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これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --
第一章 信じ難い現実
内容改変
( 依らしむべし、知らしむべからず )
それにしても、このような出版物の内容改変も、創価学会自身の著述にかかわるものならば、社会の嘲笑をかうだけで済む。しかし、宗門関係のお方の著作にまで、池田会長や創価学会の都合で改変を加えたとなると、問題は別になる。
日蓮正宗第五十九世法主堀日亨上人の御著作「富士日興上人詳伝」が、最近「聖教文庫」に再録出版された。
この御著作は宗門外でも名著とされている、日亨上人晩年の御研究であるが、「聖教文庫」版では、ざっとみただけでも以下のようなカット、改変がなされている。
1) すなわち、本門の本尊を奉安せる戒場は、いずれのところでも、何千か所ありとも皆理義の戒壇であるが、唯一の国立戒壇すなわち大本門寺の本門戒壇の一ヵ所だけが事の戒壇でありて、その将来に属する。(「聖教文庫下巻」四三ページでは、傍点{赤字}の部分がカット)
2) 富木殿へのは伝教大師の円頓戒壇すなわち法華迹門の戒壇は、大師滅後に勅許があったのを例として、事法であるから、すなわち、国立戒壇であるから容易な事でなかろうとして、云々。(「聖教文庫下巻」五四ページでは、傍点部分が“事の戒壇”と変えられている)
3) これをもってかんがうれば、本門戒壇にはむろん本門の大曼茶羅を安置すべきことが、とうぜんであるので、未来勅建国立戒壇のために、とくに硬質の楠樹をえらんで、云々。(「聖教文庫下巻」五九ページでは、傍点部分が“未来建立の本門戒壇”と変えられている)
4) ともかく六箇の史料を見合するに、三堂建立は興師の御理想なるも、実現は大国主すなわち大日本国皇帝陛下の御命により一時に大荘厳を極めた建造が、富士の曠野の最勝の地に地に建立せらるべきで、云々。(「聖教文庫下巻」七一ページでは、傍点の部分が“広布建成の暁”と変えられている)
5) 興尊御門下の富士の老若には、広宣流布に伴う大本門寺の、また大戒壇の勅建が朝夕近しと期待せられた。(「聖教文庫下巻」八○ページでは、傍点部分が“建立”と変えられている)
よく捜せば、まだこのような部分はあるだろう。いずれにしても、猊座に居られたお方の御著述を、部分的にとはいえ、自分の都合で勝手に変改するとは、信徒にあるまじき不逞の行為ではなかろうか。こんなところにも、池田会長と創価学会幹部の宗門軽侮の本音がみられると思う。
と同時に他の一面では、私達創価学会員への愚弄でもある。自分達に都合の悪いものは一般会員に知らせないという態度は、かつての封建君主が「民は依らしむべし、知らしむべからず」とした民衆侮蔑の態度と、全く同じである。
創価学会は民主主義の見本みたいなことをいっているが、“知らしむべからず”は、民主主義からほど遠い姿である。出版物の不当な内容改変は、民主主義とはかけ離れた発想である。私達はこのような創価学会の現実に、目をこらさなければならない。
そして、池田会長と創価学会の辿りつつある道が、果して日蓮大聖人のお示しになっている道であるかどうかを、“池田教狂信徒”としてでなく、日蓮正宗信徒として、考えなければならない時にきているのではないだろうか。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
下山氏が指摘するような、猊下の発言・文章の勝手な改竄は、すでに昭和三十九年一月一日発行の「日達上人御説法集」から始まっていたことでした。
他人の・しかも猊下の文章にしてなおしかり、いわんや自分たちの出版・発言においてをや、でありました。「創価学会入門」、「仏教哲学大事典」、「聖教新聞縮刷版」、「会長講演集」など、こうした改竄は創価学会のすべての出版物に及ぶことでありました。
まさしく、「民主主義の対極」に位置する“知らしむべからず”の創価学会の体質が、みごとに露呈している一例でありましょう。
(
平成十四年六月三日、櫻川 記 )
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