書評 紹介
拙著に言及、あるいは批判や書評をしてくださったネット上の文章を、謝してここに掲載させていただきました。掲載順序は、ほぼ時系列順です。
一部、改行等の編集をしています。リンクを貼っているので、原文をご覧になってください。
近刊予告(日新報道)
『迷走する顕正会を斬る』のわたしに関する記述(犀の角のように独り歩め)
必読でしょう『迷走する顕正会を斬る』(創価学会問題とその周辺)
「迷走する顕正会を斬る」を読む(言葉の泉)
元弟子が語る「淺井昭衞はどこで道を過ったか」(amazon 書評欄)
厄介な本(一法華講員(元顕正会員)の日記)
感想文(星界の道~航海中!~)
読書感想文(月々日々につより給え)
宗門混乱の引き金であった「正本堂」(顕正会脱会のススメ!)
淺井昭衞の人物伝?元会員が暴露本?出版(顕正会短信)
読書感想文(巌虎独白)
一貫性の確認(巌虎独白)
顕正会側の対応策(巌虎独白)
浅井マジック(巌虎独白)
『迷走する顕正会を斬る』をブッタ斬る(巌虎独白)
『迷走する顕正会を斬る』批判序説(巌虎独白)
迷走する文章(巌虎独白)
『迷走する顕正会を斬る』にひそむ矛盾点(巌虎独白)
客観性の欠如を斬る(巌虎独白)
批判シリーズ終了(巌虎独白)
休日返上?(巌虎独白)
終身会長を斬る?(巌虎独白)
一将功成りて万骨枯る(巌虎独白)
隔世の感(巌虎独白)
豪腕と倣岸(巌虎独白)
ワダカマリ(巌虎独白)
ソロバン街道(巌虎独白)
顕正会の行く末・・・(元顕正会員のゆるめなブログ)
マインドコントロールの効果と実態(日蓮正宗、創価学会、顕正会の猛省を願う)
冬真っ盛り(巌虎独白)
僕を救った「脱顕正会」バイブル(ミミ)
「顕正会を斬る」と櫻川さんを御紹介します!(顕正会から日蓮正宗に移ったブログ)
近刊予告
『迷走する顕正会を斬る』
創価学会とともに、その過激な活動が社会問題とされてきた顕正会。その実態は、今まで厚いベールに包まれて、語られてこなかった。
この組織を率いてきた淺井昭衞氏とは、どんな人物か。元幹部による赤裸々な証言が、いま、この秘密の組織の実態に迫る。
6月中旬発売
定価1,890円(税込)
ISBN 978-4-8174-0683-5
お問い合わせ・ご予約は、日新報道へ
先に紹介した『迷走する顕正会を斬る』を通読させていただいた。
大木道惠さんは「ダイジェスト版…櫻川さんも『まだまだ書いていないことは膨大にある』と言っていました」と記されていたが、たしかに、ダイジェスト、言い尽くされていないだろうという感想を懐いた。
しかし、かなりまとまった整理された内容であり、顕正会、なかんずく「淺井昭衞」(*)問題を考えるスケールとなる良書であることは間違いない。創価学会・大石寺も含んだこの世界のスケールで貫かれている。信者会員が信念と善意で考えつく限りが書かれている。そうした側面からも資料性は高い。
なかで、大木道惠さん、そして「犀角独歩」に係る記述があった。
そういえば、先に独歩の会でお話をいただいた折、懇親会でそんなご確認をいただいた記憶がある。(独歩の会を開催 櫻川忠師講演『浅井照衛会長の足跡と変節』ほか)
以下の記述がある。
「なぜ、浅井克衛氏が失脚したか。それは犀角独歩氏との接触未遂による。犀角独歩氏と言えば、浅井会長が「魑魅魍魎」と呼んで顕正新聞にも何度かその名が登場した人物であり、わたしの除名の理由も独歩氏と交流したからだとされた。独歩氏は、「必携/図解大石寺彫刻本尊の鑑別」という研究書を出している。
克衛氏はジャーナリストの大木道惠氏と十数年来の親交があり、大木氏を本部に招いて大石寺や創価学会や日蓮門下について、広範に渡る話し合いをしていた。大木氏は意見交換の一環として、犀角独歩氏本人からスライド等で直接説明を受けることを提案し、克衛氏もそれを承知した。独歩氏は日蓮門下の研究会等で多くの講演を行っており、求められれば顕正会本部で話をすることにも異存はない。
では、いつ犀角独歩氏が本部に行くかという日程を決める段になって、突然、大木氏から克衛氏への連絡が一切つかなくなってしまった。大木氏が本部を訪ねたところ、浅井城衛氏が対応して「二度と本部に来るな!」と、出入り禁止になってしまったという。克衛氏が表舞台から姿を消した時期は、まさにその直後である。」(P330)
この記述は正確である。しかし、少しばかり補足したい。
わたしが、はじめて彫刻本尊(板本尊/所謂「本門戒壇の大御本尊」)の輪郭を重ね合わせ、日禅授与本尊こそ、この本尊の原本であると探り当てたその日、わたしは狭い自室を、檻の中の犀ならぬ熊のように歩き回った。
世紀の大発見だと思った。「著書にまとめるまで、口外すべきではない」、即座に思った。大木さんにだけは話そうと思い、その画像をファックスしたうえで電話をした。
「まだ、口外はしないで欲しい」とお願いもした。
大木さんは、襟度を持って、しかし、この事実を何人かの人に伝えたようだった。そのなかの一人に浅井克衛さんがいた。
「本部で講演をやって欲しいというのだけれど…」、大木さんは、そう言った。
「え、どこでですか」
「顕正会本部」
「え! いやあ、顕正会員は訊かないでしょう。だいたい、浅井会長が許すわけはないでしょう」
「いや、克衛さんが自分一人の為にやって欲しいといっているんだ。でも、多忙だから本部まで来てくれないかという打診なんだ」
櫻川さんが記述くださったとおり、わたしは快諾した。
講演の日程は、克衛さんのスケジュールが遭わないことを理由に日延べになった。そのうち、日教研の研究発表を経、本にもまとめた。大木さんはその本を持って、顕正会本部に出向いてくれたのだ。
そこで、城衛さんのわたしへの批判的な言動があったと聞いた。そして、顕正会後継者・克衛さんへの講演の機会は永遠にやってこないことになった。
もっとも今でも、もし克衛さんが望むのであれば、わたしは喜んでお話をする。未発表も資料もふんだんにお見せして説明もしたい。
櫻川さんも触れているが、氏の除名処分の理由にわたしとの関係を取り沙汰された。しかし、櫻川さんは、『本門戒壇の本義』を出版された直後のことであった。本当の理由は、こうした櫻川さんの正鵠を得た出版を封じるためのことであったろう。
そもそも、『顕正新聞』では櫻川さんの除名理由の中で「本門戒壇の大御本尊を公然と誹謗している犀角独歩」といきなり名指しされた。まだ、大石寺もわたしについて触れることもなかったころである。なぜ、当然のように顕正会がわたしの名を書いたのか訝しく思った。
しかし、克衛さんの一件(*)からすれば、浅井会長、そして城衛さんをトップに抱く顕正会本部として、犀角独歩は、新聞に書けば通じる固有名詞に既にその段階でなっていたことを意味するのだろう。
それでも、櫻川さんへのアクションは『本門戒壇の本義』発刊直後であったから予想されたものの、そこで理由に犀角独歩が使われたのは、むしろ意外だった。なぜならば、櫻川さんは一つの研究としてわたしの話を聞いてくださってはいたものの、いまにいたるまで、特に具体的に賛同の(*)意を表してはいないからである。
ただ克衛さんの失脚と櫻川さんの除名に共通項を求めるとすれば、それは「犀角独歩」がキーワードになるのかもしれない。
しかし、わたしは顕正会の経験がないから、この組織にも、浅井会長にもいっぺんの感情もない。あるのは、「魑魅魍魎」「学会くずれ」「大謗法者」と口を極めて悪口雑言の限りを尽くされた不快感ぐらいのものだ。しかし、それは怒り心頭に発するといった類ではなく、「なあにを言っているんだ」といった、思わず笑ってしまう程度の感情にすぎない。
では、櫻川さんと克衛さんに共通するものは何であろうか。それは本来のあるべき姿の「顕正会への熱き“思い”」だ。
わたしが櫻川さんの過去2冊の著書を拝読して斟酌できたのは、的確な情報提供と分析はもちろんのこととして、なにより、氏と本に流れるたぎるような熱い血潮である。
それは単に顕正会を「議論ある団体」、もしくは「カルト」などと称して、排他することとは違い、その顕正会という組織の中で、自分の人生と熱意、そして、それが思いこみであれ、本人が信じる善意に生きる“会と会員への思い”である。
わたしが長らく顕正会問題に携わってきた。そこでよく聞く「顕正会なんかに入ってしまって」という侮辱的、軽蔑的な見方。いま流行りの言葉で言えば「上から目線」の、見下げた視点ではなく、かつては、同じ思いに全身全霊を良心・善意の一切を傾け、共に熱き血潮をたぎらせた会と会員への思いが脈打っている。
櫻川さんの著書(*)は、顕正会経験者、そして、その人々を心から愛する人にしかもてない深い情愛と慈悲に満ちている。顕正会問題に携わるものにとって、その情報と分析のみならず、こうした氏の「思い」を斟酌されることを願うものだ。
脱会者の問題は、やはり、一度はその信念体系を経験したことがなければ、その“熱き”思いは理解できない。
かつて、JSCPR事務局理事の滝本太郎弁護士が「カルトの魅力」という視点から論じた。わたしは、そうしたメンバーの思いまで至り、そして、けっして見下げることなく、理解しようとする支援を望むのだ。
(*)誤字訂正
櫻川忠さんの『迷走する顕正会を斬る』(日新報道)が企画から約1年、ようやく発売されました。
なんと342ページ。しかも活字を小さめにしてです。これでも400字詰め原稿用紙数百枚分を削ったとのこと。
今後は本書を抜きにして顕正会については語れないでしょう。つまり必読の基本文献ということです。
また本書じたいは顕正会について書かれたものですが、新宗教とかいわゆるカルト全般に関心のある人にはオススメの本です。当然★★★★★です。
「迷走する顕正会を斬る」を読む(言葉の泉)
親しくしている友人が 『迷走する顕正会を斬る』と言う著書を世に出した。
私も嘗て創価学会に19歳から29年間に亘って所属し、池田名誉会長を師と崇めて(崇めさせられたと言った方が正解である)入会してから6年間くらいは激しく活動し、青春のエネルギーの大半を消費したと言える。
今思えば無念と言うより慙愧に耐えない、『迷走する顕正会を斬る』の著者も15歳の多感な時期に「顕正会」(前・妙信講)に入会し、39年間に亘って顕正会の淺井昭衞氏を師と仰いで活動したが、途上で師の誤りに気付いてそれを諌めた結果除名処分を受けたのである。
創価学会・顕正会ともに日蓮正宗という宗派の在家集団であるが、創価学会は公明党という政党を有し嘗ては参議院の全国区において、800万票を超える得票を獲得したこともある日本最大の宗教団体である。
いっぽう顕正会は正確な会員数は解らないが、実数は数十万単位であろうと思われる。その顕正会が会員数を増やすため強引な手段を用いた為に、度々マスコミに採り上げられカルト教団として恐れられるようになった。
顕正会の実態は『迷走する顕正会を斬る』に詳しく書かれているので参照してもらうとし、私は自分の創価学会体験を通して著者の心象風景を素描してみたいと思う。
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考えてみると『迷走する顕正会を斬る』を書いた櫻川氏とは長いお付き合いとなる。プロパイダーの@niftyが現在のようにインターネットが普及する以前のパソコン通信時代に,NIFTY-Serveとして掲示板を立ち上げ、その中に仏教フォーラムがありそこで様々な論議を通じて知り合ったのが最初であったと思う。
その時は1988頃と記憶している。私が45歳位だったので桜川氏は37歳位であったと思う。もしかしたらもうちょっと前の頃かもしれないがNIFTY-Serveの運営開始が1987年4月となっている事からの類推である。
それにしても、その当時から桜川氏の掲示板における書き込みの内容から文章力や読解力の確かさに驚かされた。私と言えば「信の構造」にも書いたが、田舎の高校を出て社会人になり創価学会に入会し、その創価学会で教えられた日蓮仏法の教学と、皮肉なことにその創価学会批判を通じて吉本隆明の著作との出会いまで学問的なものに殆ど縁がなかったので桜川氏の掲示板への書き込みの鋭さに感嘆したのは当然と言えるのかも知れない。
現在でも様々なところで直接お会いしたり、インターネットでのスカイプを通じて様々な意見交換をさせて頂いているが、今でも桜川氏の知力と確かな読解力には学ぶところが多く、今後ますます氏の健闘と活躍に期待するところ大である。
次回は氏が2005年11月に出された『本門戒壇の本義』と『迷走する顕正会を斬る』の両著を踏まえて氏の心象に少しでも迫って見たいと思う。
