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創価学会第三十三回総会 池田会長講演
学会と公明党の関係
( 制度のうえで政教分離 )
もとより、公明党誕生の母胎は、創価学会であることは間違いない。しかし、いくら、いくら母胎といっても、いつまでも、自己の支配下におこうとして、かえって成長を妨げてしまうのは、愚かな母親であります。
子は、いつまでも幼児ではない。体の成長にともなって、精神的にも、一人前の社会人として、活躍できるようにならなくてはなりません。今までは、創価学会と公明党は、この母と子の関係にあると見られてもやむをえなかった。それにしても、われわれは、愚かな母親であってはならない。この愚かさは、結局、重荷となって自らにおおいかぶさってくるでありましょうし、子供も社会に貢献できない大きい赤ん坊として社会の笑い者になってしまうでありましょう。
われわれは、これまで、公明党のために一生懸命応援し、守り育ててまいりました。だが第三党にもなれば、すでに立派なおとなであります。それでもなおかつ、これまでのように面倒をみなければならないとしたら、それは不合理というものであり、社会の批判をうけるのも当然の理でありましょう。
そこで、これは提案になりますが、創価学会と公明党の間係は、あくまでも、制度のうえで、明確に分離していくとの原則を、更に貫いていきたいのであります。もちろん理念においては、ともに冥合するものでありますが、実践面においては、それぞれの目的に向かって将来も進むことは、当然であります。これは、特に党幹部からの強い要望もあり、学会でも当然のこととして、理事会でも決定したことでありますので、皆さん方のご賛成をいただきたいのであります。
今後、たとえ票が減ろうと、議員数が減ろうと、それが世論の要望であり、本来のあり方であるならば、近代政党として、当然の道であります。具体的には、議員で、学会の役職を兼任している場合、党の仕事に専念していただくために、学会の役職は段階的にはずす方向にしていきたい。党の要望もあり、できれば、二、三年の間に安定をみる方向に、党も学会も話し合っていきたいと思っております。
ただ、本人の意志も、民主主義の建て前から、当然、尊重しなければなりませんし、当分は過渡期のため重複する場合もあるかもしれませんが、それはご了承ください。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
ここでもまた、さらに藤原元総務の言葉に耳を傾けてみましょう。
『 言論出版事件ののち、創価学会と公明党は「政教分離」を世間に公表した。が、池田大作はその社会的約束など歯牙にもかけず「党首」の地位を降りようとしなかった。繰り返すが、公明党の腐敗はすべてこのウソからはじまったのである。(略)
創価学会と公明党は不即不離、百パーセント池田大作の意向どおりに動いているわけで、それを一つひとつあげつらっていったら切りがない。政教一致の実態がありすぎるため、外部の人たちにわかりやすく説明するのが困難なのである。
世間の人には奇異と感じられるかもしれないが、学会内部にいる人間にとっては池田の意志がすべてに優先する。これはあたりまえすぎる既定事実であって、そのことが問題視されること自体に首をかしげてしまう空気がある。たとえば対外的に公明党の重大な政策決定を発表するのは前は竹入前委員長、いまは矢野委員長だが、竹入にしろ矢野にしろ池田の操り人形にすぎない。
学会内部、公明党内部ではそれは常識だ。党の代議士連中は竹入や矢野の提案を黙って聞きながら、その背後に池田大作の顔を思い浮かべている。だからだれ一人反対しないのである。要するに公明党委員長、書記長という首脳人事を決めるのはだれかという簡単な話なのである。その人事権は三十九年の結党以来ずっと池田大作が握っている。
私自身のことを話そう。私は公明党都議団幹事長を通算十期十年つとめた。幹事長時代、私の重要提案はいつも全員一致で了承されたものである。それはなぜか。公明党都議はみんな私の背後に池田大作を見ていたからだ。
つまり党の根本方針、重要な案件に関してすべて池田の了解を得る。それが暗黙の約束事として党内に徹底されているから、時に反対意見が出ても「本部」の二文字をちらつかせれば事は解決した。私の提案は本部すなわち池田の意向と受け取られるからである
』(池田大作の素顔)と。
そして竹入元公明党委員長もまた、朝日新聞紙上に「秘話 55年体制のはざまで」とした政界における回顧録を発表し、例の「言論出版妨害事件」の真相をはじめとして、創価学会と公明党の<政教一致の実態>や、池田会長を守るべく検察・警察に対し不正な裏工作をした事実等を公表したことでありました。
(
平成十四年四月二十日、櫻川
記 )
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