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   創価学会第三十三回総会 池田会長講演

     正本堂の本義

  (
国立戒壇という表現は使わない

 だが、どうしでも人は「国立」という言葉からくるイメージで、国家権力によって戒壇を建てるのではないか、そして国教化、一宗専制を目指し、他教を権力によって弾圧するのではないかという誤解をいだいてしまうのもやむえないかもしれない。

 そこで私は
猊下におうかがいしたうえで、国立戒壇という表現を使わないことにし、かつこれまで使ったことがあるけれども、その真実の内容は、民衆立であり、事実、本門の戒壇である正本堂は、国家の財政にいささかも、よっていないことを何回となく申し述べてまいりました。
 しかし、それでも一部になお疑惑がもたれ、学会の政治進出の目的は、国立戒壇にあるのではないか、したがって、それは憲法違反ではないか、更に現在は民衆立でも、やがて国会で三分の二の多数を占めて、国立にするのではないか等と、さまざまに心配されてまいりました。

 たしかに、かってそれに近い表現もあつたことも事実であります。しかし、もとより大聖人の御書には、戒壇建立の本義は明らかにされても、具体的なプロセスについては、後世の人に託しておられます。
 また先哲も、あらかじめ形を定めることは後難を招く恐れありとして、その社会、時代に応ずべきことを明言しております。すでに正本堂の完成も眼前にあり、私は猊下のご説法に基づき、また総務会の理事会等の了承を得たうえで、ここに、現代における戒壇論をめぐる諸問題を明確にしておきたい。


                       ( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )


 池田会長が云う、「
猊下におうかがいしたうえで、国立戒壇という表現を使わないことにし」とは、「猊下に圧力をかけて、国立戒壇という表現を使わないようにさせた」、ということでありました。

 昭和四十五年三月二十五日、妙信講が護法の一念を四万二千余字に込め「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」を送附するや、細井管長は四月三日に妙信講代表を本山に呼び、「この本は宗開両祖の仰せのまま、宗門七百年の伝統のままです。一分の誤りもありません」と述べられ、さらに四月六日の御虫払会の席では「王仏冥合の姿を末法濁悪の未来に移し顕わしたならば、必ず勅宣並びに御教書があって、霊山浄土に似たる最勝の地を尋ねられて戒壇が建立出来る」と、正系門家の貫首として正義の説法をされたのでした。

 この説法を聞いた池田会長は、四月十四日に宗務院の早瀬日慈総監と阿部信雄教学部長を創価学会本部に呼び、「憲法違反あるいは宗教法人法違反で宗門が潰される」という、有りえもしない法律論で脅しては世事に疎い宗門をたぶらかし、五月三日の創価学会本部総会における「国立戒壇永久放棄」の宣言を宗門に強要したのでした。

 その脅しに屈した細井管長は四月十六日、東京常泉寺に妙信講代表を呼び「国立戒壇をいうと日蓮正宗はつぶされる」と、共産党・谷口代議士の国会における質問趣意書を示しては説得につとめたのでした。しかし、そこで妙信講の赤誠に翻意した細井管長は「これから学会の代表に会うから、誤りを訂正させる」とまで云われたものの、翌四月十七日には再び創価学会の圧力に屈し、妙信講に対して電話にてメモを取るように指示した上で四箇条を読み上げ、「こうしなければ、もういまの宗門の統率はできない」との、悲痛の言明があったことでした。

 池田会長は、やれ「言論の自由」だの「民主主義の基盤」だのと語り、ボルテールを引用しては「私は、お前のいうことに反対だ。だが、お前がそれをいう権利を、私は命にかけて守る」などと美しく言葉を飾りつつ、その裏では外部の藤原弘達氏への言論出版妨害とは比べようもないほどの、宗門・猊下に対するとほうもない<言論弾圧>を遂行していたことでありました。

                        ( 平成十四年四月十日、櫻川 記 )


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