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桜川氏の『迷走する顕正会を斬る』を読んで最初に思い浮かべたのは、(故)福島源次郎氏が書いた『蘇生への選択』である。
『蘇生への選択』の副題が「敬愛した師をなぜ偽物と破折するのか」である。またその書の中で、かつて絶対の師と仰いだ創価学会名誉会長である池田大作氏に対し、「私はこれまでの諫言ではなく、本人直接の折伏を為さねば、仏法のあり方に背くことを痛感しました。とともに名誉会長の誤りの根源を明確に折伏することこそ、現在の私の為し得る最大の報恩行であることを確信できました」として『蘇生への選択』を書き著した理由を述べている。
また、『迷走する顕正会を斬る』を書いた桜川氏は、その書の「はじめに」において、「今日の淺井昭衞会長は、かつて他者を批判したその過ちを自ら踏襲し道を間違えてしまった。わたしは長らく師と仰だ“浅井先生”の不誠実を黙視し得ず、平成十九年十月に『諫言』を提出して諌めたが、浅井会長はまったく聞く耳を持たなかった」としたが、結果として顕正会を除名処分されたのである。(除名処分の直接的事由は桜川氏の著した、『本門戒壇の本義』が浅井氏の逆鱗に触れたものと氏は述べている)
私にはこの二人の事案がもたらした結果に大きな共通点を見ると共に、桜川氏が『迷走する顕正会を斬る』の中の第八章二項において用いた「共同幻想」なるタームがそのキーワードであることを、自分の経験に照らして次回述べてみたいと思う。
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「共同幻想」については詩人であり批評家でもあり、また日本最高の思想家とも評されている吉本隆明が、『共同幻想論』なる著書において詳しく論じている。
「自己幻想」「対幻想」「共同幻想」として人間の観念領域について、ヘーゲルやマルクスの言説を参照としながら独自の展開をさせ、個人の幻想(観念)領域は必ず国家としての共同幻想と必ず逆立ちして表れるとし、吉本隆明自身の体験から第二次世界大戦時の日本における天皇絶対とした国家体制の共同幻想と、日本人個々人の自己幻想は逆立ちして表出していたと論じている。
私自身における創価学会体験もまさに逆立ちしていたことを痛感せざるを得ない。日蓮正宗という宗派の一在家団体である創価学会が、池田大作という一人の人物を会長とし絶対者と位置づけ、その在家団体の長たる人間に「師」として随順することを指導徹底していたことは、明らかに仏法違背にあたる教導であったが、一個人たる創価学会の会員がそれに異を唱えることの困難さは体験した者でないと理解し得ないかもしれない。
『蘇生への選択』を書いた福島源次郎氏や『迷走する顕正会を斬る』を著わした桜川氏においても、創価学会と顕正会という組織の違いやその内部における立場の違いはあっても、組織という位相における幻想領域と自己という位相の幻想領域に立ち現れる様々な矛盾や軋轢との葛藤は想像するに余りあると言えよう。
そもそも、仏法という教義を基とする宗教において絶対者が成立すること事態が在り得ないと私は考えている。そのあり得ない絶対者を標榜する教団はその教団の存立持続のために、ご都合的に造りだした幻想であると断ぜざるを得ない。
いわゆる、天台本覚論を基にして日蓮本仏論を立て、日蓮大聖人を絶対者であるが如き論法も仏法にあらざるもの言わざるを得ない。キリスト教やイスラム教のよううな啓示宗教ならいざ知らず、インド応誕の釈尊(釈迦)の悟りを教えの基とする仏教が絶対者なる存在が必要とは私にはとても思えない。
私も日蓮大聖人を本仏と仰いでいるが、決して、神のごとき無謬な絶対者としてでもなく、ましてや、一宗教団体の専制的指導者と共通するものなど微塵も無く、ただ、私にとっては南無妙法蓮華経の題目とそれを末法未曾有の御本尊として、祈りの対境たる曼荼羅に書き著されたお方を本仏として信仰しているのみである。
(*)4回に渡る書評シリーズを、まとめさせていただきました。
櫻川氏の立場は、あくまでも大石寺の板曼荼羅(大御本尊)が、本門戒壇の大御本尊であり、日蓮の真作であり、出世の本懐の本尊であるということ。
また、国立戒壇を富士大石寺に建てることが、日蓮の遺命であるということ。
また、三大秘法抄(注)などの日蓮の偽作と疑われる文献が真作だということ。
また日蓮の弟子で静岡地域で活躍した日興の偽書と疑われる文書が真作だということ。
つまり、旧来の顕正会・妙信講の主張と変らない。1970年前後に言論弾圧問題などで方針が変る前までの日蓮正宗や創価学会の主張と変らない。その意味では、あくまでも信仰者の文章である。
ただ、顕正会の淺井昭衛会長が、思い上がり、富士山大石寺に建てられた正本堂を三大秘法抄で書かれた、戒壇と解するか否か。三大秘宝抄の戒壇が国立戒壇でなければならないか否かを創価学会と論争している時に、日蓮正宗宗門に攻撃対象を移した。そのため、破門直前に行っていた、創価学会と日蓮正宗宗門が妥協し、共通の的として妙信講(顕正会)が講中解散処分(破門)に至った経緯を詳細に描いている。
この部分は主に山崎正友元弁護士の著書を資料としている。先日亡くなった山崎氏は信用に足らない部分も多いとされる人物であったが、この経緯について嘘を書く必要はないので、おおむねこの箇所は信用できるだろう。
また、妙信講男子部による、創価学会本部(創価文化会館)襲撃事件の経緯について、あらかじめ山崎氏らが察知しており、創価学会と警察が、妙信講を迎え撃つ体制が整っていたということも、山崎氏の著書を資料に描いている。
この「事件」に著者の櫻川氏は、妙信講信者として参加しており、創価学会員に消火器を噴射され、四谷警察署に取り調べを受けた様子を生々しく描いている。
著者にとって、講中解散処分になって以降の妙信講・顕正会の現在に至るまでの動きは、あくまでも、オマケである。
顕正会は、淺井一家のファミリービジネスに堕し、本気で日蓮正宗に復帰する気も、国立戒壇を樹立する気もなくなっていると、著者は判断している。
そういう意味で、「今の顕正会」を知りたい人には役に立たないかもしれないが、なぜ今の顕正会のような宗教団体ができあがってしまったのかという経緯を知りたい人にはとても役に立つ本だと思う。
また、現代・日蓮正宗史、創価学会史の一断面として読むことも可能。
厄介な本(一法華講員(元顕正会員)の日記)
ようやく櫻川さんの"迷走する顕正会を斬る"を読み終わりました・・・。
第一印象は・・・、厄介な本が出たなぁ~
でございました・・・。
これは何も顕正会を擁護する気持ちで言っているのではありません。あくまでも法華講員として今後も顕正会員を折伏していく上で"厄介だ"と言っているのです。
往々にして今までの対顕正会の折伏としては過去の書籍として活字になっている物を叩き台にして論法を組み立てていっていた訳です。その活字になって入手出来る情報が全てであり、それを元に御宗門の優位を主張し、かつ顕正会の誤りを一つ一つ指摘していくという姿勢でありました。
これはこれで良いわけでありますが、そこに新たに今まで私共が知り得なかった情報が入って来た訳で・・・、それらをまた一つずつ事実を確認しながら、なおかつなぜゆえそういう結果になってしまったのかを論理的に考えてアホな顕正会員にも理解出来るように噛み砕いて説明する文章を考えなくてはいけない・・・。
非常に厄介なのである・・・。すっげえ本が出たよ!!!!
みんな読んどくれ~~~!!!!
なんて浮かれている場合では無いのです。(一人でも多くの方に読んで頂きたいのは私も同感なのではありますが。)
ただ一つ確実に言えるのは、この本の出現によって"真剣に真面目に顕正会問題を考えなくてはいけない。"
そういった機運が出てくるのではないかということです。
「顕正会から離れた元幹部と会ったとき、『御遺命守護は浅井会長の自作自演だ』と語るのを聞いて愕然とした。わたしは、立場が変わったとはいえ史実まで曲げてしまうのはどうか、との感を深くした。」(迷走する顕正会を斬る 123ページ)
このような姿勢を続けている法華講員はこれ以上の顕正会員の破折は今後は出来なくなっていくことでしょう。
もっと真面目に日蓮正宗信徒として為すべき事を為し、その上で身をもって大聖人様の仏法の道理を学んで、そこから顕正会の誤りを端的に指摘していけるだけの力を各自が急いで身につけなくてはいけないと思います。そうでなければこれ以上の破折は無理です。
とにかくこの本の出現によって新たな潮流が巻き起こるのは間違いないと思います。
しかしながら末文の、「宗門に本来の戒壇義が示されるいま、顕正会はすでに存在意義を失ってしまったと言わざるを得ない。」(迷走する顕正会を斬る 335ページ)との櫻川さんの結論は最近の私のブログの結論と同じであります・・・。
これは単なる偶然だろうか?
(^o^)
感想文(星界の道~航海中!~)
「迷走する顕正会を斬る」を読んで。
読むのに時間が掛かってしまいました。
読まれては困るのか?睡魔に度々遭遇しまして(^^;
さて、全体的な感想ですが、6章までは、平成世代の顕正会員、学会員、法華講員も読んでみる価値がある内容だと思います。
各組織の当時の状況を、わかりやすく知る上では良いなって想いました。
7章からの部分は、対顕正会問題を考える上では、使えますね。
調べて、まとめ上げる手間が省けます。
一点だけ述べるとすれば、46pで妙信講の折伏の凄さ。
主力である意識が少し違うように山門は見ています。
弘通成果で言えば、ダントツにあがっていますが、折伏に出向く元の人数を考慮していないのではと思うのです。
総世帯数から折伏成果を見ると、50%60%とかで誓願目標は別にして、成果としては、どこの講も凄いといえます。
誓願目標で言えば、妙信講はダントツに高い目標を掲げていますが、結果は、いまいち伸びなかった。それに比べれば、他の講中はほぼ、目標数に近い数字を出していた。
しかし、この当時の法道会は、学会を別にすれば、凄かったと言えるでしょう。
読書感想文(月々日々につより給え)
の・・・・つもり・・です・・・。(恥っ)
迷走する顕正会を斬るを読んで・・。
一信士はこの本に当時の日蓮正宗の本物の魔障というものをみるような気持ちになりました。
人間模様から・・・色々なことは、素直に正直に謙虚になれば良いだけのような気がしました。、魔はその人間の欠点につけこんで入ってくるようです。
当時の人間で名利欲望が強かったり。支配する気持ちが強かったり。自分のやり方が一番だと自負してプライドが高かったり。短気で怒る気持ちが強かったり・・。自分の過去の功績に慢心していたり・・。
そこから嫉妬心も芽生えてきます。良い意味でも悪い意味でも意地があります。
魔がその人に入ってくると、自分に都合の悪いことがあれば隠しておこうだとか、言わないでおこううとか、不正直になるようです。
自分が一方的に正しいと我見をもって相手を見下す。
はじめからではなく少しづつ増長していく・・。
感情的なものも魔につけいれられていく。
目的は? 仏法破壊です。破和合僧といいかえられるかも。
御本尊様がすべては御存知です。真実を御存知です。
相手もしくは集団を誹謗することは自分(自分達)が絶対正しいと思えるからではないでしょうか?
世間的には、はたして第三者はどうみるのでしょうか?
仏法上においては・・・如何にいわんや御本尊様は見ていらっしゃいます。真実と違うことを吹聴したり、己の非を隠しているようでは魔がつけいる最高のターゲットですよね。とくに激情型の場合・・・。
すべてが描かれていると思います。洗脳を解いて浅井会長を一人の人物としてみた時に、本当の事を知ることができるんでしょう。
当時・・・浅井会長が意見を押し通すためだったら絶対に嘘をついてはいけないと思いました。特に早瀬主管との一件なんかは・・。
自分を守るための隠し事もいけないと思います。現在も色々とありますが・。
ちょっとやそっとの社会的な逸脱は、顕正会の正しいと思い込まされている主張を通すためだったら、顕正会の活動のためだったらやってしまっても隠しておこうとか。
ノルマ達成の時には笑い話にしちゃったり・・。外部にしられなければいいとか・・。
現在の会員も同じ命に染まっているんですよね。勧誘時に相手に新聞のノルマのことや、無茶な活動による生活破綻者のこと。
話せますか?
