員の身分だけは保証される。その権力構造に日を奪われるあまり、公明党内部では時として民主主義の基本ルールさえ忘れ去られている。
池田と利害関係で結びついた公明党議員たちが「裸の王様」にひれ伏して、人間の弱さ、醜さをさらけ出している。本来、信仰で結びついたはずの人間たちが、社会でもっとも忌むべき姿を哀しいほどに露呈しているというのが私たちの組織のもう一つの現実なのである。
こうした公明党にあっては、議員たちが最優先する仕事は一つしかない。それは「池田先生を守ること」である。極端ないい方をするなら公けの政党である公明党をつぶしても池田名誉会長だけは守る。世間の人が聞いてあきれかえるようなこのルールが一つの異論もなく、党内で大手を振ってまかり通る。それがいまの公明党独特のいびつな体質であり、その非民主的な権力構造の項点に君臨するのが池田大作なのである。
池田は「創価学会の人間は奴隷のごとく私に仕えよ」というのと同じ論理から、社会の公僕たる公明党委員長から地方議員まで自分の意のままになる操り人形としか考えない。
その現実の裏側では、池田の国会喚問阻止のために汚い政治的取引まで演じられたりもしている。言論出版妨害事件の一件がそれであり、今回の大橋問題で自民党と公明党との間で同じ様な取引があったという噂が国会の事情通の口から囁かれていた。
要するに池田大作が創価学会と公明党に君臨する限り、「政教分離」などは絵空事でしかなく、このウソをつづければつづけるほど双方の組織が弱体化する。その悲劇的な未来図だけがはっきりと見えてきていた。
公明党の実態が、その中核をになった人の口から、明確に語られています。
さて、世に「政治的独裁者」の例は、古今東西・限りがありません。近くは池田名誉会長とも親しくよしみを通じていた、ノリエガ将軍もチャウセスク大統領も、その末路は哀れでした。
しかして、組織幹部の生殺与奪の権を完全に握って、創価学会の頂点に四十年以上の長きに君臨し続ける池田名誉会長、なんとも畏るべしでありました。
まことに、宗教の果たす力とは、かくも大きいことが知られます。「言語はもっとも巧妙に内部に浸透する武器となる」(「ソシュールの思想」、丸山圭三郎著、岩波書店発行)という言葉を、思い知らされるところです。
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