迷走する顕正会を斬る


淺井昭衞会長の足跡と変節

    第九章 二、教学研鑽の放棄



 今は広宣流布前夜であるから、御在世の熱原の方々のように「一念信解」だけでよく、教学は不要とするのが顕正会の基本方針となっている。
 かつては教学こそが妙信講の誇りであったことを、浅井会長は会員に隠し、そして忘れさせようとしている。
 教学を捨てた時こそ、浅井会長が広宣流布を放棄した時である。これはわたしが言うのではない、淺井昭衞氏の言葉である。
 「教学をおざなりにしては、広宣流布は夢物語となる」(「冨士」第百十三号、昭和四十八年一月)

   行学を去るの信


 日寛上人は、「信有って行学無ければ信堅からず、行学を去るの信は縁に遇っては便ち退す」と説いている。
 どんな人でも途上、信仰がぐらつくことがある。そのとき「信心の背骨」「信心の支え柱」となるのが教学であると、妙信講では教えられて来た。
 「教学は物識りを作り上げるのではなく、叉学者を養成するものでもない。自分の信心を深めるためであり、広宣流布へのひたぶるなる熱意を培うものであります。教学なき折伏は行き詰る」(「冨士」第四号、昭和三十七年十月)

 顕正会の教学軽視路線は、組織を根底から蝕んでいる。集会での幹部指導でも浅井会長への遠慮から、御書の一節が引かれることはほとんどない。
 御書について語れるのは会長だけで、幹部であっても御書の引用など僭越とされる。御書にふれる機会のない会員は、仏法の基本を逸脱し、さらに社会常識まで踏み外し、その幼稚化は止まるところを知らない。
 「運が良くなるお寺がある」などと拠点に連れ込み、入信を拒む者には「地獄に落ちるぞ」と強迫し、「入信するまで帰さない」等と監禁まがいのことも横行している。
 教学が欠如したまま目先の成果を焦るため、道理を諄々と語ることもできず、ついにはこうした不法行為に行き着いてしまう。「教学なき折伏は行き詰る」(「冨士」第四号)が、現実になっているのである。
 教学を欠いた「一念信解」とは「信堅からず」であり、百数十万を公称しても「縁に遇っては便ち退す」である。残る実質会員は、一割に満たない。

   一国広布は偽りの看板


 かつて音羽の本部で開催された班長会では、一同で「日興遺誡置文」を唱和していた。したがって遺誡置文の一字一句は、当時の全班長の毛穴から染み込んでいた。この遺誡を否定する指導が、顕正会では公然と幹部によってなされている。
 わたしが直接耳にしただけでも、こういうことが言われている。

 「御書は中途半端に拝読すると解釈を誤るから、それならば拝読しないほうがいい」(浅井主任理事)
 「折伏理論書は、我々が読んで深意を理解などできるはずが無い」(小峰理事)
 「諫暁書も相手に向けてただ読むだけにし、一切の解釈を加えてはいけない」(小峰理事)

 相手に向けてただ読むだけなら、ロボットと同じである。かつては信行学兼備が当然であったが、顕正会員のレベル低下は日々著しいものがある。
 広布前夜をとされる今日、なぜにして学を排除しなければならないのだろうか。今や顕正会の叫ぶ一国広布は、組織維持の為の看板でしかなくなっている。
 本当に広宣流布・戒壇建立を目指すなら、教学振興を徹底すべきことは自明である。

 淺井昭衞氏はかつて池田会長に対し、「若し会長に信念あるならば、国会喚問に堂々と応ずるべきではなかったか。全国民注視の中で大聖人様の御精神を訴える事が出来る、仏弟子として之に勝る本懐はない。… 国立戒壇の精神と必要を強く訴える唯一の好機ではなかったか」(正本堂に就き池田会長に糺し訴う)と迫った。
 その淺井昭衞氏が、顕正会員の度重なる逮捕や本部会館への強制捜査という事態に、どうして記者会見を行わないのだろうか。
 もし、浅井会長が言うように顕正会に非がなく、他団体の謀略によるものであれば、記者会見で堂々とそのように主張すればよいだろう。「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の主張を、テレビを通じて全国民に伝え、国立戒壇の精神と必要を訴える絶好の機会である。

 しかし、もし顕正会員の強引な勧誘がトラブルの原因であるなら、浅井会長は顕正会の責任者として社会に謝罪し、再発防止の努力を表明しなければならない。
 続発する不祥事に、顕正会本部はマスコミの取材にも担当者不在を理由に拒否し、口をつぐんでいる。記者会見からもマスコミの取材からも逃げていて、どうして広宣流布に邁進する正々堂々の清浄の団体と言えるだろうか。
 浅井会長にとって、すでに「広宣流布は夢物語」となっているのである。それではなぜ浅井会長は、広宣流布を放棄したのだろうか。

   魔の障礙


 昭和五十九年二月、豊島公会堂に三千人を集めて開催された教学部入部式で浅井会長は、「今こそ、広布のための大教学が興らねばならない。… どうか全員が真剣に学び、日本第一の教学部を築き、以て大聖人様に本格的な御奉公を申し上げようではありませんか」(「冨士」第二百四十五号、昭和五十九年 月)と述べ、「仏法を学ばなければ御奉公は叶わない」と力説した。
 「広布のための大教学」、「日本第一の教学部」、この自身の言葉に背いて教学部を廃止したのは何故だろうか。「学ばずに使命が果せるか」(「冨士」第十七号)との使命を棚上げして、浅井会長は何を護りたいのだろうか。

 教学研鑽から顕正会員を遠ざけるのは、会員が教学を身につけると不都合だからであろう。文句を言わずに"無二の師匠゛に絶対服従させ、専制支配と組織の私物化を続けるためには、会員を愚昧化・幼稚化させておかなければならない。
 思考停止させておくために、教学はむしろ邪魔なのである。浅井会長は自己保身のため、「広布のための大教学」を放棄したと言われてもしかたがない。

 魔が顕正会を弱体化させようとするなら、まず第一に教学への情熱を失わせることをたくらむだろう。
 「鹿は良き皮とうまい肉があるから、人に狙われるのであります。妙信講も使命と妥協を許さぬ清純な信心ある故に、三障四魔が行く手をさえぎるのであります」(「冨士」第十六号、昭和 年 月))
 この淺井昭衞氏の言葉は、まさしく今の浅井会長に当てはまるとわたしは思う。魔とは他でもない、人の心に住むのである。