お金はかからないって・・・ホント?。
浅井会長の変節の経緯にこんなところを学べました。
三毒強盛の荒凡夫で言えないことも多々ある一信士ですが・・正直な人間になりたいなと思いました。 これでも一応努力してます(笑)。
共感してくれる人・・いたらいいな~。
特に現役顕正会員で・・・。
「迷走する顕正会を斬る」に書いてあるのですが、 「正本堂は世界平和どころか、宗門混乱の引き金であった。」(迷走する顕正会を斬る161ページ)
私も正本堂について、調べておりますが、そう思います。
正本堂について、詳細をよく調べて、きちんとまとめたいとは考えています。
ここからは、”あくまでも私個人の考え”であり、日蓮正宗の考えではない事ですので、私が調べた事。正本堂が、この著者桜川氏の言う事に同感する理由を話したいと思います。
正本堂の存在について 創価学会(同時池田会長)の考えだとこういう理由だと思います。
一、正本堂を広宣流布の事の戒壇堂にしたかった。
二、創価学会が政界に出るのに”政教一致”ではない事をアピールしたかった。
これが理由だと思います。しつこいですが、あくまでも個人意見です。
日蓮正宗としては、正本堂は、事の戒壇としたかった。国立戒壇と言う考えを捨て、新たに本来の本門の事の戒壇に戻したかった。
これを示すのが、日達上人の訓諭 「正本堂は、一期弘法付属書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。」
次が重要です。 「即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。但し、現時にあっては未だ謗法の徒多き故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり」(大白法113号)
こう訓諭されております。
日達上人は、この後に正本堂の意義について御説法されております。 これを読むと(内容が長いし難しいので、これについてもきちんとまとめます)これには、国主について、それと事と義について、説明をされております。
だが、日達上人の訓諭に不服したのが、妙信講です。妙信講は、国主と事と義について、戦時中の考えを元にしていたと私は思います。
日達上人が、出した訓諭にて、まだまだ、広宣流布ではない事、そして、戒壇の大御本尊がある戒壇が、事の戒壇である事をきちんと示した。正本堂を壊した理由を去年書きましたが、正本堂は、池田本仏論の象徴たる建物になってしまっていた。それが三大秘法抄の解釈の間違いだと思います。
これを素直に聞いていたなら、問題はなかったはずです。妙信講が破門はなかったと思います。
顕正会ウォッチャーの間で春先から話題となっていた書籍がついに発売された。題名は「迷走する顕正会を斬る」。著者は「櫻川忠」氏。出版社は「日新報道」である。
この日新報道は平成10年、「法華講所属」と肩書きを偽った顕正会壮年部員・下山某の書いたヤラセ本「富士大石寺顕正会」という書籍を出版したのだが、今回は「反顕正会」のスタンスで書かれた書籍を出版することになったのは皮肉だ。
著者の「櫻川忠」氏は昭和の時代から顕正会の前身である「妙信講」に所属し、いわゆる「御遺命守護の戦い」を経験した世代だが平成17年に「除名」処分を受け、以降はネット上などで「顕正会は妙信講の精神に立ち返れ」などと訴えている。
同書は全九章からなる。
第一章では、顕正会の現状について宗教学者・島田裕巳の見方なども交えて紹介、昨今の勧誘に絡む事件や現役会員が生活もままならぬ状態に陥っているなどの現状について暴露。
第二章から第六章までは、妙信講(*)発足から昭和50年代前半までの浅井甚兵衛・昭衛親子の「御遺命守護」の歴史を、概ね顕正会発行の書物と同内容で記述しつつ、昨年末死亡した山崎正友が生前書き残した資料を多々参考として、山崎が仕掛けた浅井への攻勢に対する浅井の「戦略ミス」を指摘している。
また第七章では幹部粛清・身内びいきなどの「組織私物化」、宗教法人格取得・血脈相承否定などの「独立教団路線」、会長絶対化に代表される「道の誤り」などの観点で痛烈に浅井を批判している。
第八章では浅井の特異思想について記述。それは「大石寺伝統教義」「戸田思想の継承」「浅井独自の思想」の三点らしく、「戸田」とは、戸田城聖・創価学会第二代会長のことを指すのだが、著者は浅井を「戸田路線の後継者」などと位置づけ、浅井が現在も戸田思想をモデルにして顕正会を運営しているかのようなピントはずれの解説をしている。
また浅井は予言と誓願をコロコロ変えることで有名だが、同章ではその数々の「予言」や「マインドコントロール」などについても言及している。
第九章では前述の「御遺命守護」や、最近の顕正会にまつわる「本尊偽造」「教学放棄」「浅井克衛失脚の真相」などを取り上げているがなかなか面白い。
価格は税抜1800円とのことだが高い。顕正会員に読ませようとしているのなら、自費で買う顕正会員は皆無だろう。
では誰に読ませようとしているのか。「淺井昭衞」といっても一般人にはまったく興味が無いだろう。せめてどこかで顕正会員による事件がおきた直後であれば一般人も興味で手に取っただろうが…。
(*)誤字訂正
今日は『迷走する顕正会を斬る』の感想を書く。しかし、おそらく一回では終わらないだろう、しばらくはこの話題が続くことになると思う。それほどに中身が濃いということだ。
まず、本を手に取って驚いた。けっこうブアツイのだ。そして本を開いて二度びっくり。最近の本にしては活字が小さい。つまり、文字数が多いのである。
新聞なんかもそうだが、最近は文字が以前よりも大きくなったような印象がある。それは書籍全般の傾向として、ほぼ間違いないことだろう。ところがこの本は字が小さい。極端に小さいわけではないが、最近の本にしては小さな活字だと思う。
ぜんぶで三百数十ページの本である。そこには写真であるとか図版がまったくない。つまり、ぜんぶ文字で埋まっている。しかも前述のごとく、比較的に小さな活字が使われている。
ゆえに、今の平均的な書籍と同等のサイズに直したら、もしかしたら五百ページを超えてしまうのかもしれない。
正直、これは読むのがシンドイと思った。
けっこう時間が掛かりそうである。ましてや読書ギライの人であれば、最初から読む気にもならないのではないか。
わたくしは読書家ではないが、読むのはわりと好きなほうである。しかし、最近は年のせいか、根気がなくなった。七面倒な本はごめん被りたいというのが本音である。そんなわけで、読む前から気後れするようなところが、なきにしもあらずだった。
ところが不思議なことに、すんなりと読めてしまったのだ。それほど長いとは感じなかった。たぶん、良い本なのだろう。
さて、ここからは具体的な内容に踏み込みたいと思っているが、しかし、どこまで書いていいのか、それがひじょうに悩ましいところだ。
わたくしが事細かに書いてしまうと、それが本の売れ行きに悪影響を及ぼす可能性がある。いや、これは何もウヌボレを言っているわけではなく、まだ出版して間もないわけだから、営業妨害であるとして著者ならびに出版社から文句を言われることを心配しているわけである。ウヌボレという意味では、逆に拙ブログが宣伝になって売り上げに貢献するかもしれないという思いが少しはある。もちろん、どっちに転ぶか、それはわからない。
ともかく本題に入ろう。まず、まえがきの部分から引用する。
わたしは昭和四十一年、高校に入学した十五歳の四月に縁あって日蓮正宗に入信し、妙信講(後の顕正会)に所属した。縁あってとは、気弱な少年が同級生からの入信勧誘に「ノー」と言えなかった、ということである。
メチャクチャ格好いい文章である。
本書のタイトルとのコントラストに注目されたい。『~斬る』という勇ましいというかセンセーショナルな題名とは正反対の、著者の心象をストレートに表現する好感度の高い文章だとわたくしは思う。
人によっては絶対に書けない文章に違いない。ようするに、自分を卑下するようなことは絶対に言えないタイプ、他人には弱みを見せないタイプ、虚勢を張るタイプ・・・世の中にはこのようなタイプの人がたくさんいる。本書の題名からすると、著者もまた、その手の人物なのだろうかと思われたが、まず、まえがきにおいて、それを覆しているわけである。
わたくしは上掲の一文だけで、この本は成功だと思った。
まだ、本書を読んでいない人のために、付け加えておこう。
この本はけっこうな分量であると最初のほうに書いたが、いったい全体、何が綴られているのか、まさか気弱な少年(今は老年?)のグチが延々と綴られているわけではあるまい。もちろん著者本人の所感が本書全体に散りばめられていることは当然のことであるが、むしろ全体の比率からすれば、それは少ないくらいなのである。本書の凄いところは豊富な資料を駆使して、客観的な記述を心掛けていることであろう。
つまり、まえがきの気弱な少年云々はあってもなくても本書の主旨に影響を与えるものはないとも言えるわけで、むしろ虚勢を張るのであれば書くべきではない事柄とも言えるわけである。
ところが著者はあえてこれを入れた。わたくしはこうした些細なところに物凄く感じるのである。
もし著者に計算があるとしたら、これは今の若い顕正会員たちへのメッセージなのだろう。入信の経緯は人それぞれであるが、もしかしたら四十数年前も今も本質的には変わっていないのかもしれない。だとすれば、著者の懐旧はそのまま今の顕正会員の心にストレートに響くはずである。
さて、『迷走する顕正会を斬る』であるが、これもまた上述の方程式が当てはまるようである。
櫻川氏は以前、『冨士大石寺顕正会の基礎知識』というサイトを運営していた。これは一般に顕正会擁護のサイトであると認識されていたはずであるが、そうすると今日の『~斬る』は擁護から批判へと舵を切ったことになる。
人によってはこれを無節操ではないかと思うかもしれないし、実際、そのような指摘があったとしても不思議ではない。
しかし、前回の拙稿でも紹介したごとく、櫻川氏は除名になってしまった。ここに批判に転ずる動機が明瞭である。
だが、しかし、それでもなお無節操であるという批判があってもおかしくないと、わたくしは思う。つまり、除名になった後においても、ネットにおいて顕正会の正義を高々と宣揚し続けるという姿である。わたくしはこれがカッコイイことだと思う。
かつての浅井先生がそうだった。叱呵痴犬抄がその代表的な事例である。あれは日蓮正宗を除名になった後において、日蓮正宗の正義を高々と宣揚した書だったのだ。
周知のごとく、浅井先生の変節が明瞭になったのは平成十年の御遺命守護完結以降であり、わたくし自身、先生には減滅せざるを得なかった。
これと同じ方程式が櫻川氏に対しても当てはまるのではないか、ということなのだ。
当然、これは氏の弁明を待つべきところであるが、それに先行して、わたくしなりの解釈を述べておきたいと思う。
まず、『冨士大石寺顕正会の基礎知識』は顕正会擁護ではなく、中立だった。あくまで閲覧する側の評価として、擁護サイトだという認識が一般的だっただけの話である。
その背景として、一念信解路線の影響が考えられる。当時も今も、ネット上には顕正会側の論客がほとんどいない。ゆえに、櫻川氏のサイトばかりが目立っていた。氏の思いとしては、法華講員や創価学会員あたりが顕正会のことをボロクソに言う、当たっている部分もあるけれども誤解も少なくない、しかし、顕正会側には論客がいないので言われっぱなしの状態だった、ゆえに誤解を解かなければいけない、ということだったのだろう。
このように考えれば、氏はすでに当時より顕正会には功罪の両面があることを承知していたが、さしあたっては覆い隠されてしまっている功績の部分にスポットを当てようという方針だったことがわかるはずである。それが一般に擁護サイトと認識された理由でもあるわけだ。
次に、『迷走する顕正会を斬る』には顕正会擁護の一面がある、という事実に気がつくべきである。題名だけで判断しては間違えることになる。
戒壇論に関しては顕正会の主張をおおむね支持している、これが櫻川氏のスタンスであり、この点においては一貫不変である。ゆえに、無節操ということはまったく当たらない。
もちろん、題名が示すごとく、批判もたくさん書いている。つまり、以前の『~基礎知識』では顕正会のよい面にスポットを当てたけれども、今度の『~斬る』では悪い面により強くスポットを当てたというだけの話なのだ。
最後に、『~斬る』の本文から引用しよう。
先年、わたしは「諫言」を言上して諫めたが、浅井会長に方針転換する意思がないことを、残念ながら確認した。
これは凄い記述である。あたかも浅井先生に直接、面談して諫めたようにも受け取れるが、それが事実かどうかはわからない。
ともかく、いきなり今度の本を出版したわけではなく、手順を踏んでいるということがこの一文の意味するところである。
先生に言っても聞く耳を持たない。であれば、本書を出版して広く世に問う以外にない。当然、多くの顕正会員に読ませたいという思いがあるわけだろう。
以上のごとく、櫻川氏の行動は一見するとわずかの期間に擁護から批判へと転じたかのように誤解されかねないが、あくまで一貫不変なのである。
今日は『迷走する顕正会を斬る』と顕正会の動向をコラボさせてみたい。
男子部幹部会の講演を七月中旬、単行本に
顕正新聞第1142号には六月度総幹部会の会長講演が載っているが、上掲はその小見出しの一つである。
わたくしは浅井先生が櫻川氏の本に言及するかどうかを注目していた。六月度総幹部会は六月二十五日に行なわれた。櫻川氏の本は奥付によれば二十五日発行となっている。ゆえに会長講演には間に合わなかったとも考えられるが、すでに出版のことは先刻承知だったはずであるから、あえて無視したとも考えられる。
そして、どうやら後者のほうがより真相に近い、すなわち、浅井先生は櫻川氏の本を黙殺するつもりでいる、というふうにわたくしは睨んでいる。
理由はおおよそ察しがつくだろう。すでに各方面で指摘されているごとく、上掲の単行本はメクラマシが目的であろうことはほぼ確実だと思う。
なぜならば、今のこの時期に過去の講演を単行本化する必要性がどれほどあるのかと問えば、誰もが疑問に感じるはずだからである。
単行本という表現がいかにも大仰である。かつて浅井先生は国書刊行会から単行本を出している。その二冊はいずれも立派な単行本だった。
では、今度の本はどうなのだろうか、こかの出版社から出すつもりなのだろうか、一般書店で販売されるのだろうか、と問えば、もはや答えは聞くまでもないだろう。おそらくは顕正新聞社の出版であり、顕正会の各会館で頒布されるだけの話なのだと思う。ゆえに大仰だと書いたのだ。
浅井先生は会員に櫻川氏の本を読ませたくない。ゆえに一切言及せず、黙殺するつもりなのだと思う。言及すれば、ヤブヘビになる。
今度の単行本は七月中旬に出るという。このタイミングはひじょうに巧妙だと思う。ようするに、六月度総幹部会に引き続き、七月度総幹部会でも単行本の話題を使えるからだ。いわく、前回の総幹部会で発表した単行本ですが、予定どおり発刊されましたので、全顕正会員はよく読み、語り合い、信心を深めてほしいと思います・・・と。
こうして櫻川氏の本についてはまったく言及せず、嵐が通り過ぎるのをひたすら待つわけだ。
さて、もう一つ、興味深いことがある。『迷走する顕正会を斬る』の目次を眺めていると、教学部廃止とか教学研鑽の放棄という項目に気がつく。そこから、それぞれ本文を抜き出してみよう。
「一念信解」という思考停止のマジックで問題をすりかえ、教学をおざなりにする昭衛氏のこの変節は、いかなることだろうか。
今は広宣流布前夜であるから、御在世の熱原の方々のように「一念信解」だけでよく、教学は不要とするのが顕正会の基本方針となっている。かつては教学こそが妙信講の誇りであったことを、浅井会長は会員に隠し、そして忘れさせようとしている。
すでにお気付きの人も多いことだろう、これは山門入り口氏あたりがすでに指摘していることだが、最近の顕正会では一念信解を言わないのである。少なくとも最近の顕正新聞には一念信解の文字がどこにも見当たらない。
具体的にはいつから言わなくなったのか、それを調べておくべきであるが、今のところ面倒なのでやっていない。会長発言ではなく会員の記事では、第1140号に載る第三婦人部長の記事に一念信解が出てくるが、おそらくはこれが下限ということになるだろう。
しかし、一念信解を言おうが言うまいが実質的には何も変わっていないし、変わりようがない。ゆえに、また忘れた頃に言い出すのではないかとも思われる。
ちなみに、今の顕正会の流行語は信心口唱である。
さて、一信士氏の「浅井マジック」はなかなかのネーミングである。
櫻川氏の本には、十年一日のごとく、という言葉が出てくる。ようするに、浅井先生のやっていることはワンパターンであり、何も変わっちゃいない、ということなのだろう。
しかし、それにもかかわらず、飽きもせず、どこまでも浅井先生について行く会員もいる。まさに、それが浅井マジックのなせるワザなのだろう。
だが、しかし、わたくしが一念信解の消滅(?)を指摘したのは、別の意図からである。
つまり、浅井先生は櫻川氏の批判をかわす意味で、一念信解を使わなくなったのではないか、とわたくしは思ったわけである。
この場合、当然ながら前後関係を確認する必要があるわけで、それゆえに前回、浅井先生が一念信解を口にしなくなったのはいつからなのか、という意味のことを書いた。おそらく顕正会に論客がいれば、先生は櫻川の著書が発刊される遥か以前から一念信解を言っていないので巌虎の指摘は見当違いも甚だしい、と言うだろう。
しかし、それは表面的な時系列に過ぎないことを知らなくてはいけない。
顕正会の首脳部は櫻川氏が本を出版することを事前に察知していた。当然、批判本である。すると、まず間違いなく、一念信解路線に対する批判があるはずだと、このように想定していただろう。だったら今のうちから一念信解を言わないようにして、出版の時期には完全に一念信解を消滅させてしまおう、そうすれば櫻川の批判は空振りになる。
もし首脳部がこういう計画を立てていたとすれば、なるほどツジツマが合うのである。
しかし、言うかもしれない、そんなのは巌虎の考えた推論に過ぎない、しょせんは邪推であると・・・
わたくしをナメてはいけない。ここからが本領発揮である。まず、櫻川氏の『迷走する顕正会を斬る』から引用しよう。
わたしは長らく師と仰いだ〝浅井先生〟の不誠実を黙視し得ず、平成十九年十月に「諫言」を提出して諫めたが、浅井会長はまったく聞く耳を持たなかった。
現在のところ、諫言の内容は公表されていないと思われるが、そこに一念信解路線に対する批判が書かれていたことは間違いない。ゆえに、今度の出版において、同趣旨のことが盛り込まれるだろうことは、容易に想像できることなのだ。
ちなみに、拙ブログを振り返ると面白いことがわかる。
http://white.ap.teacup.com/ganko/968.html
なんとこの時期、浅井先生は教学部の再構築をうたっているのである。一念信解路線の真っ最中において、いったい何があったのだろう?
