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     “吹けば飛ぶ男”の奮戦記
  
--- 古参代議士が見た創価学会 ---

     言論・出版妨害事件が 一気に社会問題化!
          会長の国会喚問を阻止せよ

 初当選したころ、私たちの議員歳費はすべて、いったん党に収め、そこからあらためて給料として受けとるシステムになっていました。公明党の議員は 池田先生に捧げた議員ですから、党が歳費を預かり、その後 池田先生の意志に従って 広宣流布に使うというわけです。
 当時の歳費は 月額で二五万〜二七万円くらいでしたが、党から渡される給料は一四万円で、歳費の額にかかわらず、県議とほぼ同じような額でした。国会議員ともなれば、付き合いの範囲も当然広くなります。その上、九州と東京の二重生活になるのですから、家計はきわめて苦しいものでした。(略)

 初当選の頃は 九段の靖国神社裏にある議員宿舎から学会本部・党本部へ、そして国会へと毎日の行動の道筋がきまっていました。帰りはそっくり、その逆のコースをたどるのです。
 このコースを離れる際には、いちいち報告書を書かなくてはなりませんから、まったく余裕というものがなく厳しいものでした。(略)

 昭和四十四年の十一月、藤原弘達氏の著書『
創価学会を斬る』に対する、いわゆる言論・出版妨害事件が起こりました。
 四十五年になると、これが一気に社会問題化し、池田会長が国会に 証人喚問されそうな雲行きになりましたが、これを何とか抑さえようと、関係委員会の理事クラスや責任者を懐柔するように 指令が学会本部から公明党議員に出されました。

 「Aは誰、Bは誰」と 担当を決めて、狙いうちで赤坂の料亭や高級クラブに連れ出し、接待したのです。池田会長を守るためには 手段を選ばないのが実情です。
 ところが、遊びなれない公明党の議員は、相手より先にできあがってしまい、「ミイラとりがミイラになる」有り様でした。もっとも、今の公明党議員はすっかり遊びなれて、むしろ緩みきって、立党精神はどこへやらという状態のようです。


 


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