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甦るか創価学会 --- 広宣流布路線への提言 ---
第一部 広宣流布への提言
日蓮の平和思想(四)
● 国立戒壇と妙信講
( 創価学会の本門戒壇に関する見解 )
それまでの創価学会の 本門戒壇に関する見解は次のようであった。
「われわれ青年部は、今こそ先生(戸田城聖)の御遺命となった国立戒壇建立に向って怒涛のごとく大前進せねばならないのである」(大白蓮華 S33・5)
「三大秘法の広宣流布、すなわち国立戒壇の建立だけが目的なのです。……会長先生の我見ではなく、日蓮大聖人の至上命令である。御金言なのである。勝手に創価学会で想像してつくった国立戒壇論でも、戒壇建立論でもない……この目的に向って、ただ一人立っているのが、我が創価学会なのである」(大白蓮華 S33・9)。
この言葉は 池田氏自身によって否定される。 「戸田先生もわれわれも、一時『国立戒壇』と言ってきました。しかし、どこをさがしても御書には『国立戒壇建立』ということばはないのです。大聖人様はちゃんと未来を考えていらっしやったのです。いまの評論家どもは『創価学会は国立戒壇を目標にしているからけしからん』と言いますが、私は何を言うかと言いたい」(聖教新聞S40・9・22)
折伏、選挙と会員のエネルギーを国立戒壇に燃えさせておいて、いかにも説得力のない否定のし方である。
やがて、民社党塚本三郎代議士、共産党谷口善太郎代議士より、言論弾圧問題や国立戒壇問題で、池田会長の国会喚問を求める声があがると、国立戒壇という言葉は完全に否定。民衆立の戒壇などと、それこそ御書の中に、その匂いすら感ずることの出来ない言葉が使われ始めた。
国立戒壇という言葉は確かに日蓮の残した遺文の中には文字としてはない。明治以降日本が立憲君主国となって、藩に代わって、国家や国体というものが盛んに論じられると、必然的に広宣流布というものが、国立戒壇に結びつけられて宗内でも論じられるようになったのである。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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