わたくしはリンク先の文末に次のごとく書いた。
浅井先生を動かすほどの大人物がいて、見えないところで隠然たる影響力を発揮しているのだろうか?
つまり、大人物とは櫻川氏であり、氏の諫言が先生を動かしたのだ。
http://white.ap.teacup.com/ganko/972.html
これは前掲とほぼ同時期の拙文であるが、ここに「信行学兼備の人材」という言葉が出てくる。これもまた、櫻川氏の諫言を受けて、俄かに復活したフレーズと言えるだろう。
この意味で、櫻川氏の「浅井会長はまったく聞く耳を持たなかった」は不正確である。いちおう先生も、多少は聞く耳を持っていたのである。
しかし、拙稿にも書いてあるように、しょせんはポーズに過ぎなかった。結局はモトのモクアミであり、何も変わらなかった。結果的には、櫻川氏の言っているとおりなのだ。
『迷走する顕正会を斬る』はきわめて良質な批判書である。単に相手をやっつけようというような修羅根性で書かれているわけではないのだ。
ゆえに本来ならば、首脳部は真摯に受け止めるべきところであるが、しかし、そういうわけにも行かないのだろう。よって、会員に読ませない努力と、万一、読まれてしまった時の被害(?)を最小限に抑えるための工作として、巧みに批判をかわす努力をしているのだろう。
もし、これでもなお、邪推に過ぎないと言うのであれば、浅井先生は黙殺せずに正々堂々と応じるべきである。それが出来ないことが何よりの証拠であろう。
さて、話題を変えよう。
『迷走する顕正会を斬る』が発刊されてから丸一ヶ月が経過しているが、その反響はいかばかりだろうか?
正直なところ、低調ではないかと思っている。ようするに大した反響がなかった。
この理由は簡単である。顕正会ないし顕正会員がまったく反応を示さないからだ。本当ならば、顕正会批判の本なのだから、顕正会側が何らかのリアクションを示してもおかしくないのだ。
また、大局的に見れば、顕正会の知名度というか認知度の低さを物語るものである。顕正会が世間から注目を浴びていれば、自ずと顕正会について書かれた本が注目されることになる。
『創価学会を斬る』という本があった。これはベラボウに売れたらしい。まさにあの当時、創価学会は大躍進を遂げていた。ゆえに世間から大いに注目されていたのである。
同様の意味で、顕正会がもし大躍進を遂げているのならば、世間から注目されることだろう。しかし、現実には大したことないらしいのである。広宣流布の最終段階などと言っているわりには、中身がともなわない。
以上のような理由で、『迷走する顕正会を斬る』はあまり注目されていないようである。
それにしても寂しいものだ。
顕正会は公称百三十万人で、実質は数万人。班長会の参加人数から考えて、少なくとも活動家は一万人以上いるわけだろう。
マレには気骨のある会員がいて、オレが破折してやろうじゃないか、という意気込みを見せてもおかしくないと思うのだが、どうだろうか?
その手段としては、インターネットが効果的だ。たとえば、ブログなどを立ち上げて「『迷走する顕正会を斬る』を斬る」と題して徹底的に破折するのだ。
何もわたくしは顕正会員を焚き付けているわけではない。熱心な会員が一万数千人もいれば、そうした動きがあって当然だと言いたいのだ。
こうした点からも、顕正会の実態がきわめて空虚であることが窺がえると思う。ともかく人材が枯渇してしまっているとしか言い様がない。
仕方がないのでわたくしがお手本をお見せしよう。次回以降、『迷走する顕正会を斬る』を徹底的に粉砕するつもりだ。
さて、先日の予告どおり、いよいよ『迷走する顕正会を斬る』の批判を開始したいと思う。
今日は手始めに初歩的なところから入る。わたくしの手法は、最初に相手の文章の稚拙さをあげつらう。そこであまりにも誤字脱字誤変換などが多いようであれば、終了である。早い話が、読むに耐えない駄文であり評価に値しないということで、あしらってしまうのだ。
仏は仏のすがた凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりと言ふ事を、諸法実相とは申すなり
『迷走する顕正会を斬る』は案外に御書の引用が少ない。そうした中で、298ページには上掲の御文が掲載されているわけだが、ここに誤変換がある。
「言ふ」は「云ふ」が正しい。御書の引用において、かくも初歩的なミスをするとはケシカランことだ。よって当該書籍は、もはや相手にする値打ちのない駄文である。
はい、オシマイ。
ところがである。わたくしがざっと読んだ限り、誤植はこの一箇所以外に見当たらなかった。
前にも書いたごとく、これは三百数十ページもある、けっこうブアツイ本なのだ。それにもかかわらず、誤植がきわめて少ない。
さすがは日新報道だと思った。それなりに著名な出版社だけあって、優秀な編集スタッフが多いのだろう。櫻川氏の立場で言えば、担当者に恵まれた、有能な担当者にめぐり合えたことが幸運だった。
う~ん、おかしい。今日から徹底的に批判するつもりでスタートを切ったわけだが、どうも方向性が違ってしまったようだ。次回はもっと厳しく迫ろう。
さて、前回は『迷走する顕正会を斬る』を批判するに当たって、まずは誤字脱字を指摘するところから開始した。ところが案外に誤字脱字が少ないので、いわば作戦が失敗に終わったような格好だった。
そこで次の作戦であるが、わたくしの常套手段としては相手の文章表現の稚拙さをあげつらって、こんな幼稚な文章は読むに値しない、内容も推して知るべしである、という感じに斬って捨てるのだ。
ところがである。さすがは日新報道、編集スタッフもしっかりしているのだろう、そうした文章上の不具合みたいなものは、あまり見当たらないのだ。
いやはや困ったものである。さて、どうしたものか・・・
広宣流布には、人材の育成と鉄石の組織の構築は欠かせない。「人は石垣、人は城」(武田節)である。会員を消耗品・道具としか見ない路線・組織で、どうして御遺命の戒壇建立の大事がなし得るだろうか。
この際、なかば強引ながらも当該文章にツッコミを入れたい。
上掲は第九章のいちばん最後のページに出てくる。つまり、あとがきを除けば、まさに最後の最後の部分であり、本稿はこの後、数行で終わるのだ。そこに民謡の武田節が引用されている。
一言で斬って捨てるならば、伏線の張り方がヘタクソ、ということになる。
『迷走する顕正会を斬る』を読んでいない人には、なぜ武田節が出てくるのか、さっぱりわからないだろう。では、読んでいる人にはよく理解できるのかと言えば、わたくしは違うと思う。正直なところ、わかりづらいはずである。
いちおう伏線はある。しかし、なんとそれが出てくるのは第三章である。
わたしは昭和四十一年の入信であり、妙信講再建から九年を経ていた。(中略)毎月開催される総幹部会の冒頭には「東洋広布の歌」(創価学会歌の一つ)を歌い、終了時には創価学会と同じく「武田節」を歌っていた。
これが71ページで、前掲は335ページである。
つまり、よほど熟読玩味しない限り、この伏線はまったく効果を発揮しない。逆に言うと、いちおう伏線は張られているものの、途中が長過ぎるので読者はすっかり忘れてしまって、最後の結論部分に出てくる武田節に唐突感をおぼえてしまうのだ。
伏線の意味は、最後の最後になって、なるほどそうだったのか、と読者をうならせる手法・・・というか、作者が読者に対して伝えたいことをより効果的に伝えるためのテクニックの一つと言えるだろう。惜しいかな、当該書籍はこの点で失敗しているのではないかとわたくしは思う。
今一度、前掲の文章を確認してほしい。
広宣流布には、人材の育成と鉄石の組織の構築は欠かせない。「人は石垣、人は城」(武田節)である。会員を消耗品・道具としか見ない路線・組織で、どうして御遺命の戒壇建立の大事がなし得るだろうか。
本日の拙稿のタイトルはこれを指している。わたくしはここにじゃっかんの迷走を感じている。
端的に言うと、「人は石垣、人は城」が前の文章に係るのか、それとも後ろの文章に係るのか、それがやや不明である。
おそらく普通に読めば、前に係るのだろう。つまり、広宣流布のためには人材の育成が欠かせない、その人材の譬喩が武田節に他ならないのだ。
ところが案外に、逆の意味にも受け取れるのだ。すなわち、会員を消耗品・道具としか見ない点において、まさにそれがそのまま石垣であり城の意味に相当するのだ。つまり、浅井先生は会員を人とは思っていない、物扱いである、というのが櫻川氏の言いたいことなのだろう。この意味で武田節は後ろの文章に係っているとも考えられるのだ。
あるいは櫻川氏のことだから、そのように二重の意味を兼ねて書いた可能性もある。しかし、いかがなものかと思う。この手の文章においては、そのようなオアソビは不要である。かえって紛らわしいだけだ。
現代人には想像を絶することであるが、昔は建物を建てるに当たって人柱を用いたという。とりわけ城などはその傾向が強かった。この意味で武田節は不吉な民謡なのだ。もちろん、これは深読みが過ぎるし、悪意の捉え方である。わたくしは武田節に対して、別にウラミツラミを持っているわけではない。結論として、『迷走する顕正会を斬る』における武田節の引用は、さまざまの誤解を孕む危険性があるということだ。
しかし、前回に続いて今回もまた、活動会員のお手本にはなりそうもない。
ここ最近は『迷走する顕正会を斬る』に批判を加えているわけだが、今のところは我ながら決定打に欠いていると思う。それは当該書籍の内容がすぐれている証拠なのだろう。しかし、何事もそうだが、百点満点ということは滅多にあるものではない。ゆえに本書にもいろいろな瑕疵があるはずなのだ。
おそらく、もっともオーソドックスな批判の方法は、相手の矛盾点をえぐり出すことだろう。さて、『迷走する顕正会を斬る』には、どのような矛盾がひそんでいるだろうか?
戸田会長という圧倒的なカリスマ性を持つリーダーを失った創価学会が、失速するだろうと予測するのは自然である。(中略)
しかし、そうはならなかった。会長空位の二年間においても、その勢いが収まることはなかった。戸田氏の作り上げた教団モデルと組織は、もはや戸田会長というカリスマも必要としなくなっていた。その路線に乗ったのが、第三代会長の座に着いた池田大作氏であり、彼は七五〇万世帯の弘通をしたのは、すべて自分の功績だと会員に思わせた。
これは73ページに出てくる文章であるが、おそらく創価学会員にとって、カチンと来るところではないかと思う。とりわけ文末は、池田崇拝者が激怒してもおかしくないような物言いである。
さて、次は292ページである。
戸田会長が切り開いた独創的な教団モデルの有効性は、若き淺井昭衞氏の眼前で実証されていた。すでに検証された戸田路線に従えば、自分も同様に成功が約束されていることは間違いない。昭衛氏がそう考えて不思議ではない。
しかし、一つのビジネスモデルが有効である期間は、決して長くない。トップは常にそこに注意を払い、環境の変化に敏感でなければならない。戸田氏は実業家だったから、そうした能力もあっただろう。しかし、戸田氏の会長在位は七年の短さであり、昭衛氏は戸田路線も絶えざる修正・改良を要することを、学ぶ機会がなかった。
前者と後者は矛盾していないだろうか?
一言で片付けるならば、池田大作氏に対する評価が不当に低い。
ようするに、戸田路線をそのまま踏襲しただけでは創価学会の発展はなかった、まさに絶えざる修正・改良があったからこそ伸びたのだろう。そこには自ずと池田氏の功績があるわけで、それを認めないわけには行かない。逆に、浅井先生にはそのような創意・工夫がなかった。
つまり、この件で浅井先生を批判するのであれば、反比例する形で池田氏を評価しないとツジツマが合わないはずなのだ。しかるに、前掲の文末のあたりは創価学会員の神経を逆撫でするような書き様になっている。
櫻川氏は腐っても元顕正会員であるから、池田氏を持ち上げるような文章は書きたくなかったのかもしれない。しかし、理由はそれだけだろうか?
大胆な推測を申し上げれば、櫻川氏と宗門の間で何らかの密約が交わされているのではないか、とわたくしは睨んでいる。
少ないながらも手掛かりがないわけではない。先般、総本山に七万五千人からの法華講員が集結した。この時の様子は法華講員のブログなどに詳しいが、なんと『迷走する顕正会を斬る』が本山で売られていたというのだ。当然ながら宗門側の了承を得てのことだろう。
もう一つ、手掛かりがある。櫻川氏の前著である『本門戒壇の本義』には、次のごとくあるのだ。
近年の宗史の素描では、人と組織の名称・役職は当時の呼称を用い、細井日達師は細井管長の呼称で統一した。
ちなみに『迷走する顕正会を斬る』では、
なお、登場人物の多くは現存する方々であり、一般人には氏、僧職者には師、あるいは当時の役職名を付した。宗祖である日蓮大聖人は別格とし、大石寺の歴代は上人とした。
と、まえがきに書かれている。
つまり、前著では細井管長、そして今度の本においては日達上人と表記している。先ほど、腐っても元顕正会員と書いたが、日達上人の呼称は現在の顕正会員に馴染まない。あるいは櫻川氏の場合、腐っても元妙信講員という意味で日達上人とするにヤブサカではないのかもしれないが、ともかく前著との相違がある以上、別の意図があると勘繰られても仕方がないであろう。
よって、櫻川氏と宗門との間で何らかの密約があったのではないかと考えることも、あながち荒唐無稽ではないと思うのだが、いかがだろうか?
