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王仏冥合論
このたびの参議院選挙戦では、大いに社会の注目をひいた。宗教団体であるわが学会人のなかから、政治家をだすのかということについて、内外ともに、いろいろの議論がでている。
たとえば、日蓮正宗を国教にするとか、また何十年後には、衆参両院の議席を学会人で占めるとか、または、創価学会が日本の政治をとるとかいう、あらゆる妄説が唱えられている現状である。
しかし、われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法稟承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである。
三大秘法稟承事にいわく、「戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり」
以上の御書を分析すると
一、戒壇とは王法仏法に冥じ、仏法王法に合して(総じての王仏冥合論)
二、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(人法論)
三、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時(時を論ず)
四、勅宣並びに御教書を申し下して(国立戒壇論)
五、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か(所を論ず)
六、時を待つべきのみ 事の戒法と申すは是れなり(未来への付属論)
七、三国並びに一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も
来下して踏み給うべき戒壇なり(国立戒壇の功徳即一国の平和論)
(大白蓮華 昭和三十一年八月一日)
戸田会長は、「われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある」と、国政に議員を送るゆえんを述べています。それは「すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである」と。
これは昭和三十一年五月一日の大白蓮華 ・巻頭言で記した「政界に、国立戒壇建立の必要性を、十分に理解させること」と、まったく軌を一にしています。
そしてこれこそ「夢のごとく言いならされてきて、大部分は単なる理想境とし、実現不可能事とせられて」来た日蓮大聖人の至上命令、すなわち御遺命の事の戒壇・国立戒壇建立を、夢や理想境ではなく、具体的に進める方途(タイムテーブル)の明示でありました。もとよりそれは、「至難事中の至難事」であることも、併せて示しつつ。
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