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創価学会第三十三回総会 池田会長講演
学会と公明党の関係
( 「宗教政党」という理念 )
今度の言論問題を通じて、さまざまな問題が浮かび上がってきましたが、ここに将来のためにも、はっきりさせておかねばならないのは、創価学会と公明党の関係であります。
私としては、公明党結成のことを発表した昭和三十九年の本部総会の講演でも、創価学会は宗教団体であり、公明党は政治団体であると、はっきり政教分離の出発を目指しておきました。
私自身、公明党の会合には一度も出ておりません。三十九年の結党大会にも出ていません。また四十年七月に「宗教政党」という理念を述べましたが、ここでも「理念においては一体であるが、体制、機能においては別である」むねを前提として、そう申し上げたのであります。
これは、学会と公明党は「一体不二」であるという言葉を使ったので、一部に誤解した受け取り方をされておりますが、よく読んでいただければわかるように、民衆の幸福と平和を願う理念、理想が同じであるという意味であって、体制、機能の面までも「一体不二」ということは決していっておりません。
また、その後「公明党のビジョン」を発表したときも「学会員一人一人の政党支持は自由である」と明言しておきました。むしろ創価学会は宗教団体として、信仰・布教に専念し、公明党は公党として、立派に社会に貢献し、大衆福祉のために戦ってほしいということが、私の一貫した願いであったのであります。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
では、藤原元総務の言葉を聞いてみましょう。
『周知のとおり、四十五年に起きた言論出版妨害事件が契機となり、創価学会と公明党はいわゆる「政教分離」を余儀なくされた。この変革は創価学会すなわち池田大作の「下部組識」であった公明党が独立して、公けの政党に生まれ変わるという重要な意味を持っていた。同時に、これは現行憲法を守るという姿勢を世間に示すために公明党の創設者である池田が党首の座を降りるという社会的約束でもあった。現に創価学会も公明党も声を揃えて世間にはそう公表し今日にいたっている。
しかし、池田大作はその社会的約束など歯牙にもかけず、「この公明党本部のご本尊に俺の名前が入っている。だから俺はここにきて当然だし、お前たちに指示するのも当たり前だ」と、組織内部でうそぶき、四十五年以降も「党首」の地位を降りようとしなかった。そしてこの池田大作の反社会的なウソを世間の目から隠すために、公明党議員は二十年近くも対外的には「政教分離」、内部的にはガチガチの「政教一致」という矛盾に満ちた現実に身を置いている。そこから公明党の腐敗が広がり、党首脳でさえ池田大作の「番犬」の立場から一歩も出られない現状が生じたのである』(池田大作の素顔)と。
公明党の衆参両院の国会議員をはじめ地方議員に至るまで、選挙における公認の最終決定をするのは池田名誉会長であり、公明党の委員長・書記長等の役員人事を決めるのも今なを池田名誉会長であることでした。
公明党の人事と金庫を握っているのは、池田名誉会長ただ一人であれば、言葉の正確な意味で公明党と創価学会は現在において、たしかに「一体不二」と謂うの他はないことでありましょう。
(
平成十四年四月十九日、櫻川
記 )
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