そこで元の話に戻るわけだが、池田氏に対する評価が不当に低いのは、なぜか? それは著者が宗門と裏で通じているから・・・ということになる。
ひとくちに顕正会批判と言っても、さまざまである。創価学会側からの顕正会批判もあれば、宗門側からのそれもある。立場によって視点が変わるわけだし、その個人の力量もある。今回の拙稿で明らかのごとく、『迷走する顕正会を斬る』はどちらかと言うと、宗門寄りである。おそらく当該書籍を読んだ人ならば、誰もが同じ感想を懐くことだろう。
しかし、それは大雑把な捉え方であって、委細に見るならば櫻川氏独自の視点から書かれている部分が少なくない。実を言うと、顕正会だけでなく創価学会も斬られているし、なんと宗門も斬られているのだ。
ところがである。先ほど述べたごとく、本書は大石寺の売店(?)に置かれているのだそうである。わたくしは宗門の太っ腹に痛く感銘を受けた。いや、太っ腹という表現はいただけない、おそらくはこれが「正直」ということなのだろう。
今日は話が散漫になってしまったようだ。
法華講員の二氏よりコメントをたまわった。ニシケン氏は相変わらず辛辣だ。しかし、法華講員の中には櫻川氏に好感を懐いている人もいるようなので、この辺は個々の感性に任せるところなのだろう。また、山門手前氏によれば、前回の拙稿は考え過ぎとのことだ。山門氏は櫻川氏の事情に詳しいようなので、どうやらわたくしの推測はハズレのようである。
さて、今日は『迷走する顕正会を斬る』の260ページを取り上げる。第七章「浅井会長はどのように道を違えたか」の、小見出し「教学部廃止」の一部分である。
当時の法華講において、妙信講ほど教学研鑽に熱情を傾け、真摯に御書を学んでいた講中は他になかっただろう。正本堂問題の過程で、創価学会員と論議をする機会を得たが、情報遮断されていたから妙信講の教学が普通だと思っていたわたしは、相手側のあまりの素養のなさに驚いた。それが今やどうしたことか、惨憺たるありさまである。
(中略)
「教学は物知りになるためのものではない」等と、筋違いの言い訳で教学不要を徹底した。顕正会員の教学力低下は、その必然の結果である。思考力の低下も、組織の弱体化も連動する。対して法華講では、普通に教学が学ばれるから、もはや顕正会員では太刀打ちできない。
あえてイチャモンをつけようと思う。
顕正会員の教学力低下は事実であるが、はたして上掲の記述に客観性があるかと言えば、甚だアヤシイであろう。
櫻川氏は元来が頭脳明晰であり勉強家なのだ。しかも今となっては信心歴四十数年の大ベテランである。対する現役の活動会員たちは、その大半が十年未満のキャリアしかない。つまり、しばしば年寄りが言うところの、今の若者はなっとらん、というセリフに近いわけであり、必ずしも客観的な尺度から論じているとは言い難い。
また、氏は昭和四十年代の創価学会員の素養のなさに驚いてもいるわけだが、これもウソとは言わないにしても客観性に乏しいことだろう。ある意味、当時の妙信講は攻める側であり、創価学会は守りの側だった。攻撃側は自ずと相手の弱点を突くものである。妙信講は御遺命守護に特化して学べばよかった。一方の創価学会は妙信講ばかりに構っていられない。妙信講対策を打つにしても、相手がどのような点を突いてくるか、それを見極めてから会員にレクチャーするわけだから、いわゆる後手を踏まざるを得ない。その意味で、当時の創価学会は今の顕正会と似た状況にあったとも言えるだろう。今は法華講のツワモノたちが顕正会員を格好のターゲットにしている。今や顕正会員は攻めから守りへと立場が逆転してしまったのだ。
信心歴という視点も見逃せない。
当時の創価学会員は八百万人と言われていた。大雑把に言って、昭和二十年代の入信者は希少、三十年代の入信も全体の比率からすれば少なく、四十年代の入信者が多かった。
つまり、入信十年足らずの未熟者が大半を占めていたという意味で、今の顕正会と当時の創価学会は似ているのだ。
もちろん、櫻川氏にしても当時はまだ十年未満のキャリアしかなかった。ゆえに氏の言うことをウソとは書かなかったわけだが、しかし、上述のごとく氏は頭脳明晰であり勉強家なのだ。また、実際問題として、氏の対峙した創価学会員などは絶対数の上からは少ないだろうから、それが全体の傾向を正確に反映していたかどうかの検討も必要である。
それはともかく、現今の顕正会員の教学力を「惨憺たるありさま」とする具体例が見当たらない。
教学部を廃止した。教学試験の規模を縮小した。御書全集の発刊は実現不能である。上掲の中略部分にはこれらのことが書かれているが、これが具体例のつもりなのだろうか?
確かにこれらは事実である。しかし、これらが会員の教学力の低下を直接的に証明するものではないことは、誰もが了解することだろう。早い話が、比較検討するための直接的なデータが存在しないのだから、判断できないのだ。仮に一級試験を行なえば、それを過去の一級試験と比較検討して判断を下すことが可能である。しかし、そうしたバロメータがないのだから、惨憺たるありさまかどうかは不明としなければいけない。
おそらくは現時点で法華講員と顕正会員が法論を行なえば、完敗するということなのだろう。個人情報の観点から具体例が憚られるとは言え、現実に全国津々浦々で法論に準じた形で法華講員と顕正会員の接触があり、まさにその結果が惨憺たるありさまだということなのだろう。
わたくしはあえて異議を申し上げたい。
法華講では普通に教学が学ばれる・・・
バカを言ってはいけない。
わたくしの近隣には法華講員が存在しないのでネット上での感想になるが、正直なところ、オマエはバカか、というような法華講員も少なくない。いったい、何を学んでいるのかと思う。異流儀団体の落ちぶれ会員のわたくしが言うのだから、言われたほうはツライだろう。もちろん誰とは言わないが、おそらくは同じ法華講員の仲間うちでも、もっと勉強してから書き込んだほうがいいのでは、と内心で思っている人もいるのではないかと思う。
ちなみに、法華講では普通に教学が学ばれる・・・という、この記述からしても、前回の拙稿で触れたごとく、本書が宗門寄りであることがわかると思う。
法華講にも創価学会にもバカはたくさんいるのだ。もちろん顕正会にもたくさんいる。
ところで、先ほどの入信歴という視点がここでも活きてくる。
今の法華講員の構成メンバーを当てずっぽうに言えば、半分以上が元創価学会員であり、もしかしたら一割くらい・・・いや、本当はもっと少ないのかもしれないが、ともかく元顕正会員もそれなりの人数がいることだろう。つまり、純粋に最初から法華講員だった人は少ないし、創価学会や顕正会を経ないで新しく法華講員になった人も少ないのだ。
おわかりだろう、比較の仕方が間違っているのだ。今の法華講員の多くは法華講員としてのキャリアは短くても、それ以前のキャリアがある。ましてや問題意識の高い人たちだからこそ、正宗への帰伏を決めたわけだろう。こういう人たちと、昨日今日顕正会に入ってきた人たちを比較しても仕方がないのだ。
最後に本尊疑惑に触れておこう。実はこれが元凶なのである。
顕正会の幹部たちが法華講員を恐れるのは、本尊疑惑を追求されるからである。もし、これがなかったら今もなお顕正会員は意気軒昂であり、喜んで法華講員のところに出掛けることだろう。
当然、櫻川氏の本にも本尊疑惑のことが出てくるけれども、別の項目になっている。もちろん、これはこれでひじょうに重大な問題なので別枠を設けたのだろう。
だが、しかし、実は法華講員に太刀打ちできない真の理由は教学力の低下ではなく本尊疑惑にあるという、この視点を盛り込むことができなかったところが、わたくしには不満である。
しかし、我ながら面倒臭い文章を書いているものだと思う。そこがわたくしの欠点のようだ。
さて、今回をもって『迷走する顕正会を斬る』への批判を終了するつもりである。早い話がネタ切れであるが、ともかく本題に入ろう。
第九章には「浅井会長の不誠実」というタイトルがあって、その最初の項目が「御遺命守護完結の偽り」である。
ようするに櫻川氏は、御遺命守護完結はウソである、つまり、浅井先生はウソツキである、と言っているわけである。
わたくしはこれに異議を申し上げたい。
御遺命守護完結とは、顕正会の掲げる戒壇義が宗門に受け入れられることであった。大御本尊の遷座とは別の問題である。大御本尊の遷座を、御遺命守護完結であるとすり替えることは、会員への謀りである。
さすがは浅井先生の弟子だっただけのことはある。ひじょうに言い方がキツイのだ。これがかつては宗門や創価学会に向けられていたわけだが、今は浅井先生に向けられているのである。
御遺命守護完結は大御本尊御遷座と別問題・・・
いや、そんなことはない。この際、過激な言い方をするならば、別問題かどうかは関係ないのだ。
まず、整理をしよう。別の問題なのか、それとも同じ問題なのか、これは見解の相違ということになる。
次の見出しには「正本堂を不浄とする偽り」とある。おそらく櫻川氏はこれが念頭にあるのだろう、正本堂を不浄と考えるのは間違いである、よって御遷座の絶対的必要性を認めない、当然の帰結として御遺命守護完結とは無関係、というのが氏の意見である。
しかし、これは一考を要するところだと思う。ここでは詳述しないが、もし正統派顕正会員がお出ましになれば、それなりの論陣を張ることだろう。つまり、正本堂を不浄であるとする説もそれなりに有力であり、当然ながら浅井先生はそれを主張しているわけであるから、それを不誠実とは言えないのだ。
不誠実と言えるのは、間違いであることを承知しながらワザとやっている場合だけである。先生はそれが正しいとの信念に基づいて主張しているわけだから、それはタバカリでもなんでもないのだ。
212ページの記述を引用しよう。これは昭和五十年の四月二十六日に行なわれた妙信講第十七回総会を伝えるものである。
続いて浅井理事長は、「汚れた正本堂から清浄の奉安殿に大御本尊を御奉還申し上げることが御遺命守護の完結」と述べた。正本堂を不浄とし、大御本尊遷座に言及したのは、これが初めてである。
なお、参考として239ページの記述も紹介しておく。
昭和五十年十二月、妙信講青年部大会で昭衛氏は、「誑惑の正本堂から奉安殿へ御奉還を」と講演した。大御本尊の遷座を求めた最初の発言である。
大御本尊遷座に言及したのはこれが初めて・・・
大御本尊の遷座を求めた最初の発言・・・
二つの記述を並べるとじゃっかんの錯綜を感じるが、それはどうでもよいことだ。ようするに、浅井先生はかなり早い時期に御遷座の主張を開始し、それからおよそ四半世紀にわたって主張し続けたのである。また、前掲の文章に明らかなごとく、先生は御遷座こそが御遺命守護の完結であると述べているのだ。
ゆえに、これは全顕正会員の了解事項であり、ここに謀りだとか不誠実だとかの要素が入り込む余地はまったくない。
強いて言えば、宗門への復帰、それにともなう御登山・御内拝、あるいは常住御本尊の下附など、こうした付帯事項が実現していないことが問題となる。ゆえに、浅井先生はこの点の釈明なり、もっといえば会員への謝罪をするべきだった。逆に言うと、それをしないから御遺命守護の完結には欺瞞があると言われてしまうのだ。
最後に、正本堂が不浄であるか否かの問題において、浅井先生は不浄であるとの認識であるが、一方の櫻川氏は次のごとく主張する。
完工式への異教徒参列が堂宇を汚し、その不浄が二度と永遠に解除されないとする浅井説は、道理を欠いた詭弁だと言わざるを得ない。
これはまさに教義論争である。先ほど、わたくしは正統派顕正会員の登場を促がす意味のことを書いたわけだが、本当ならば浅井先生が自ら回答するべきだろう。
おそらくはそれが、御遺命守護完結を偽りであり会員に対する不誠実であると主張する櫻川氏への回答と同時に、本当の意味での会員への誠実さを証明することにつながるはずである。
夏バテというわけではないが、どうも更新意欲が湧かない。そこでしばらく休もうかと思っていたが、ニシケン氏より真面目な質問が寄せられたので、今日はその線に沿って書いていく。
まず、氏は平成十年三月の入会という。なるほど、その翌月にはあの不思議の還御があったわけだが、入会したばかりの人には事情がよく呑み込めなくて当然であろう。これについてはトチロ~氏からのフォローがあったので解決としたい。
浅井さんが暴走して邪教化したのは古参会員にも責任があったと思っています。
浅井さんが犯罪者なら古参会員も共犯者です。
今も古参会員は残っていますよね。
浅井さんの間違いを知りながら何年も顕正会に留まっている。
重罪だと思っています。
なかなか厳しいことをおっしゃるものである。
『迷走する顕正会を斬る』には、「幹部の粛清」ないし「身内びいき」という項目がある。具体的な文言は省略するが、櫻川氏の記述を信用するならば、妙信講時代の主要な幹部はことごとく粛清されてしまって残っていないことになるだろう。櫻川氏自身は中枢幹部ではなかったものの、妙信講時代のことを知る貴重な存在だった。しかし、それも浅井先生にとっては煙たい存在だったらしく、数年前に除名処分となってしまった。
つまり、今は妙信講時代からの古参会員がまったくいなくなったわけではないが、ほとんどいないと考えて差し支えないと思う。ゆえに、彼らを共犯者であるとか重罪であるとするのは、酷な話だろう。
顕正会の最大の被害者は、勧誘活動に使役されて人生を台無しにさせられている活動会員である。
第一章に出てくる言葉だが、これは直接的には今の活動会員たちを指し示している。しかし同時に、上述の「幹部の粛清」などを勘案するならば、過去の妙信講員たちにも幾分かは当てはまるのではないかと思う。
つまり、外部から見れば、浅井先生の手足となって活動している人たちは共犯者に他ならない。だが、しかし、その一見すると共犯者に思える人たちが、実は最大の被害者であるということなのだ。
もちろん、これは浅井先生を犯罪者であると前提した上での話であるから、正統派顕正会員からは反論があることだろう。しかし、それは今の所談ではないので、次の話に移る。
「霊山浄土」=「霊土」
前回、わたくしは世紀の大発見と題して書いた。その大発見とは何かであるが、ニシケン氏から上掲のことではないかとの問い合わせがあった。
今は、ぜんぜん違う、とだけ書いておこう。別にもったいぶるわけではないが、わたくしの発見はこれとは次元が異なるものである。
しかし、ニシケン氏の着眼点も素晴らしいと思う。実はこれ、わたくしはまったく気がつかなかった。あとは、これをどのように解釈するか、それが問題だろう。
結局、こうした文章上の発見というのは、説明の付与が最大の課題である。ようするに、音楽鑑賞などで感動を味わったとして、それをどのように人に伝えるか、それがけっこう難しいことである。それと同様に、文章から感動なり発見なりを得て、さらにそれを他人に向かって説明するとなると、これがけっこうの難題なのである。
よって、霊山浄土と霊土の関係にしても、それがいったい何を意味するのか、他人に説明できなければ意味がない。さらに言えば、音楽鑑賞の場合はその音楽を聴かせることで共感を得ることができるかもしれないが、文章上の発見はそうも行かないので、その分だけハードルが高いのだ。
それはさておき、ニシケン氏からはさらに別の質問が寄せられた。
「汚れた正本堂」
「誑惑の正本堂」
ようするに、浅井先生の正本堂に対する認識には二通りあって、この二つは意味合いが大きく異なるのではないかという指摘である。
おっしゃるとおりだと思う。
ゆえに、櫻川氏の著書においても、この二通りの主張に対応する形で論じている。一つは前々回の拙稿で紹介したごとく、不浄が二度と永遠に解除されないとする浅井説は道理を欠いた詭弁、というのがそれである。もう一つは第九章の最後「戒壇建立へのプロセス」の項において、明らかだ。
今、要を取って言えば、現在の宗門は国立戒壇こそ言わないものの、すでに顕正会の主張する戒壇義とほぼ同一である、ということになると思う。
そして実際問題として、今はすでに正本堂が存在しないわけだから、「誑惑の正本堂」も潰えたことになる。つまり、不浄云々は間違いであり、誑惑云々は過去のことであって今の宗門に当たらない、よって浅井先生の主張はその両方向から潰えている、というのが櫻川氏のロジックなのだろう。
もっともニシケン氏の質問の意図がどこにあるか不明なので、上述は期待ハズレの回答かもしれない。
この際、せっかくだから大発見の片鱗だけでも書いておこう。不浄の正本堂は潰えたがその跡地には奉安堂が建っている。キリスト教の神父による不浄は、正本堂の解体によってそそがれたことになるのだろう。だが、しかし、それ以前の墓地の問題はどうなってしまったのだろうか?
未明に、うさぴょん氏からオマカセについてのご教示をたまわった。六日の拙稿に対してであるが、これに関して付け加えるならば、成果主義の弊害ということが挙げられるだろう。
ようするに、未成年者を承諾なしに夜中、入信勤行に連れ出していいのかどうか、という問題において、この発表者は御本尊にお任せすると言っているわけだが、ようは強行突破というか、なるようになれ、あとは野となれ山となれ、というようなヤケッパチな態度を取っているわけである。これをうさぴょん氏は正しい顕正会員であると説明している。これは幾分か揶揄の意味が含まれているのだろうが、しかし、わりと顕正会員の心理を正確に捉えているのではないかと思う。
ここでわたくしは成果主義の弊害を訴えたい。上記のことは、まさに成果主義のなせるワザであり、これは弊害以外のナニモノでもないのだ。今回はたまたま問題が生じなかっただけのことであり、この成果主義のためにどれだけ多くのトラブルが発生しているか、それを本部首脳はよく考えるべきである。
つまり、今回のケースでは、別にその日のうちに何がなんでも入信勤行をしなければいけないというものではなかったはずなのだ。本人たちが入信したいと言っている。では、今日はもう遅い時間なので、明日にしましょう。もしくはあなた達の都合のいい日を言ってくれれば、それに合わせましょう。これでいいのだ。
なぜ、それができないか?
成果主義だからである。
たとえば、いわゆる最終日であれば、そんな悠長なことは言っていられない。ましてや誓願に届かなければ、翌朝まで戦い続けることになる。
別に最終日に限った話ではない。今回の場合、ただちに入信勤行をしてしまわないと本人たちが心変わりする可能性がある。いや、可能性が高いと書いたほうが正確だろう。
つまり、当人が本心から入信したいと思っているのではなく、うまく言いくるめられてしまって、何となく、まあ、いいか、というようなアイマイな気持ちのまま入信勤行をする場合が少なくないのだ。
こんな調子だから公称百三十五万人などと言ったところで、現実には遥かに少ない人数しか集まらない。この道理が本部首脳はわからないのだろうか?
さて、昨日の拙稿についても、おさらいをしておこう。『迷走する顕正会を斬る』には次のような記述がある。
日蓮大聖人に固く誓った仏弟子一千万が、「三百万でも足りない、五百万でもまだ足りない」はずの三百万に今日下方修正されたことは、もはや一千万は遠い夢であると、さすがに浅井会長もわきまえているのだろう。
痛烈である。別のページには次のようなくだりもある。
浅井会長にとって、すでに「広宣流布は夢物語」となっているのである。
現役隊長氏が言うのと同様、櫻川氏もまた、もはや浅井先生のやっていることは本気が感じられない、うわべだけのパフォーマンスである、と見ているごとくである。
それにしても現役隊長氏の直近のコメントには驚かされた。
十二年後の浅井先生の年齢はともかくとして、今の男子部の大半が還暦に近い年齢になっていると言うのだ。さすがにこれは誇張が過ぎるのではないかと思うが、どうなのだろうか?
ようするに、現時点で男子部の平均年齢を四十以上であると見ている、より正確に言えば、五十近いことになるだろう。
これが事実ならば顕正会もオシマイである。まったく若い人たちが育っていないことになるからだ。かつて浅井先生は言っていた、顕正会ほど青年の比率の高い組織はないと。しかし、いつの間にか顕正会も高齢化が進んでしまい、青年層の希薄な組織になってしまったということになるだろう。
この辺は櫻川氏の見解とは正反対である。浅井先生は酸いも甘いも噛み分けた壮年が嫌いであると言う。ゆえに壮年部の人材を次々に斬り捨ててしまって、五十代以上の世代の希薄なイビツな組織にしてしまったと言うのだ。
この見解の相違については、双方の言い分をよく確かめないことには何とも言えないが、はっきりしているのはインターネットの普及以前以後という見方だろう。おそらく三十代後半ないし四十代の男子部員はインターネット普及以前からの人材であり、あまりネットに毒されていない。もちろん、ここで言う毒は顕正会側の視点からの表現だが、ともかくそれ以降の世代はネット普及の中に生きている。そうすると従来ならば通用した浅井先生の手法・・・ハッタリ的な手法と言ったら先生も怒るだろうが、現実問題としてはそれが通用しなくなったということなのだろう。ゆえに若い世代があまり育っていないのだと思われるのだ。
ところで、男子部長もそろそろ四十になるだろうし、いつまでも男子部長というわけには行かないだろう。当然ながら、若い世代を育てるためにはそれ相応の若いリーダーが必要である。理屈は簡単だが、現実はどうか、それが問題だ。
めずらしく顕正新聞が早く届いた。第1150号はいわゆる十月五日号である。最近は・・・というよりも以前から顕正新聞の出来は遅れがちであり、期日前に届くことは滅多にない。ゆえに郵便受けを見て、一瞬、我が目を疑ったけれども、どうやら本物のようである。
今号は九月度総幹部会の記事が中心であるが、昨日の拙稿で取り上げた話題と重なる部分があったので、それを書こうと思う。
講演集の感激
一面の記事を読むと、「講演集の感激」と題して五人の登壇があったと書かれている。ところがどういうわけか、三面から五面にかけて六人分の記事が載っている。
まあ、それはどうでもいいことだ。
ともかく、ここ数ヶ月は講演集の話題で持ち切りである。これが何を意味するのか、何か裏事情があるのではないか、わたくしはそれが気になってしまう。
確かにセンセーショナルな内容なのだろう。ゆえに話題が続くのだ。しかし、それは別の何かを覆い隠すための手段なのではないかと思えてしまうのだ。
以前にも書いたごとく、おそらくは櫻川氏の著書を黙殺するための積極的な手段なのだろう。ただ黙殺するだけではなく、よりセンセーショナルな話題を持ち出して会員の意識を縛り付ける・・・それが積極的な手段の意味である。
さて、昨日の拙稿で取り上げた「妙法の教育」であるが、この発表者は壮年部の総班副長であり、小学校の教頭であるとのことだ。そして今回の九月度総幹部会においては、なんと教育関係者が三人も登壇している。正確にはかつて教育関係者だった人も含まれるが、いずれにしても興味深いことである。
おそらくは歴史認識にリンクする意味で、教育関係者の登壇はそのニーズに応えるものなのだろう。活動会員の登壇はそのすべてが浅井先生の賛嘆に終始すると言っても過言ではないが、とりわけ教育関係者がそれをやれば箔が付く、浅井先生の仏法史観の正当性をよりいっそう補強できる、少なくとも一般会員にそのように思わせることができる、という構図である。
ずいぶんイジワルな観察だとは思うが、これが現実である。昨日、社会に貢献できる人材を云々したことも、実は同じことなのだ。やはり社会的にそれなりの名声を得た人物がたくさんいれば、顕正会に対する評価も変わるはずである。いちおう本部首脳も理屈はわかっている。だから今回の場合は教育関係者を多く登壇させているわけなのだ。
三人の内訳を紹介しておこう。
一人は五月度総幹部会でも登壇した男子部班長。二百五十三人の逆縁を乗り越えたというツワモノである。男子部とは言うものの、年齢はかなり上である。県立高校の校長を経て、すでに定年退職している人だ。
そして今度は現役の教師であるが、公立中学校で英語を教えているらしい。昭和五十八年に入信し、現在は壮年部の班長である。
もう一人は女子部総班長。平成九年の入信で、当時は小学校の教師だった。しかし、二年後に退職している。いわく、もっと広宣流布に戦いたい、時間的に自在を得るため、云々と。
校長先生は年齢的に遅く入信したので比較しづらいが、残りの二人は若い頃に入信したという意味で、好都合のサンプルである。
壮年部班長は記事の中で、入信とは名ばかりで最初はまったく活動していなかったことを書いているが、一方の女子部総班長は入信から二年後には早くも教員をやめているので、おそらくは最初の頃から熱心に活動していたのだろう。
片や班長、片や総班長、この役職の差は見た目以上にデカイと思う。つまり、壮年部と女子部ではレベルが違うので、もし同じく班長だったとしても、あるいは同じく総班長だったとしても、女子部のほうが値打ちがあるはずであ₋
いったい何を言いたいのか、早い話がこの䥳子部員は教職をなげうって熱心に活動した結果として今の総班長の地位がある、一方の壮年部員は今も教職に就いているので活動はほどほどなのだろう、その結果が班長ということだ。
ちなみに、少し前に紹介した裁判所の書記官を中途退職した人は、婦人部支区部長である。
もちろん、それで本人が満足ならば、とやかく言う筋合いのことではないだろう。しかし、現実にはそれで失敗している人もたくさんいるわけだ。
久しぶりに『迷走する顕正会を斬る』から引用しよう。
今の淺井昭衞氏は、かつての栄光の美酒にいつまでも酔っていたいのであろう。そして無謀なノルマを課して、職場や家庭での会員の生活基盤を崩し、多くの顕正会員の人生を狂わせ、かけがえのない時間を奪っている。そして、「あと十有余年」等と展望のない口先の小細工で会員を謀り、使役し続けている。昭衛氏が過去の栄光に耽溺したいなら、自分一人でそうしていればよいのである。前途ある青年を巻き添えにすることは、もう止めてもらわなければならない。
余計な解説は不要であろう。
だいぶ時間が空いてしまったが、ダイヤモンドの記事で思い出したことがあるので書いておこう。新興宗教の信者数の実態は、おおむね公称の三分の一から十分の一くらい、という意味のことが記事に出ていた。
三分の一が実数であれば、これはマシなほうというか、ある意味では優秀と見做してもいいくらいである。
では、顕正会はどうかというと、どう見積もっても十分の一以下であるから、これは最低の部類に入るだろう。もしかしたらワースト一位かもしれない。
これが日本国を独走している顕正会の実態である。
ずいぶん前の話であるが、浅井先生は創価学会の人数を五百万だと言っていた。
ダイヤモンドには八百万世帯と書かれている。これはいわゆる世帯数での表示なので、これを人数に直すとどうなるかがよくわからないけれども、ともかく浅井先生は五百万人だと言っていたのだから、これはけっこう優秀な数字であろう。
顕正会は公称人数こそ百三十五万であるものの、現実にはどう見積もっても十万以下である。以前、顕正新聞の発行部数が二十万部であることが判明したけれども、ご存知のごとく多重購読が問題になっており、それを考慮すれば十万以下であることがよくわかるはずである。
さらに厳密に計算すれば、今夏の男子部大会で三万人ということは、ここには実質的に壮年部も含まれているので、これに女子・婦人を加えても六万人がせいぜいのところとなる。しかし、これでもまだかなり甘い見積もりであり、おそらくは五万以下なのだろうというのが衆目の一致するところだと思う。
九月度総幹部会の活動報告に次のごとくある。
入信者は十五名以上いるものの全員戦列から離れており、組員を指導しても軽んじられたり罵声をあびせられることが続き、組員に対しまったく指導ができなくなっておりました。
これは男子部組長の記事であるが、おそらくはこれが顕正会員の平均的な姿なのだろう。
文中、全員が戦列から離れている、とある。これではあたかも以前は戦列に加わっていたと読めてしまうところであるが、現実は違うだろう。ようは入信勤行後、即退転というパターンがほとんどだと思われる。
つまり、今の顕正会は入信報告書の数ばかりを積み上げているだけであって、実質的な会員数は横ばい状態なのだ。
これは熱心な活動会員がいちばんよくわかっていることだ。
顕正会には一人で百名以上の折伏成果を上げているようなツワモノがたくさんいる。いや、わたくしは現実にそういう人をたくさん知っているわけではないが、おそらくはザラにいるだろう。このことは案外に、敵対勢力であるところの創価学会員にしても、あるいは法華講員にしても、認めていることではないかと思う。ようは、それほどに顕正会の折伏はデタラメであり、中身の伴なわないものだという意味なのである。
先ほど紹介した記事では、十五名が全滅状態だった。では、百名折伏を達成したツワモノたちの場合はどうなのか、である。百名のうち、いったい何人が残っているのか、それが問題である。
ダイヤモンドの記事には三分の一ないし十分の一という話が出ていた。これを当てはめるならば、百人のうち三十数名ないし十名程度が残っていることになるが、三十人も残っていたら大したものである。おそらくは十人がいいところであり、それ以下である可能性がきわめて高いと思われる。
まさか百名を入信させて、それが全滅するとは思えないが、かなり低い数字であることは間違いないだろう。
根拠は簡単である。すでに十五名全滅の記事がそれを証明しているわけであり、さらに大きく見れば、公称百三十五万の実態が数万程度であるというのが何よりの証左であろう。
しかし、実は話が逆なのである。
そういうデタラメな折伏をやっているから、いくら数字を積み上げても中身が伴なわないのである。くだんの男子部組長は十五名以上の成果を上げている。あるいは百名以上の成果を上げている人もザラにいると書いた。しかし、いずれも折伏のテイをなしていない、単なる勧誘行為に堕してしまっている。それが今日の顕正会を形成しているのだ。
以下は『迷走する顕正会を斬る』の記述である。
かつて、妙信講の三千達成奉告の総登山には、千五百余名が渇仰の思いで参加した。当初はまっとうな法華講として、組織の隅々まで血が通っていたのである。妙信講として最後となった第二十三回総会には、五万人の講員数で、一万人が武道館に参集した。
平成七年に横浜アリーナで開催された第二十六回総会は、会員数が二十数万人で参加者は三万名であった。これを最後に顕正会の総会は途絶え、現役活動会員で総会参加の経験を持つ者は数少ないだろう。
かつての妙信講は講員の過半数を結集できる力があったのだ。これは驚異的な数字である。
それが今の顕正会と来たら・・・もはや形容の言葉もないほどだ。
水無月氏のおっしゃることは一理も二理もある。
まず、小沢氏関連で言えば、ずいぶんと古い話になるけれども、氏は細川政権の立て役者だった。当時としては、いわゆる非自民政権の樹立ということで、ひじょうに画期的だった。ところがこの政権は次の羽田内閣であっけなく終わることになる。自民党が巻き返したのだ。
この理由はもちろん当時の自民党にはツワモノがたくさんいて、政権奪回のためにいろいろ画策したからだろう。いわゆる自社さ政権であるが、これは今考えても不思議な取り合わせである。
もう一つ、重要な点がある。それは小沢氏の豪腕ぶりがアダになったということだ。氏の政治手法に愛想を尽かして、離れた人がいったい何人いるか、これは決して誇張ではなく、それこそ無数にいるのである。もともと非自民政権は寄せ集めであるから、まとめるのが難しい。そこに来て、小沢手法への不信が募れば、なおさらのことである。いわば自民党はその機に乗じて巻き返したわけだ。
しかし、この話は過去の非自民政権の時のことであり、はたして今の自民党にそれだけの余力があるかどうか、それはわからない。
いずれにしても今回の一件で、小沢氏のイメージが悪くなったのは間違いないことだろう。今は国民的人気度がひじょうに大きな力を持っているわけだが、それ以上に深刻なのは仲間内から疎まれてしまうことである。小沢氏はそれでさんざん失敗してきた。そして、またしても同じ轍を踏もうとしている。これが宿命なのかもしれない。
小沢手法に引き続き、浅井手法について書いてみよう。
水無月氏の指摘するごとく、やはり出典・引用を明記しないという手法はマズイことだ。たとえば今回の件で説明すると、十一月十一日に中国オペラの特別公演があって、そこに皇太子殿下が出席されたという話がある。これについて顕正新聞には次のごとく書かれている。
当日は招待客だけのクローズド公演だから、誰も気づかなかった。新聞も報道管制が布かれていた。
誰も気づかなかった・・・
凄い表現である。だったら、なぜ浅井先生は知っているのか、どこから情報を入手したのか、それが顕正新聞の記事からは読み取れない。
こうした手法はまさに、浅井先生は凄い人なのだ、と会員に思い込ませるネライがあるのではないかと勘ぐりたくなるところだ。
実際、幹部会員たちの文章を読むと、浅井先生を偉大な師匠だと心底思い込んでいることが伝わってくるわけだが、もしこれが上述のような手法に由来するのであれば、問題である。即刻やめたほうがいい。なぜならば、バレたら元も子もないからである。
『迷走する顕正会を斬る』から引用しよう。
正本堂問題の過程で、創価学会員と論議をする機会を得たが、情報遮断されていたから妙信講の教学が普通だと思っていたわたしは、相手側のあまりの素養のなさに驚いた。
二百六十ページの記述であるが、情報遮断されていたと言い切っている。浅井手法は今に始まったことではないらしい。前後するけれども、これについては同書百八十ページの記述が詳しい。
浅井氏は常に情報統制をして、都合の悪い情報は講員・会員に伝えない。
(中略)
講員の信心を護るため、当時として緊急避難的に止むを得ない面も、確かにあったかもしれない。しかし、その情報統制の都合よさが身についてしまい、「依らしむべし、知らしむべからず」の大本営発表が、浅井氏の講員統制の手法となってしまった。
もはや、わたくしが余計なことを言う必要はないだろう。さらに、この数行後の文章を紹介しておこう。トドメの一撃である。
「知らしむべからず」が進行して行くと、やがて思考力や判断力のある幹部の存在が鬱陶しく邪魔になって行く。意見や批判を封じ込め、何でも俺の言うことを聞いてさえいればよしとする運営方法は、思考停止した幹部しか組織に残さない。
今日の拙稿は図らずも、小沢手法と浅井手法のコラボとなった。
いちい氏よりコメントを頂戴した。
禍根を残す・・・という言葉がある。おそらく傍若無人な粛清人事を行なえば、組織に禍根を残すことになるのだろう。類義語になるのだろうか、蟠りを残す、という表現もある。
結局、後輩から絶大の信頼を得ていた人物が理由もはっきりしないまま組織から放逐されれば、残った人たちが疑問に感じて当然である。これがワダカマリということだ。
今日は少し関連のある話をしよう。十一月度総幹部会の会長講演には、次のようなくだりがある。
迎える十二月は、明年への序走であります。活動の大綱は、先ほど横田理事が話したとおりです。
(中略)
少し蛇足を加えれば―
まず、どうでもいい話からすると、今気がついたのだが、序走という言葉は辞書に載っていないようである。なぜ気がついたかと言うと、こうしてパソコンで打ち込んでいて変換できなかったからだ。しかし、この序走はあまり違和感がない。実際、キーワード検索を掛ければ、たくさんのサイトが出てくるのだ。面白いものだ。おそらく知らないで使っている人もいるだろうが、中には辞書にない言葉であることを承知して、あえて表記している場合もあるだろう。浅井先生がそのどちらであるかはわからない。
さて、本題である。わたくしは上掲の蛇足という表現を好ましく感じた。これは浅井先生が横田理事を立てて、自分がへりくだっているような意味合いがあると思う。もちろん聴衆への配慮を含めてのことだ。
ここで『迷走する顕正会を斬る』から引用しよう。
分別のある壮年は、顕正会に入会しても、壮年部の地区座談会に参加すると、あまりの幼稚さにあきれて離れて行く。
あまりの幼稚さ・・・云々と。悲しいかな、これが現実である。では、いったい何がどのように幼稚なのか、引用を続けよう。
壮年部長の講演は、浅井会長の言葉の引用と他の地区での体験発表の紹介であり、座談会終了後は地区部長が同じ事を繰り返し、その後、総班長が同じ事を繰り返し、さらに班長が同じ事を繰り返す。最後まで一方通行である。幼稚園児でも、それだけ同じ事を聞かされればウンザリだろう。
つまり、蛇足に蛇足を重ねているのである。ほとんどムカデに等しいだろう。漢字では百足と書く。
ここから冒頭の、いちい氏の話につながって行く。
見識ある幹部はこうした愚を犯さない。聴衆をウンザリさせないように、創意工夫するのである。決して蛇足を加えるようなことはしないのだ。
おそらくは、氏が尊敬してやまなかったであろう、かつての第三隊長もまた、そうしたオリジナリティのある面白い話のできる人だったのだろう。どの世界にしても急成長を遂げている組織のリーダーはおおむね同じである。
だが、しかし、それと同時に、出るクイは打たれる。とりわけ顕正会の場合はそれが顕著だかもしれない。
浅井先生がしばしば言うのは、一人ひとりが千人万人を率いるリーダーになれ、である。しかし、言っていることとやっていることが正反対ではないだろうか? それとも先生自身は何も知らされず、間に入っている人間に悪いヤツがいるのだろうか?
口の悪い人は、今の顕正会の中枢幹部をポチだと言う。ポチというのは主人に従順な飼い犬の意味なのだろう。
結局のところ、顕正会における粛清人事の真相はよくわからない。ただ言えることは、残った幹部たちにはそれなりの教訓を与えていることである。つまり、聴衆がウンザリしようがしまいがあまり出過ぎた発言をせず、先生の指導を鸚鵡返ししていれば我が身は安全である、ということだ。
ポチというのはずいぶんと馬鹿にした表現であるが、確かにそれは言えるかもしれない。
種々のコメントを頂戴しているが、さしあたって山門入り口氏に返答しておきたい。
広布御供養の呼び掛けはなかった。
ところで山門氏のいわく、今年は財政が苦しい、と。
当然ながら、まさか氏が顕正会の台所事情を知っているわけがないので、ネット上に流れている種々の情報から推測を述べているのだろう。未確認だが、新聞の誓願がなくなったとの情報もある。
なるほど、それが事実ならばその分を広布御供養に振り当てるというか、自ずとウエイトが掛かってくる道理である。
そこで、わたくしのところにも呼び掛けがあったかどうか、確かめたかったのだろう。上述のごとく、まったくなかったというのが真実である。
また、もし財政が苦しいのが本当ならば、その理由は顕正新聞の誓願云々を抜きにして、脱会者続出のために例年の金額を維持できなくなっているという可能性もあり得るだろう。よく言われているのが前年比の何割増しだとかいう目標値であるが、わたくし自身はその具体的な数字を知らないので、ここには書かない。ともかく最低限は現状維持であり、それを割り込むことは絶対にあってはならないことのはずである。ところが今は現状維持すら危うくなっているのかもしれないのだ。
誰でも同じであるが、とりわけトップの人間はこうした数字に敏感だ。企業の経営者であれば、赤字が出たとして、その数字が単なる一時的な落ち込みなのか、それとも凋落の始まりなのか、それを見抜く必要がある。
おそらく浅井先生もまったく同じだろう。いつの講演だったか忘れたが、アメリカ経済についてだったろうか、単なる不景気ではなく衰退である、という意味のことを言っていたことがある。こうした観察眼を持っているのであれば、当然ながら己れの組織についても同様の目線で見ることができるはずだ。
そこで広布御供養が一つのバロメータとなる。何しろ今の折伏はデタラメきわまるので、数字に信憑性がない。一方、下世話な話だが、お金はウソをつかない。いくらのお金が集まるか、それが顕正会の実力を示す指標となるのだ。
少し関連があるのではないかと思われる話をしよう。十一月度総幹部会の会長講演を引用する。
従来の横浜・水戸の両会館は、オフィスビルを借りているのです。
(中略)
顕正会の会館で、賃貸ビルを使用しているのはもうこの二会館しかない。そこで、何とかして早く作りたいと、急いだわけであります。
以前、横浜会館の話をいろいろ書いたことがあった。わたくしは長い間ずっと、横浜会館は中古のビルを買い取ったものだと思い込んでいた。しかし、これは勝手な思い込みだった。嘲斎坊というナゾの人物が当該会館は賃貸であることを教えてくれたのだった。
ここに来て、ようやく浅井先生の口から賃貸であることが明かされた。水戸会館も賃貸であるという。
そうすると、何となくではあるが旧青年会館閉鎖の真相も見えてくるような気がする。ご存知のごとく、旧青年会館は賃貸だった。そして現在の青年会館は顕正会の所有物件である。
宗教法人は公益法人ということで、宗教施設の固定資産が非課税である。したがって、地方会館や事務所をいくら建てても、固定資産税はかからない。
いつものごとく、『迷走する顕正会を斬る』からの引用であるが、著者の櫻川氏は浅井先生の迷走を宗教法人取得からいっそう顕著になったと見ている。
顕正会の実態は浅井ファミリーがメシを食うための団体と化している
淺井昭衞氏は妙信講の名を捨て、地方会館を建設するようになった頃から、「宗教屋がメシを食うため」の〝宗教ビジネス〟の旨味に目覚めてしまったようだ。
思いっきり過激だが、けっこう説得力のある文章だ。
旧青年会館の賃貸料がいくらであったか、それから横浜・水戸の賃貸料、あるいは同時期に他にも賃貸の会館があったかもしれない。合計すれば、それこそベラボウな金額だろう。
個人の感覚を当てはめれば、いつまでも高い家賃を払っているのはバカバカしい、それならば思い切ってマイホームを購入したほうがいい、ということになりそうだ。
ましてや宗教法人は税制の優遇を受けられる。なるほど櫻川氏の言うように、浅井先生がそのウマミに目覚めてしまったとしても不思議はない。
いずれにしても土地の取得や建設の資金は広布御供養による。ゆえに、財政が苦しいかどうか、その真相はわからないけれども、ともかく前年比を割り込むことだけは避けたいと考えるのが、当然の心理である。
昨日のことなんですが、櫻川さんが執筆された最新作「迷走する顕正会を斬る」を読み終わりました^^\
正直な感想としては、浅いセンセーが道を踏み外した存在ということを 改めて実感しましたね^^;
それでも櫻川さんは妙信講時代の信心に戻ってほしいとの思いを あの一書のいたるところにつづられている感じもしたので 逆に真実が寸分も違わず綴られていると思った次第です・・・
特にあっつぁさんブログでも時折出る御遺命守護の武勇伝に関しては 一定の評価をしつつ、現代の顕正会で問題となっている勧誘ノルマ主義や浅井絶対論の否定がきちんとなされており「正と負」の両面で論説が展開されていることが 顕正暦が短かった僕にとっては非常に新鮮かつ衝撃をうけました。
個人的な意見としてはこの一書を叩き込むことによって 現役顕正会員の深層心理を知るには絶好の書だと思います。
ただ、僕のような顕正暦の浅い元会員が闇雲に 破折のネタとして使うのは危険な気もしました^^;
当時を知る人間からしたら 見てもいないのに語るな!!っていう理論になりかねないからです。
えっ!? そこまで知っている会員が今いない!? あちゃ~(ノ∀`) でしたらなおさら読まなきゃですよ!!(笑)
ちなみに僕がまだ総幹で登壇していたバリバリの顕正会員だったころ この本を見つけてア○ゾンで購入して上長に見せたことがあるんです^^;
上長は「これは謀略の本ですね! 読まなくて正解でしたよ!」だそうです^^;
渡したんですから 絶対読んでそうですよね(笑)
「神秘体験の誇張」と「恐怖心の植え付け」
人間をマインドコントロール下に置くために必要不可欠なこの二つは、日蓮系にかかわらず多くのカルト的要素をもった教団で使われているようです。
「神秘体験の誇張」を日蓮系で言えば(私が聞いたことのあるものだけ)、 『成仏・功徳・広宣流布・病気が治る・世界平和・幸福・性格改善・金持ち・有供養者福過十号・・』
「恐怖心の植え付け」は『謗法・罰・地獄・病気・魔・不幸・大地震・他国侵逼・貧乏・経済危機・若脳乱者頭破七分』
両者の最後に記した「若悩乱者頭破七分・有供養者福過十号」は、今までの記事でも記してきたように、特に「日興さん」の本尊に記される法華経の用語です。
この二つの意味を簡単に記せば、
「若悩乱者頭破七分」→「信じなければ頭がかち割れる!」
「有供養者福過十号」→「信じれば幸せになれる!」
こうなります。
日蓮系の人と話をして、教義的矛盾を指摘すると、ほとんど全ての人が、「信じればいい」という発言に終始することになります。
「信じた結果、私は幸せになれたのだから」となります。この心理は、まさに「有供養者福過十号」→「信じれば幸せになれる!」という経文に帰着するのでしょう。
日興さんが「人を心理誘導する為」にこれらの経文を書かれたとは思いません。本当にそれを信じていたゆえのことでしょう。しかし、この経文を後世の人間が大いに「悪用」し、マインドコントロールにつなげていった可能性は甚大です。
元顕正会員「櫻川忠さん」は、「迷走する顕正会を斬る」の中で
『破局の危機を煽り続けることは、会員に切迫感を植え付けることになり、勧誘活動に駆り立てることにきわめて有効である。そのためには「危機」は何でもよいのであって、その時々にマスコミで取り上げられている話題に飛びついて、学者や研究機関を引き合いに出して権威付けをする。それによって会員を意のままに操ってきたのだ。
1、 会員の心に切迫感を植え付けることで、勧誘活動に駆り立てる
2、 恐怖感をつのらせることで、会員に別感の功徳(成仏)を得たいと思わせる
3、 危機を指摘し破局を予見する先生は、特別な存在だと思い込ませる
4、 純粋で使命感ある青年に、人生を犠牲にしても世界を救おうとの大儀を与える
5、 一切の危機を解決する方策は、国立戒壇建立であるとの確信を強固にさせる
まことに効果てきめんで、これが顕正会特有のマインドコントロールである。』
と言われています。
つまりこれは、
「○○になりたい」「○○にしたい」という人間の「欲望」
逆に、
「△△にはなりたくない」「△△のようにはなりたくない」という人の「願望」もしくは「恐怖からの逃亡」
この、人間誰しもが持つ二つの「心」を巧みに利用したものだろうと思えます。
結果として、自らの「教団」や「その教義」の矛盾を突きつけられた時、「それを理解できない」のではなくて、「そうは思いたくない」「理解するわけにはいかない」「考えたくもない」という心理に陥るのではないでしょうか。
実は、このマインドコントロールは、顕正会特有ではなく、上記の「用語」を代えればどの教団にも当てはまるような気がします。
一度マインドコントロールにはまれば、そこから脱却するのは本当に大変だろうと思います。それは友人を見ているのでよく分かるのですが、ただしかしこのブログで示したような明らかな「矛盾」に対して、悪口雑言で返し、または「矛盾だとは思わない」と言ってしまっている自らの状態は、まさに「そうは思いたくない」「理解するわけにはいかない」「考えたくもない」という心理状態に陥っているのではないでしょうか。
そこを冷静に受け止めるにはそれ相応の「勇気」「決意」が必要だろうと思いますが、しかしながら、捏造で人集めをするような教団は、いつまでも存続できるとは思いません。いや存続していてはいけないのだと思います。
こんな悪意に満ちた教団に、これ以上純粋な若者を巻き込まないでほしいと心から思います。
久しぶりの更新となるが、今日は法太郎のサイトの読後感想文である。最初にどうでもいい話を書いておくと、法太郎はスキージャンプの超一流選手たちを間近にして、心臓をドキドキさせただとか、震える手でコーヒーを入れて差し上げたなどと、意外な一面を垣間見せている。
暴力団・創価学会の一面 (小笠原慈聞・狸祭り事件の資料紹介)
そこで本題である。上掲の一文が興味深い。
おそらく拙ブログを閲覧している人たちには説明不要であろうが、かつて狸祭り事件というものがあった。神本仏迹論を唱える僧侶に対し、創価学会側が謝罪を強要した一件である。創価学会側の言い分としては、牧口初代会長が獄死したのはこの僧侶のせいだということなのだろう。また、神本仏迹論は間違いであるから、その邪義を破折・粉砕した、ということなのだろう。
しかし、事件と呼ばれる以上、単なる言論上の問題ではないはずである。それが今回の資料によって明らかになった。
ちなみに浅井先生も、この事件に言及したことがある。二年ほど前にはめずらしく顕正新聞に誤植の訂正記事が出た。ようは神本仏迹論と書くべきところを新本仏迹論としてしまったのだ。また、古くは冨士の二百七十一号、いわゆる試練と忍従の歴史に記述がある。
さて、学会の宗門制圧の手口は、二代戸田会長の頃は、直接暴力に訴えて僧侶を畏怖せしめた。
たとえば立宗七百年慶祝法要のおり、総本山において一老僧を数百名の青年部員が裸にし、墓地にかつぎ込み謝罪を強要した、いわゆる〝狸まつり〟事件。
浅井先生はこの続きの文章で、当時の創価学会はまだ陽性でご愛嬌があった、などと書いている。これは先生の見解としては至極当然のことなのだろう。さらに続きの文章では、池田会長の宗門統制の手口は戸田時代と異なり陰湿・・・云々としている。単純化すれば、先生は戸田氏に甘いが池田氏に辛いということだ。ちなみに、『迷走する顕正会を斬る』には、浅井先生を戸田氏の思想的後継者とする記述が見られる。なるほど、さもありなん、である。
法太郎の記事に戻って、わたくしがもっとも興味を惹いた点は、小笠原慈聞師をあながちに悪者とは決め付けられない面があることだ。この際、神本仏迹論の法義上の問題はさておき、次の一文がひじょうに示唆的だと思う。
この資料を見ると、創賊の三文小説からうかがわれる事件とはまったく趣を異にするものである。戸田城聖は小笠原慈聞師を殴打してひと騒ぎを起こし、騒ぎが大きくなり刑事も来たことから、見舞金を出して小笠原師をなだめようとした姑息なことをしている。
対して小笠原慈聞師は意気軒昂で、守護する檀信徒もよく末寺教師の名誉のために奮戦した。そのために水谷日昇上人に法論を挑むなどまさに「壮士」たる意志満々たる気迫である。
これは法太郎の所感部分であるが、ようは当時においても骨のある法華講員が存在したこと、とりわけ小笠原師のもとにそうした人々がいたという点は見逃せないところである。わたくしの思うに、当時すでに旧来の法華講員の間に創価学会に対する不信感のようなものが芽生えていたことを窺わせるものだ。また、この事件そのものがその方向に拍車を掛けた意味もあるだろう。
つまり、このまま創価学会の傍若無人ぶりを看過していたら大変なことになる、われわれも頑張らないといけない、という意識を生じさせたのだ。
『迷走する顕正会を斬る』には次のような記述がある。
昭和三十一年一月、「法之道」の巻頭言で主管(住職に相当)の早瀬道應師は、「学会の人々に遅れじ」と、五ヶ年計画の四年目にあたる今が分岐点であると述べ、安逸を誡めている。
(中略)
早瀬主管の五ヵ年計画とは、昭和二十八年を初年度として従来の講中組織の統合をはかり、昭和三十二年に精鋭三千世帯を達成するというものである。
なぜ昭和二十八年がスタートなのか、おそらくはくだんの狸祭り事件がその契機の一端を担っているのだろう。事件はその前年に当たる昭和二十七年の出来事だからである。
この記事を閲覧下さっている方の多くは、既にこの書籍の存在をご存知かと思います。
先日、ポリ銀さんも、ご自身のブログの中でご紹介されていました。
この本の著者である櫻川忠さんは、昭和41年に日蓮正宗に入信。当時顕正会の前身である妙信講支部妙信講に所属し、以来、平成17年10月に至るまでの、39年と6ヵ月。顕正会の活動に連なってこられた「元顕正会員」です。
綿密な調査を元にした、多くの有用な情報が記されたこの著書は、まさに「斬る」という形容さながらの内容。
思慮深い考証からの、的を射た鋭い指弾は、大変「説得力」に富むものであり、これぞ「脱・顕正会バイブル」ともいうべき「大著」の仕上がりを見せています。
また、著者の中庸を得た見解と論述により、大変読み易い内容となっているので、現役会員で脱会を躊躇されている方は勿論のこと、更には、周囲で当該問題に関わる全ての方にとって有益な一書であるに違いありません。
斯く言う僕自身も、この本の強力な助力あってこそ、「顕正会」の脱会に確信を得ることができた一人です。
本当にこの書を著して下さった「櫻川忠さん」に感謝の念は堪えません。
こうして「書籍の紹介」をすることをもって、一分、その意を表したいと思います。
求む!電子書籍化。
ところで、書籍の詳細については後日に改めまして、今回、当ブログの読者の皆さんに是非ともお願いしたい一件があります。
それは、この書籍が今後も沢山の方に読んで頂けるように必要だと思われる、「電子書籍化」に向けてのご協力です。
近年、「楽天」の「kobo」を皮切りとし、「Amazon」が運用する「kindle」と続く、「電子書籍サービス」は、「電子書籍専用端末」や、「タブレット端末」の普及の拡大という後押しもあって、利用者が年々増加しています。
この増加傾向は今後も続く見通しで、またこちらに関しては、紙の書籍とは違った利用者層が形成されているというのも確かな現状です。
こういった新しいマーケットの動きに敏感な、有名ブロガーの「ちきりん」さんは、ご自身のブログでこのようなことを仰っています。
タブレットやスマホの普及率、そして、電子書籍を読む人の比率はこれから確実に拡大する
(中略)
タブレットの(世帯普及率ではなく、)個人普及率が 5割を超えれば、市場規模も相当に拡大するでしょう。
そうなれば私の場合、数年以内に「紙の本と電子書籍の売れる冊数は同じ。もしくは電子書籍のほうが多い」くらいになるかもしれません。(2014-11-29 電子書籍って儲かるの?
一年後の収支決算より引用。)
しかし、そういった時代の流れがあるにも関わらず、上記でご紹介した「迷走する顕正会を斬る」については、まだ電子書籍化されていないのです。
今後、この書籍の「電子書籍化」は、多くの現役会員が「未だ知り得ない真実」を、一日でも早く目の当たりにする、大きな可能性を秘めています。
この書籍は「顕正会員に与えられるべき情報、信仰を見直すための有用な材料」であり、これを彼らが簡易に享受できるようにする「環境」を整えるためには、一人一人の真心のお力添えが必要不可欠だと思うのです。
何より、電子書籍は紙の本よりも安価ですし、セール期間中などは驚くほどのロープライスで購入できるというメリットがあります。
そこで、読者の皆様におかれましては、是非、「電子書籍化」の「リクエストの送信」を、お願いしたいのです。
具体的な方法案としては、現段階でサービスを運用している全ての会社にリクエストを送るのは、相当骨の折れる作業かと思われますので、今回僕の方から提案させて頂くのは、kindleストア(リクエストへの直リンクは→)迷走する顕正会を斬る―淺井昭衞会長の足跡と変節に絞った狙い撃ちです。
多くのユーザーがリクエストの声を上げ、需要を示すことで、きっと出版社も動いてくれると思います。
「リクエスト送信」までの手順についての詳細案内は、別途記事を作成しましたので、こちらをご覧ください。
顕正会から日蓮正宗に入信されたYさんより、最近、「櫻川さんの本と櫻川さんご本人をぜひ紹介してほしい」とのお話がありました。
Yさんは顕正会への不信から複数の方に連絡を取られましたが、櫻川さんもその一人でした
櫻川さんはYさんに対してメールで、「浅井会長の妄想を信じて、どれほどご奉公しても、報われることはありません。拙著『迷走する顕正会を斬る』は、その会長の妄想を『妄想』として見直す、ひとつの契機となるかもしれません。」
さらに、「顕正会員は、小生の名をきいただけで汚れる、等と教えこまれています。なかなか、拙著を手にすることは難しいでしょうが、こうした例もあるようです。http://yorori1130.blog.fc2.com/blog-entry-23.html
(ミミさんブログにて。櫻川さんの本をきっかけに顕正会員が日蓮正宗に入信された、というお話。)」とメッセージをくださいました。
さて、櫻川さんがどんな方かを知らない方のためにいちおう御説明させて頂きますが、櫻川さんは昭和41年に、顕正会の前身たる妙信講に入信され、男子部幹部として妙信講の御遺命守護の戦いに連なられた貴重な方であります。
このようなタイトルの本を出すからには顕正会への信心はもちろん現在はないわけでありますが、「顕正会を斬る」では、なんと、浅井会長の御遺命守護の戦いを評価しております。
写真2枚目のように、「顕正会から離れた元幹部と会ったとき、『御遺命守護は浅井会長の自作自演だ』と語るのを聞いて愕然とした。わたしは、立場が変わったとはいえ史実まで曲げてしまうのはどうか、との感を深くした。」 (「迷走する顕正会を斬る」123ページ) との部分もあるのです
顕正会員にとって、「顕正会が正しい理由、浅井会長が正しい理由は何か?」と問われれば、少しの知識のある方ならば口を揃えて、「顕正会は御遺命を守ったから」「浅井先生は御遺命守護の戦いをしたから」 と答えます。
自分も顕正会時代にその質問をされればそう答えていたと思います。
しかし櫻川さんはそのうえで、しっかりとそれぞれの立場を大局的に見ながら、顕正会浅井会長の誤りを糺していくのですね。
この本では、昭和30年、妙信講が法道会だった時代から、昭和52年、法廷闘争が終わるくらいまで、妙信講、学会、宗門それぞれの動きを時系列で詳しくまとめてくださっております。
妙信講の立場もものすごく考慮されていて、現役顕正会員さんにとっても興味深く読めると思います。
amazonなどで買い求めることができますので、是非とも、特に現役顕正会員さんに読んで欲しいです
で、実は自分も、昭和40年代からの妙信講を知る櫻川さんに質問が思いつき、メールを送ってみたところ…返信を頂いただけでなく、電話でお話することもできました。
しかも、その質問の回答や電話の内容をブログに書くことを櫻川さんに許可頂きました
次回書かせて頂こうと思います